(六・二)夢

文字数 2,039文字

 夜明け前何処とも知れない雪の降り頻る景色がしばし沈黙の中に続いた後、眩しい空の青さが窓の向うに広がっている。窓とは、教室の窓、そこは小学校である。授業中、少女はいつもぼんやりと窓を見ている。
 女に手を引かれ、少女は無事小学校の門をくぐる。一年生の時から少女は男子の人気者、うじゃうじゃ周りを取り囲まれる。ところが相変わらず少女は男嫌い、一向に男子に関心を示さない。他の女子生徒は少女がお高くとまっているようで面白くない。日を経るに従い女子生徒たちは少女から離れ、少女はクラスの中で孤立してゆく。
 それでも絶世美少女の片鱗は事ある毎にきらりと光り、お人形のような愛苦しさは健在である。加えて聡明でもあり、学校の成績は優秀で文句のつけようがない。誰からも一目置かれる孤高の人的存在になる。
 そういった一切を、少女自身は余り気にしていない。性格は穏やか、暢気で楽天家。家では唯一の家族であり母親である女を大切にし、心優しい娘として育つ。女も最早少女を吉原の街に連れて行くことはなくなり、家の職業については学校にも少女にも曖昧にサービス業とだけ教え、詳しくは語らない。それでも低学年は何とか波風も立たず無事時は流れ、少女は順調に進級を重ねる。
 五年生になると、絶世美少女振りに加え女としての色気も香り始める。相変わらず頭も賢く真面目に勉学に励み、男子には変わず絶大なる人気を誇る。なのに病的なまでの男嫌いに変化はなく、男子には無愛想。そんな一貫して男子に冷たい態度を取る少女に、少女を傲慢と嫉妬していた女子生徒たちは徐々に少女との仲を回復させてゆき、一転少女はクラスの人気者に。友達が出来て、少女は友達の家に遊びに出掛けるようにもなる。
 すると他人の家庭の様子が、自分の所と大きく違っていることに気付く少女。先ず父親の存在、それから兄弟姉妹の存在。またどの子の母親も若く、自分の母親とは大違い。どう見てもお婆ちゃんにしか見えない自分の母親に少女は疑問を抱き始める。ママて本当に自分のママなんやろか、ママが本当に自分を産んでくれたんやろか。けれど毎晩深夜仕事に疲れて帰宅する女に対し、少女は疑問をぶつけることが出来ないでいる。本当のことを知るのが恐い、それにママを傷付けてしまうんちゃうやろか。
 少女は曖昧な気持ちのまま、悶々とした日々を過ごす。何でパパいてへんのやろ、もしかして自分は養女かも知れへん。もしそうだとしたら、本当の親が何処かにいてる筈。ああママに確かめたい、でもでけへん。あれこれと思い煩う少女は、勉強も手につかない。
 何処か遠い自分の知らない町に、自分の本当の親がいるかも知れない。ぼんやりと教室の窓から遠くを見ていることも多くなり、穏やかで天真爛漫だった少女は時より暗い表情さえ見せるようになる。本当のパパとママて何処にいるんやろ、どんな人たちなんやろ、何で自分のこと養女なんかに……。
 はっと目を覚ます雪。まだ残る夢の余韻の中で、懐かしさと切なさとが胸を締め付ける。まだ子供だった、何にも知らない或いは何もかも忘れていた自分がいじらしくてならない。と同時にもう二度とあの頃、少女時代には戻れないことも悟る。尤ももう戻りたいとも思わへんけど、と苦笑いの雪。

 時より夏の暑さも顔を覗かせる月の終わり、青ざめた顔をしてお節が宇宙駅のドアを叩く。変態作家海野が死んだことの知らせである。エログロ三流作家のこと、新聞の三面記事の片隅にちょこっと載っているだけの、ワイドショーにも取り上げられない小者の扱い。しかも死因は不明とされている。
「ママ、よう見付けたなあ」
 雪も感心するお節の注意力ではあるが、すっかり神経過敏になったお節は、海野が来店した日以降ずっと主要な新聞、雑誌、TVのチェックを怠らずにいたという訳。
「ま、しゃないわな。ご本人が望みはった結果やさかい」
 肩をすぼめるお節に、
「そやねん、ロシアンルーレットとか言わはって。でも御免なママ。ほんま迷惑ばっか掛けて」
 母娘で互いにかばい合い、今後は警察の取調べやら吉原の街の風当たりもますます強くなるだろうと覚悟、警戒を強める二人。
 お節が宇宙駅を後にすると、例によって憂鬱がどんよりと雪の心を重苦しくする。逃れるように雪は、子犬と少年のことを考える。そういえば警察は少年に何かちょっかい出してへんやろか。心配でならなくなり、雪はどうしても今直ぐ少年に会いたくなる。会って無事を確かめたい、会わなならん、会いにいこ。こうして雪は、夜を待って弁天川へと向かうことに。
 何もない日、詰まり客が死んだことを知った日以外に弁天川の河原に赴いても、子犬と少年がそこにいないのはもう充分分かっている雪であるから、近頃はもう無駄に足を運ばない。逆に誰かが死んだと知った日は、必ず会える。丸で少年と会いたいが為に誰かの死を望んでいるようなものやな、その為に商売しているようなもんや雪、とは悪い冗談にもならないと苦笑いすら出来ない雪。
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