第五十話 雅辰はその真の力を発揮し、道満はそれに一矢報いる

文字数 5,654文字

 ああ――、雅辰様……、どうか人間を恨まないでください。

 私は、それだけが悲しいのです――。

 なぜなら――、私もまた人間なのだから……。

(いや――、訓子(さとこ)よ、人間を恨まずにはおられようか……。奴らはお前を――)

 その瞬間、雅辰の全身から圧倒的な存在感を放つ凄まじい妖気が放出され始める。それはただの妖気ではなく、その強大さと圧倒的な質量から、明らかに並の妖魔では到底及びもつかない、ひとつの存在感を感じることができた。
 その妖力は深淵から湧き出るかのように凄まじく、一瞬でその場を支配してゆく。そして――、

「な――?!

 蘆屋道満は戦闘態勢を整えていたが、その強大な妖力により精神を圧倒され、ついにはその場に跪くことしかできなかった。
 彼の身体は無意識に雅辰に向かってこうべを垂れ、その一方で雅辰は、冷たく鋭い目で道満を見下ろしていた。

「道満? どうした? わしと戦うのではないのか?」

 雅辰はそう静かに呟くと、今度は口が裂けたかのような笑顔を道満に向けた。それに対し、道満の全身は自然に震え、その震えを止めようと両腕で自分の身体を強く押さえた。

「貴様――、まさか?! しかしそのような事――」
「何がまさかだ? 蘆屋道満」

 道満の言葉に雅辰はそう返す。道満は声が震えてしまいながらも、必死になって何とか言葉を絞り出した。

「貴様――、気狐ではない?! それどころか――」

 雅辰のその妖気を見て道満はある考えに至った。その考えは彼自身にとっても予想外であり、思考を巡らせるほどに心の奥から恐怖が湧き上がってきた。

「――貴様は……、天狐――、齢千年を超える大妖魔――。いや……、天部にも等しい存在」
「かかか――、そうだ、道満――、その通り……、わしは天狐――。気狐などではない」

 雅辰は道満の言葉に心から笑い、その声は周囲に響き渡った。その反応に驚いた道満は、目を見開き雅辰の顔をじっと見つめた。

「どうした? 怖気づいたか? ――お前がその程度だというなら、もはや蟲のように潰すぞ?」
「く――」

 道満は――、全身が生命の本能として震え、恐怖に怯えていても、それでも震える脚を必死に支えて立ち上がることができた。
 彼の全身は湧き上がる恐怖によって震えていたが、その中で一点、彼の目だけはその力を決して失ってはいなかった。

「そうだ道満――、立ち上がってこい。わしに立ち向かってくるがいい。そうでなければ――」
「――?」

 その瞬間、雅辰の顔には新たな表情が現れた。それは、これまでの笑顔とは全く逆の、憎悪に満ち、すべてを喰らい尽くすかのような恐ろしい表情だった。
 それは、まるで彼の内部から湧き上がる激情を現しているかのようで、それを見た者全てを震え上がらせるほどの強烈さを持っていた。

「――すべてどうでもよくなって、この場で平安京を滅ぼすかもしれんぞ?」
!!

 道満は全身を引き締め、歯を喰いしばりながら戦闘の構えをとった。彼は深呼吸を一つして、雅辰に向け強い意志を込めて問いかけた。

「――天狐……、ソレは人を害することのない善狐と聞いた。なぜ――貴様は……」
「は――!!

 その瞬間、雅辰は破顔して、腹を抱えて笑い始める。

「はははははははは――、何を言うかと思えば……。人間は何とも自意識過剰であるな? 善である天がなぜ人を害しないと決めつける?」
「――」

 それは、道満自身がすでに理解しつつあった事実であった。

「この世は人の世にあらず――。人間を善だと抜かすのは――、貴様ら人間だけであるぞ?」
「要するに――」

 その雅辰の言葉に、道満は顔を歪めて言葉を返す。

「貴様は――、”悪しき人間”を滅ぼすべく天が遣わしたと?」
「――クク、話はそう簡単な事ではないわ――。所詮わしもただの”下らぬ想い”だけで動いておるゆえに」
「――どういう意味だ?」

 道満の言葉に雅辰は頷いて答える。

「下らぬよな――、本当に下らぬ……。人をただ数人――、大切なものを殺されたが為に、人すべてを滅ぼそうなどと愚かな考えよ」
「貴様――」

 雅辰の言葉に何かを察した道満は、目に力を込めて雅辰を睨みつけた。

「そうだ――、その目だ……、抵抗して見せよ道満。わしは天狐として、わしの憎悪を律し――、あえて人間どもに慈悲を与えておるのだ。その慈悲が消えるかどうかは、今の貴様の力にかかっておるぞ?」
「――静葉……」

 その時、道満は懐に向かって声をかける。そうすると、懐からのそのそと一匹の蜘蛛が現れた。

「――道満様。まさか戦うつもりで? あの天狐と?」
「当然だ――」

 その蜘蛛の言葉にはっきりと言い切る道満。蜘蛛は脚をばたつかせると言った。

「――おそらく死にますよ道満様? ……でも、戦うんですよね? それが道満様ですから」
「……ふふ、静葉も拙僧(おれ)の事が分かってきたな」
「わかりたくなかったですが――。まあ、一度失った命……、最後まで道満様にお供致しますとも」

 蜘蛛はそう言って道満の肩へと這いのぼる。それを見て天狐・雅辰は笑った。

「蜘蛛――、土蜘蛛か? 否――、どこか魂が変化しておるようだな」
「そうです――、わたくし、静葉は最新の術式で新たに生まれ変わった『新静葉』ですので」

 ――その瞬間、道満が雅辰に向けて一気に駆ける。

「静葉――」
「了解」

 その道満の言葉に反応して、静葉がその四対の足を動かす。

「運動機能上昇――、手足を中心に術式展開。いつでもいけます」
「――おう!」

 その掛け声と共に、駆ける道満が霞のようにかき消えた。いや――、これは……、

「ほう――、本人ではなく……、式神に術式発動の肩代わりをさせて?!

 雅辰は目を見開いて驚いた顔をする。その背後に道満は現れた。

 ズドン!!

 その手のひらが雅辰の背に触れて――、その瞬間、雅辰の身体が震えた。

「――」

 雅辰は笑顔を張り付けたまま吹き飛ぶ。

「金剛拳――。肉体への打撃ではなく、魂への直接打撃を打ち込む、いかなる鎧も貫き通す、金剛の拳だ――」

 その言葉を聞いた雅辰は、何とかその身を立て直して道満を振り返る。

「カカ――、信じられんな……、何重もの結界が無意味だと?!
「まあ――、魂への直接打撃など、そう簡単にできるモノでもないからな。対策はあるまい?」
「そうだな――、それへの対抗は、残念ながら持ちあわせがない。ただの打撃ならどの様な術でも無効にできたものを」

 雅辰は笑顔を濃くして道満を見つめる。それを見て道満は顔を歪めた。

(――全く、効いておる気配がない……。マトモに入ったはずだが、アイツにとってはかすり傷にもならん……か)

 そう考える道満の心を見透かすかのように、楽しげな表情で雅辰は頷く。

「いいぞ――、道満、貴様の力をわしに示せ――、わしを満足させねば……」

 雅辰がそう言った瞬間、その膨大な妖力がさらに爆発するように広がる。

「このまま平安京を滅ぼすぞ?」

 その雅辰の言葉は、そのままで破壊の力としての効果を発揮する。その周囲の空間にゆがみが生じ、地面に深いヒビが奔り――、そして近くに立つ樹木がその幹を破裂させた。
 殺意を込めた言葉だけで殺傷の力を発揮する様に、さすがの道満も身を震わせて後退る。

「――さあ、次だ……、早くわしにかかってこい」

 雅辰がその手のひらを軽く振る。するとそれだけで凄まじい突風と、地面を無数に抉るかまいたちが発生した。

(――規格外過ぎる。天部は基本人に対して特別な意識は向けぬ。ゆえに戦いもめったに起こらず――。それが、人間にとってどれだけ幸運であるか、これだけで理解できる)

 まさしく道満がそう考える通りである。
 天部はもはや人智を超えた強者であり、その指で空気を弾くだけで人を爆散させることすら可能である。
 ――しかし彼らはそれをしない。なぜなら、足元を這う害を与えぬ小蟲に、憎悪を向けて虐殺する人間など存在しないのと同じである。
 人と天部との間にはそれほどの力の差があり、安倍晴明クラスになってやっと、人を殺傷できる――しいて例えるなら『スズメバチ』程度の力とみなされる。
 無論、その晴明であっても、天部が本気で対抗策を練れば、完封されてしまうのだが。

(――だが、だがしかし――)

 そのあまりにも強大な妖力に後退つつ、それでも前への歩みを止めることなく道満は答える。

「天が遣わした天の御使いであろうが――、平安京に住む人々の平穏を、壊させるわけにはいかぬ!」

 道満は心の中で静葉に命令を下す。それを受け取った静葉は慌てた様子で言葉を返した。

「まさか――、アレをやるのですか? まだ一度も成功しておりませんが?!
「今やらずにどうする――。拙僧(おれ)の扱える術には……、天部へ効果を発揮するものは存在せんのだ」
「むう――」

 先に述べた通り、天部とは生命の頂点に位置する絶対強者たる神格、または最高位の霊的生命体を指す言葉である。その定義を具現化した存在こそ、目の前に立ちはだかる雅辰であり――。
 天部は人間が操る並の呪法を超越した存在であり、それゆえにその力を完全に無力化することが出来る。これは絶対的な真理で、どんな手段を使っても、どんな巧妙な策略を練っても乗り越えることのできない、人間の理解を超えた壁として存在している。
 この壁を越えられるのは、同じ天部の力を借りて行う特別な大呪法のみであり、それを使用できるのは日本全土を見渡しても、道満の師匠である安倍晴明のみであった。

「これを越えねば――、師を越えることなど到底できん。ならば――ここで成功して見せる!!

 その決意の表情を見て雅辰は笑う。

「何をするつもりだ? 面白い――、ソレでわしに少しでも傷をつけられたら、この場を引き下がってやろう」
「後悔するなよ――」

 道満はその時、ニヤリと不敵に笑った。そして――、

「行くぞ――、静葉――!!
「了解――」

 その刹那、静葉は空に無数の複雑な陣形を描き始めた。それはまるで美しい星座のように見え、その輝きは周囲を一瞬で照らし出した。
 その一方で、道満は静葉の動きに合わせるかのように不動独鈷印を結び、そして、彼は高らかに呪を唱え始めた。その声は明確で力強く、それはまるで遠くの鐘の音のように空に響き渡った。

「ナウマクサラバタタギャーテイビヤクサラバボッケイビヤクサラバタタラタ――!!

 呪文を唱えるごとに、道満の霊力が凄まじい勢いで高まっていく。

「センダマカロシャダケンギャキギャキサラバビギナンウンタラタカンマン――!!

 そうして極限まで高まった霊威を、今度は自身の印に収束させて――、

「東方に在るは降三世明王――!! 南方に在るは軍荼利明王――!!

 道満は印をほどくとその御名と共に各方向を指さす。すると、その指が指示した方向に小さな炎が生まれてゆく。その炎はゆらゆらと踊り、道満の周りに美しい光を放った。

「西方に在るは大威徳明王――!! 北方に在るは金剛夜叉明王――!!

 道満の周囲に四つの炎が現れると、それらの炎はまるで生命体のように動き、道満の身体を包み込むように流れてゆく。そして、まるで帯のように道満の周囲をぐるりと囲む形になり、その後は道満のその体の中心に向かって集まっていった。
 それはまるで、道満が炎の力を引き寄せ、自身の一部として取り込んでいくかのような光景であった。

「そして!! 中央に在るは大日大聖不動明王!! 尊きその聖炎を借り受け――、あらゆる凶事・悪心・天魔を調伏せしめん!!

 その瞬間、蘆屋道満の全身は紅蓮の炎に包まれる。しかし――、

「燃えておらん――だと?!

 さすがの雅辰も、炎に包まれなおも燃えずに立つ道満に驚きの目を向けた。

「――我唱えるは……、五大明王の大呪――、燃え盛れ……!!

 ――(てん)()(しょう)(きゃく)――!!

 道満の身体は、一瞬にして猛烈な爆炎と化し、空を切り裂くように雅辰の方へと空を奔った。

「――!!

 ドン!!

 凄まじい爆炎が空に広がり、それに伴い無数の火の粉が空中を舞った。その爆炎と煙の濃さは、遥か遠くの内裏からでも目にすることができるほどで、さらに、その爆炸の音は平安京全体にすら響き渡った。

「――はあ、はあ……」

 全力を出し切った道満は、体全体を揺らしながら息を荒くしている。しかし、その目は――、雅辰がいた場所に向いていた。

「――カカ」

 突然、道満の耳に耳障りな笑い声が聞こえてきた。その笑い声を聞いて、道満は思わず顔を歪める。

「――まさか、本来わしに効果を発揮せぬ呪で、わしを傷つけて見せた――だと?」

 そうして笑うのは、――片腕を失った雅辰であった。

「人とは――、なんという……。ここまで呪を発展させたか」
「いや――、これはとりあえずは拙僧(おれ)だけの特別だ」
「それでも――、おそらく将来は、皆が使えるようになろう」
「――」

 道満はため息をついてその場に跪く。もはや抵抗する気力すら出なかった。

「そうか――、妖魔と共生し……、その力を借りて同じ術式を展開し――、それで本来ありえぬ高みにまで呪を昇華する――。あまりに貴様らしい呪法であるな」
「お褒めにあずかりどうも――」

 道満がそう言って笑うと、それに合わせるように雅辰も笑った。

「よかろう――、これは契約だ……。わしはこのまま平安京より手を引こう」
「――」
「だが……、それはわしだけだ」

 その雅辰の言葉に、道満は眉を寄せて問う。

「どういう意味だ? まだ何かあるのか?」
「カカ――、わしがここに赴いたのは……。いや、それを知りたいなら、自分たちでどうにかするがよかろうさ」
「――」

 道満は不満げに顔を歪め、それを見て雅辰は楽しげに笑った。

「では――、いい未来を見せてもらったぞ道満。いつかまた会うこともあろう――、それまでさらばだ」

 雅辰はそう言うと、そのまま霞のようにその身を薄くさせていった。

「何だったんだ? あれは――」

 その時の道満は――、心の中に残る疑問を思考しつつ、ただただ深いため息をつく事しかできなかったのである。
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