(十一・二)お化け屋敷

文字数 3,977文字

 ギィーッ、ドアの開く音がする。古いのか、長い間開閉されなかったからなのか、錆び付いたその音が静寂の中に響く。何らかの建物の入り口にいるのであろう。背中を押され中に入ると、再びギィーッ、閉ざされるドアの音が耳にこびり付く。ああ、これで完全に閉じ込められてもた、拉致監禁完了いうところやろな。よく拉致監禁事件というのが世間を騒がすけれど、まさか自分がその被害者、当事者になろうなどと夢にも思わざる雪。拉致監禁て……。その時雪は突如自分の中に何かを感じる……お雪さんである。お雪さんが激しく動揺しているのが分かる。どないしたん、お雪さん。
 パチッ、今度は電気のスイッチの音。照明のスイッチだと、目隠しされたままでも分かる。なぜなら暗黒の中に突如、仄かな灯りがぼんやりとではあるけれど確かに点ったから。
「靴を脱ぐんだよ」
 その言葉と共に、ちんぴらが雪の目隠しを剥ぐ。それでも尚光は薄暗い、なぜなら点された照明器具は何であろう、裸電球だからである。今時裸電球やて、古う。
 裸電球に照らし出されたそこは、今雪のいる場所は、確かにひとつの部屋ではある。そうではあるけれど、どう見ても空っぽとしか表現のしようがない、何にもない世界、殺風景というか風景にさえなり得ない、殺伐とした寒々とした、そんな人間の暮らしの息づかいや温もり、生活のにおいとはおよそ無縁の、大きなひとつの部屋ががらんと目の前に横たわっているばかり。成る程お化け屋敷という呼び名も頷ける、如何にも何か出てきそうな妖気すら漂っている。具体的には窓ひとつない灰色の壁が四方を取り囲み、一面に広がる土色のフローリングの床は如何にも凍り付きそうな冷たさ。息が詰まりそうな、例えれば檻のない牢獄であり、先程のドア以外に外界との接点が見つからない、逃げ場のない大きな洞穴である。
 ハイヒールを脱いで、床に上がる。すると、どきどき、どきどきっ、鼓動の高鳴りを覚える雪。けれどその鼓動は雪のものではない、お雪さんのものである。雪の中で、お雪さんの動揺が忙しさを増し、と共に苦悩を帯びる。何で、な、お雪さん、さっきからどないしたん。ここは何処、お雪さんと一体どないな関係があんの、このお化け屋敷。問い掛ける雪へと、どきどき、どきどきっ、お雪さんの動揺は内なる声となり、遂には雪の心の中で絶叫と化す。
『だれか、こいつらをころして』
 だれか、こいつらをころして。心の中で繰り返し呟く雪。だれか、こいつらを……。お雪さん、そやったんか。忽然とすべてを悟る雪。今雪の中で記憶の封印が解かれ、物心つく以前、いやそれより過去、生まれ来る前の記憶すらもが雪の胸に甦る。許されざる忘却の河を渡りて、たったひとつのキーワードによりて『だれか、こいつらをころして』の。
 今甦るあの残酷なる日々の記憶、どきどき、どきどきっ、恐怖、戦慄、暴力、責め苦、出血、失神、嘔吐、空腹、痛み、痒み、不快、汚辱、傷み、怒り、諦め、虚無。女を取り囲む複数の男たちの罵声と嘲笑、男たちから発射され女の体中に付着したどろどろの体液、或いは血管に刺さった不衛生極まりない注射針から注入された後血液によって体内を循環し人格を破壊し尽くす薬物、局部へと挿入された異物、大人の玩具の冷たいモーター音、鞭、蝋燭、縄、鎖、手錠、飛び散ったアルコール類の瓶の破片……そしてかなしみと絶望。
 お雪さん、ほなら、ここがあの場所、あの場所は、ここなんやね。ここが雪の生まれた場所、たとえどんなに悲惨な場所であろうと、懐かしい雪の故郷。確かに弁天川を上流へ上流へと上り、辿り着いた場所なんやから間違いあらへん。なあ、お雪さん。お雪さんて、もしかして雪の本当のママ。自らの心へと問い掛ける雪。けれどお雪さんからの返事はない。
 改めて今自分のいる場所を見渡す雪。お雪さんはただ繰り返す。『だれか、こいつらをころして』な、こいつらて誰、誰かて雪のこと、お雪さん。以前遥か昔に発した問いを、今一度お雪さんへとぶつける雪。我に返ると、部屋の中には雪の他にはちんぴら二人がいるのみ。ゴロ助はベンツの中にいるのか、ここには見当たらない。それとも既にゴロ助はベンツを走らせ、もう遠くへ行ってしまったのか。ちんぴら共はじっと雪を監視している。大人しくしている限り、何か手出ししてくる様子はない。彼らはただじっと何もせず、雪を監視するばかり。煙草すら吸わず、ただひたすら何かを待つように、確かに彼らは何かの到着を待っているようである。

 やがて外に物音がする。車が近付き停車する音、車を降り歩き出す足音、話し声。その声も一瞬静まり、ギィーッ、建物のドアが開かれる。その方角へと、恐る恐る振り返る雪。誰、入ってきたのはスーツ姿の四人の男。あっ、その中に見覚えのある顔、誰あろう忘れもしないMr霧下である。ああ成る程、ゴロ助たちが、連中と呼んでいたんはこいつらやったんか。
 霧下の方とて、雪を忘れる筈はない。一目見るなり、
「おーっ、これはこれは。確かに間違いない」
 驚嘆と歓喜の声で、囚われの雪を歓迎する。ちんぴら共は恭しく霧下たちに頭を下げ、指示を仰ぐ。
「御苦労様、お手柄でしたな。もう下がって宜しい」
 これで雪をつかまえたちんぴら共も、お化け屋敷から姿を消す。
 霧下たちの前に、ひとり取り残された雪。ゴロ助は勿論、今となっては若い衆の二人すら尋常に思える程の、霧下たちの不気味さである。霧下を含む四人の男を前にして『だれか、こいつらをころして』と叫び続けるお雪さんの内なる声は、今や苦悩と悲愴に満ちて、雪の胸を引き裂かんとする程である。
「何、あんたら。雪をどないするつもりや」
 威勢良く啖呵を切ったところで、相手は男四人。しかもこの場所は、連中のテリトリーときている。
 ちんぴら二人が去り、今や邪魔者のいないこの密室に於いて、男たちは早速本性を剥き出しにする。にやにやと薄笑いを浮かべながら、雪を取り囲む。お雪さんの叫び『だれか、こいつらをころして』も虚しく、今の雪にはどうしようもない。何やねん、と睨み返すのが精一杯。男のひとりが行き成り雪を殴り倒す。痛っ。忽ち衣服をむしり取られ、雪は全裸。更には両手首に手錠を掛けられる。これでは抵抗のしようがない、檻に閉じ込められた哀れな裸の小鳥である。
「騒いでも無駄ですよ。ここはね、完全なる防音設備が施されておりますから」
 冷静かつ冷淡な霧下の声。バシッバシッ、雪を殴った男は鞭をしならせ、雪の横たわる床に幾度となく叩き付ける、威嚇。音だけなのに、刺すように痛くてならない。
「さて、如何致しましょう」
 霧下の言葉に、顔を見合わせる男共。組織としては当初の計画通り、暗殺してしまうのが筋。ところが絶世美少女雪を目の当たりにした霧下以外の男たちは、既に理性を失い判断力を鈍らせている。
「うーん、実に美しい、美し過ぎる。この美しさは」
「ビーナス、イヴ、モナリザ、いやいや聖母マリア。いずれにしろ超一級の芸術品ですよ、こいつは」
「殺すには美し過ぎる、勿体無い。余りに惜し過ぎますなあ」
 競う程に雪の美貌を称え合う男たち。
 そこで霧下、
「それではこの美しき人形をば、今宵は思う存分堪能致すとしましょうぞ」
 他のメンバーは同意し頷き合う、にやにやと薄笑い。
 堪能て、どないすんの。
 不安な雪を尻目に、
「その方が、我らが同志を死に追いやったこの娘に対し、罰を与えることにもなりましょう」
 罰、満足げに頷き合う四人。
「ではわたしが手始めに、調教をばして進ぜましょう」
 高らかに宣言すると鞭を持った男は、バシッバシッと雪に制裁を開始する。
 痛っ、痛っ。
 忽ち全身傷だらけの雪。
「痛い、助けて、もう止めて」
 苦しみもがく雪の絶叫が、部屋いっぱいに響き渡る。
「ほら、どうだ。我々はな、美しいものを見ると我慢がならんのだ。冒涜し破壊せねば気が済まないのだよ。はっはっはっはっは」
 こいつら、完全にいかれてるわ。男たちの瞳の奥に宿る、丸で宇宙のブラックホールの如きどす黒い闇に、戦慄を覚えずにはいられない雪。
 その夜、男たちによる制裁、美を冒す儀式は、夜が明けるまで延々と続けられる。失神したら水をぶっ掛け、意識を取り戻せばまた責め苦、そして無限とも思えるその繰り返し。儀式の道具も、手錠、鞭は勿論、蝋燭、縄、鎖、バイブと登場し、ありとあらゆる変態プレイのオンパレード。但し流石の男たちも、桜毒への恐れから折角の儀式のお供えである雪と直接交わることは出来ない。そのフラストレーションが、雪への制裁を更にヒートアップさせるのである。
 そもそも雪の唯一の武器は、性交渉によって感染させる桜毒のみ。それが力を発揮出来ないとなれば、男たちに好きに弄ばれるだけ。流石のお雪さんも地団駄踏むように『だれか、こいつらをころして』と雪の中で虚しく繰り返すばかり。

 やがて夜明けの時が訪れる。狂った饗宴の終わりである。どんなに残酷悲惨な夜であろうとも明けない夜などないのだと、けれどしみじみと味わうだけの余裕すら今の雪にはない。しかも雪にとってこれは、地獄の日々の始まりに過ぎないのである。
 気を失ったまま冷たい床の上に横たわる雪をひとり残し、男たちはお化け屋敷を後にする。
 ギィーッ、ドアが閉じられ、カチャッ、外から鍵が掛けられる冷たいその機械音の後、それでも部屋に静寂は訪れない。なぜなら転がったバイブのモーター音が、乾電池が消耗するまで唸り続けるからである。自らの嘔吐物、蝋燭の蝋、これまた自らの血の滴、体中に付着した男たちの体液、縄と鎖の跡にまみれながら、雪は眠りへと落ちてゆく。全裸であり両手首に手錠をされたまま、寒さも痛み恐怖も今は忘れ。いつもの夢がそんな雪へと訪れる。雪は夢へと吸い込まれる。
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