(十三・一)第三惑星Yoshiwaraステーション

文字数 3,826文字

 ここは夜、夜の世界。夜でなければ或いは罪悪を犯さねば存在し得ない街、今日そして嘗て吉原と呼ばれた、あたかも丸でひとつの村か集落の如き夜の華。
 世界は夜、未だ世界は夜の闇に覆われたまま、ここ吉原のネオンが夜の巷に妖しく瞬き続く間、世界は夜によって支配され、いつ果てるともない魔物の呼吸を営み、その積み重ねたる人類の罪の清算をば為すこともなく、日々この夜の世界のひとつの宇宙駅(ステーション)として、あたかも魔物の心臓の鼓動の如くここ吉原のネオンは瞬き続け、瞬き続くことが何よりこの世が夜であることの証明であり、従って夜と共にこの瞬きもやがて訪れる世界の夜明けの前に、滅亡し夢の如く潰えることは、宇宙全体の必定である。

 月が替わり、東京では珍しく月の初めより雪が降り始める。吉原の街にもお化け屋敷の屋根にも雪が降り頻る、ただ静かに穏やかに。その後も雪は止むことを知らず、かといって大雪となる訳でもなく、ただ粉雪が降り続くばかりである。
 その頃世界では女狐インフルエンザの予防接種が世界中で実施されたのであるが、これと時を同じくしてなぜか突如桜毒が世界的な爆発的流行を見せ、多くの人類が命を落とす。その為WHOは緊急調査を行い、その結果女狐インフルエンザの予防接種のワクチン中に、原因は不明であるが桜毒のウィルスが混入していたことを突き止める。これにより世界は更なるパニックとなり、女狐インフルエンザの予防接種は直ちに中止されるのである。
 そんな中、お化け屋敷で雪と交わった六十六人のうち六十五人までが桜毒で死に至り、最後に霧下がひとり残される。霧下もまた桜毒の発症については例外でなく、今月中旬遂に発症した為治療に専念する。しかし治療、桜毒の治療とはこれ如何に。未だ人類にとって不治の病とされる桜毒なれば、治療法など有り得ない訳である。ところがどっこい、実は密かに桜毒のワクチンなるものが存在し、それを所持している者が世界中に数人いるという。して、その中の一人が誰あろう、Mr霧下その人なのである。だから霧下は雪と関係を持ちながら、唯一生き残ることとなる。
 ワクチンにより桜毒から生還を果たした霧下は、自らを苦しめ多くの同志を奪った雪への恨みを晴らさんとして、一路お化け屋敷へと向かう。時は十二月二十四日クリスマスイヴ、雪十九歳の誕生日である。吉原はもとより東京の街は月初めから降り続く粉雪で、僅かに積もっては融け積もっては融けしていたが、流石に今はもう積もる一方で既に五センチの雪景色である。しかしいつ止むとも知れない雪に、都民はホワイトクリスマスなどと喜んでもいられない。
 霧下がお化け屋敷に現れたのは日暮れ時、ドアの開く音で雪は目を覚ます。裸電球を点けなければ、そこは一切光のない暗黒の世界である。誰やろと闇の中に目を凝らし見ると、目の前には髪は逆立ち目もまっ赤に腫れた霧下が立っているではないか、丸で妖怪変化である。殺気を感じながらも逃げ場のない雪、無理矢理立たされ、霧下から容赦ない平手打ちの連打を食らう。空腹により衰弱し切っている雪は、直ぐに意識朦朧となり床に伏す。それでも顔を上げ、健気に霧下を睨み返す雪。
 裸電球が点され、その目映さに一瞬目を瞑ったものの直ぐに霧下を睨む。
「何だ、その目は」
 霧下の怒号。
「この殺人鬼が、よくもまあ抜け抜けと今日まで生き延びて来たものだ。正に虫けらの如きしぶとさである」
 あんたに言われとないわ、鬼畜に鬼畜呼ばわりされては苦笑いするしかない。
「しかしその命運も、これにて尽きる。覚悟は良いか」
 言うが早いか霧下は懐中に忍ばせし注射器を取り出すと、速攻でちくり、抵抗する力もない棒の如く痩せた雪の腕へと針を刺す。
「死ね、化け物」
 どくどく、どくどくっ、注射器内のドラッグが雪の血管へと注入される。すると見る見る、雪の顔、全身に桜色の発疹が現れる。けれど気付いているのかいないのか、雪はぼんやりとしたまま無反応である。
「冥土の土産に教えてやろう。今お前に打ったドラッグ、一体何だと思うね」
 沈黙の雪。
「これこそ何あろう、死に至るウィルス。では何のウィルスかと申せば、お前の大好物、そうさ、桜毒だよ。まっこと哀れなる、今桜毒の殺人鬼自らがその桜毒によって滅するとは何たる皮肉、これぞ正しく因果応報也」
 雪は床に横たわり、力なく目を瞑る。最早無抵抗、人形の如き雪を前に、霧下は自己陶酔、軽率にもべらべらと秘密を暴露する。
「桜毒とは、元々化学兵器として我々の組織の下、ここ日本に於いて極秘に開発されたウィルスである。開発は成功し、その第一の感染者が、およそ十八年前この場所で我が手によってウィルスを注射したひとりの少女であった。同時にワクチンも開発したがトップシークレット故、世界でも限られた極僅かの者にしか配布されておらず、この日本国で所持するのは唯一わたしのみである」
 大声で笑い、悦に浸る霧下。ところがその時……。
 お化け屋敷の天井にめきめき、めきめきっとひびが入る。
「何だ、何事だ」
 慌てる霧下、しかし慌てるより他に術はなし。その内天井の数箇所が崩壊し、ぼろぼろぼろっと破片が落下して来る。一体何事が起こっているかといえば、じゃーん、たった今宇宙船メシヤ567号が、ここお化け屋敷の屋根の上に着陸したのである。即ち遂に第三惑星への救世主降臨と相成った訳。しかし着陸したは良いが、宇宙船の重さによって今建物全体が圧迫されているのである。
 損なこととは露知らず、やばい、このままでは押し潰されてしまうと焦る霧下。逃げ出そうとしてドアへ急ぐも、時既に遅し。天井からの圧力がドアに掛かり、ドアは開かない。しかも自業自得、閉じ込めたる獲物の逃亡を防止する為とドアは強固に出来ており、体当たりした所でびくともしないと来ている。しまった、閉じ込められたか、何ということだ、粟を食う霧下。その耳に何かが聴こえて来る、崩れ掛けた屋根の上即ち宇宙船から。一体何だと耳を澄ませると、それは歌である。歌、あの少年の澄んだ声が歌う子守唄である。
『家の灯り、町の灯り、駅の灯り、ざわめき、犬のなき声、子犬が足に絡み付いてきた、まるで叱られて家出する少年、ひとりぼっち泣きそうな顔こらえて、子犬とふたり。高層ビルの灯り、空港の灯り、宇宙船でもやってきそうだ、寒さこらえて待っていよう、辛さも悲しみもこらえて、子犬とふたり。都会の灯り、ふるさとの灯り、遠い宇宙の彼方の灯り、ともっては消え、それを繰り返し。道に迷ってしまったのか、それともはじめから、道など存在しなかったのか、みんな夢だったと言うように。宇宙船はいってしまった、人々の諦めた顔を眺めているうちに、お腹を空かした子犬とぼくを残して。祭りの灯り、いろまちの灯り、ネオンの波に濡れながら、とうとうここまで来てしまった、世界で一番眩しくて、宇宙で一番悲しい場所。子犬が突然なきだした、まるで合図を送るように、女の子がひとり、えさをやろうと店から飛び出してきた、悲しいほどに似合わないミニスカートにコートをかけて、誰の夢がかない、だれの夢がついえたか。とうとう宇宙船はいってしまった、お腹を空かした子犬と桜毒の少女を残して、あんまり眩しかったので、宇宙ステーションと間違えたんだな吉原のネオンサイン、どうせなら奇蹟のひとつでも起こしてゆけばいいのに。もう灯りは消してもいいだろう、みんな眠りについたから、宇宙船もかえってはこないだろう、もうねむりにおちてもいいんだよ、ベッドにはきみひとり、もうだれも襲いかかったりしないから、こわければ子犬をだいていればいい。ぼくをここに連れてきたのは子犬、ぼくならきみを助けられると思ったんだな、もしもあの宇宙船が、きみを助けにくる夢を今夜見たならば、きみはいってしまうかい、この悲しき宇宙ステーションを残して』
「にいさん」
 子守唄に目を覚ます雪。上体を起こすと、その顔も全身も既に桜毒の発疹が醜く覆っている。最早絶世美少女の面影はなく、枯れた桜の花の如しである。
「にいさん、何処いてんの。な、見んといて。にいさんの透き通った目潰れてしまうさかい、雪の醜い姿、見んといてな」
 けれど少年の返事はない。その代わりお化け屋敷に閉じ込められたパニックで、何ごとか喚き散らす霧下の声がするばかり。
 しかしそのMr霧下の声をも沈黙させ、いずこよりひとつの声が……。その声とは佐端たちの最後のビデオに唯一残された「救世主は、最後の審判を決意する」の声であり、子守唄のした屋根の上、宇宙船から聴こえ来るのである。

 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……、この宇宙に生きとし生けるものみなに、ただ喜びを与えんとして、夜空に灯したる幾千の星々、この麗しき銀河の瞬く夜に、など人は悲しき罪を重ねしか、我はただ清き愛の秘め事と安らかなる眠りの為にこの夜を、人に与えし筈なれば……。我は今、最後の審判を執り行う。この青く美しき海の星、第三惑星に裁きを下す……。ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……、ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。

 この時より、地球全土に雪が降り始める。既に雪の降り、雪に覆われたる地はもとより、熱帯地域、常夏の地、今が真夏の南半球に於いてすらも。更に雪はこの時を境に二度と止むことを知らず降り続き、やがて地球全体を白く覆い尽くすに至るのである。
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