(三・一)二人目の客

文字数 3,556文字

 月が替わりお節は、エデンの東の玄関に椿の花を飾る。寒さは峠を迎え吉原へ足を運ぶ客の勢いは鈍い。エデンの東も同様で、雪も宇宙駅にて暇を持て余す日々。それに雪としては弁天川で会った少年のことばかりがついつい気になって、客どころの騒ぎではない。少年が言い残した言葉の幾つかが思い出されてならない。例えば、宇宙船とか、憎しみが毒になってみんな死んでしまうとか。何であの子そないなこと知ってんの、いやなぜ雪の心を見抜いたんやろ。そもそもあの少年、何者や。
 そんな雪だから、自然弁天川へと足が向くのは仕方がない。折角の稼ぎ時の夜だというのに、毎晩せっせと通い詰める。寒さ堪え幾ばくかの食料を携えながら、少年たちと会った同時刻、弁天川の河原で待つ。けれど子犬も少年も一向に現れない。
 もう何処か遠い所へ行ってしまったか、それとも誰かに保護されたのか、親の許へ帰ってしまったか。或いはそもそも、あの夜のことはみんな幻だったのではないか、そんな気がしてならない雪である。おかしな夢を見ただけだったのかも知れへん、そう思おうとしてみたところで、未練は尽きない。会えなければ会えない程、会いたくなるのは人の常。雪の関心はいつしか救世主から少年へと移ってゆく。
 節分、立春と吉原の街は雪になる。春はまだまだ遠い。吉原の街はただひたすら商売商売、春になり陽気と共に客の勢いが戻るのを待ち侘びるのみ。お節は未だに、雪に普通の娘に戻ってもらいたいと願っている。こないだの三上組長のように一人でも雪に客が付けば、店としては大きな収益になるけれど、そんなことなどどうでも良い。まだまだ今ならやり直せる、お願い雪ちゃんと、事ある毎に懇願して止まないお節である。
 そんなお節と雪の前に、二人目の客が現れる。衆議院議員北聖治六十歳である。北もまた無類の好色。与党幹事長も歴任した大物で以前はちょくちょくTVにも顔を出していたが、TV画面に映るその清潔感漂う紳士然のイメージとは異なり、裏では国会に通う間も惜しんで好き勝手遊びまくっているという噂。
 しかしそんな政治家の北がまたなぜ、吉原の場末のけちなソープランドに在籍する雪という一介のソープ嬢のことなど知りえたのか。これにはそれなりの訳があった。実は政治家でありながらこの男、あのやくざ故三上組組長の遊び仲間だったのである。どんな因果で顔を合わせお仲間になったものか、その真相は闇の中。知る人ぞ知る、これが裏社会コネクションなのである、だから内緒。
 北が最後に三上と会ったのは、先月三上が雪と遊んだ直後のまだ桜毒が発症する前のこと。流石遊び好きの三上の旦那、性懲りもなく六本木のとある摩天楼ビル一室にて開催されたる仮面SMパーティへと赴いた。その席で三上と北のお二人、頭隠してお尻隠さずの穴兄弟、正に裸の付き合いの仲の良さで肩並べ、互いに別の女と相交わりながらの政治談議ならぬ性事談議に花が咲く。その時三上がついぽろり、そりゃもう自慢げに得意満面笑みを零して雪のことをば口にしたもんだから、北の旦那としたらさあ堪ったもんじゃない。
 こうして北、サングラスに付け髭なんて安っぽい変装を施し、のこのこと今夜エデンの東に足を運んだという訳。でも北とて三上の死を知らぬ筈はない。しかし表向き赤の他人の北である故、その死因については知らされていない。ちなみに三上の死について真相を知る三上組関係者は極秘に調査を行い、半月以内に関係を持っていた雪についても当然疑ったけれど、何しろ雪自身が未だにピンピンの健康体である以上、雪が桜毒であろう筈がない。従って雪は疑いから免れたという次第。
 北にしても三上に負けず劣らずの資産家、庶民からは想像もつかない金持ちである。遊ぶ金に糸目を付けるけちではない。百万の料金も何ら問題なし、変態プレイも駄目なら駄目で良い。
「どうぞ、遊ばせてくれませんか」
 丁寧に懇願されては断れない。お節はまたしても苦々しく思いながら、仕方なく北を雪の待つ宇宙駅へと案内する。
「はーい、いらっしゃいませ」
 宇宙駅のドアを開け、愛想良く二人目の客を迎え入れる雪。その容姿を一目見るなり北、三上同様ぞっこん。その絶世美少女振り、まだ十八のぴちぴちむちむち、こりゃ堪らん。加えて北はロリコン。まだ仄かに残す幼さも、雪の魅力、強力なる武器である。北のロリコン魂に火を点けない訳がない。北は魔法に掛かったようにとろーりとろとろ、最早雪の虜。対して雪、北を一目見た瞬間、お雪さんが確かに『こいつをころして』と叫ぶ。これにて北は雪の客としての条件を満たす。
「きみかね、評判の絶世美少女とは。うーん、確かに評判通り、いい女」
 警戒してまだ素顔は晒さない北ではあるが、身も心も下半身ももうめろめろ、早く雪と交わりたくて我慢がならない。そんな北の姿を内心哀れに思いつつも、雪は甘ったるい声。
「評判て、また。お客さん口上手いんやから」
 ちょうど風邪気味で、その声は少ししゃがれたハスキーヴォイス。それがまた男心をくすぐる。
 ふう、もうわし堪らんと、北は身に付けた一切を脱ぎ捨て、すっぽんぽん。だから素顔も晒して、生まれたまんまの赤ん坊。すると、
「あれま、どっかで見たことあるう」
 北の虚栄心をくすぐる雪。堪らず北。
「どっかて、何処かな」
「んん、ここまで出掛かってんけど」
 自らの喉を指差しじらす雪。
「きみ、分からんのかね。このわたしが誰なのか」
 北はゴッホンと咳払い。
「誰やろなあ、あれ、もしかして」
 首を傾げる雪のその細きうなじ、透き通る白さに、堪らず北は行き成り吸い付くように雪の首に自分の唇を這わす。
「あん。まだ、あかんて、お客さん」
 鼻にかかる声も色っぽい、でもしっかりと北の唇を掌で遮る雪。しかし北の理性は既に木っ端微塵。
「わたしはもうそれを我慢出来なーい。金も払うし変なこともしない、だから何も問題ないではないか、さあ早く致そうではないか、きみ」
 そこで雪は三上の時と同様、北にも警告を発する。今迄自分と関係を持った男たちはみんな桜毒にて死んでしまったと。勿論診断書も見せ、自らの健康には何ら問題ないことも医学的に証明しつつ、
「そやから雪と遊んだらな、お客さんもあの世行かはるかも知れへんで。それでも構わん言いはるなら、結構でっせ、雪何ぼでもお相手します」
 すると北。
「何だって、きみはこのわたしを脅すつもりかね。しかしわたしはそんな脅しには絶対に屈しなーい。なぜならわたしは天下の衆議院議員、北、おっと自己紹介はここまで」
 といっても正体は既にばれてはいるけど、ゴホンゴホンと咳払いで誤魔化し、
「兎に角わたしは、きみの脅しには屈しなーい偉い男なのだ。だから、さ遊ぼ、きみ」
 雪が桜毒ではないから安全だとして雪と遊ぶに及んだ故三上組長に比して、いささかおつむが幼稚な北代議士である。
「ま、遊ぶ、遊ばんはお客さんの自由でっけど」
 雪も呆れ気味に言い放つ。その商売っ気のないクールな物言いもお高く留まっているふうで、男としては征服欲を掻き立てられる。ミニスカからはち切れんばかりに露なむちむちの太ももも、ちらちらと見え隠れする白いパンティも、さっきから北の下半身をずきんずきんと突付いて止まない。
「では何も問題なーし。さ、いざ寝ましょ寝ましょ。夜は短し、恋せよジュニア。先ずはシャワーでわたしのジュニアを」
「なら、しゃない。お相手します」
 観念する雪。すると獲物に食らい付く野獣か或いは乳呑み児のように、雪のスレンダーボディに抱き付く北。その時またお雪さんが『こいつをころして』と激しく叫ぶ、雪の目が暗闇の野良猫のそれの如くぎらりと光ったようでならない。一見男であり客である北の方があたかも獲物を弄ぶ野獣のように思えるが、その実雪の方が獲物に食らい付き離れない獣のようでもある。己の目的を成し遂げる喜びが獣の全身を満たして止まない。こんな時雪はいつも自分の体が自分のものではない、何か別の何者かに乗っ取られたような感覚でいて、ただ無抵抗操り人形のように従うしかないのである。
 こうして北は自らが遊んだようで、実は小娘雪に逆に好きなように弄ばれつつ真冬の一夜を過ごし、時は既に夜明け前。一晩中雪の肉体に遊び、精も根も尽き果てた北は、最早ぼろ雑巾、くたくたに疲労し、迎えの車、公用車を呼ぶ。
「なあ雪よ、わたしの秘書になれ。お手当てははずむぞ」
 別れ際真顔で持ち掛ける北に、
「生憎、雪な。この部屋から一歩も出られへんの」
「なぜだ、男か」
 頷く雪に、
「では仕方がない。また来月必ずや来させてもらうから、待っててくれ」
 そう言い残すと、北は迎えの車に乗り込み、誰にも知られず夜が明けんとする吉原の街を隠密に去ってゆく。
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