(五・四)蠍座ステーション

文字数 2,862文字

 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……宇宙の中に一際妖しく燃ゆる蠍の炎。されど暗黒の宇宙をば照らさんとして蠍は燃焼するにあらず、怒りと悲しみと憎しみとによって燃え滾るなあーり。殊にも憎しみの炎は毒を放ちて、宇宙に漂う星屑共をば飲み込まん。さすれば蠍は何故に永久とも思える年月、そげに憎しみの中に身を置き続けるや。それは宇宙に悪の文明はびこり、栄華を誇り続ける故。蠍は今宵も怒り、嘆き悲しみ、憎しみの毒をば宇宙の闇へと撒き散らす。目には目を、悪には毒を、蠍の毒にて悪を滅ぼさんと願いつつ、されど願いは未だ叶わず、憎しみだけが万年雪の如く降り積もる。その苦々しき宇宙の惨状の中で、悪は笑い蠍は嘆く。誰ぞ蠍の涙を拭ってくれる者はなきや、救世主はまだか、救世主はいずこ。いつまでも蠍の絶望を見棄てず、どうか幸いとやすらぎの日々を与え給え。

 バビブベブー、こちらは蠍座ステーション。メシヤ567号殿に告ぐ。そなた宇宙塵の噂によれば、太陽系第三惑星まで行かれるそうな。お止しなさい、悪いことは言わんからお止しなさい。彼の惑星は地獄でっせ。第三惑星人の面を被った鬼畜外道共が、第三惑星人をば支配し、好き勝手し放題。酒、女、金、犯罪、殺人、戦争、何でも御座れ。悪いこた言わねから、お帰りなさい、引き返しなはれ。救世主の都、宇宙のパラダイスへと。以上、バビブベブー。

 ピポピポピー、これはこれは蠍座ステーション殿、有難き助言痛み入ります、こちらはメシヤ567号。ただ今救世主は出張中にて失礼致します。どうやら今宵は宇宙も激しい嵐の様子、その中を一晩のお宿かたじけない。嵐の治まるまで、しばし長旅の骨休みお許し下され。早速では御座いますが、我ら、第三惑星はYoshiwara駅へと参ります。貴殿のご忠告は御尤も、なれど我ら、そうと分かっておりましても参らねばなりません。なぜなら売春について、最後の審判をば下さねばならぬ為です。
 ええ確かに一握りの鬼畜外道、其奴等が上手なことに例えば経済だとか貨幣制度だとか民主主義だなどと聞こえの良いものをこしらえ、第三惑星人全体をたぶらかし、好き勝手支配しております。悪には悪が集い来るもので、マフィアは勿論のこと、政治、経済、芸能、司法に至るまで、その道の野心を持ったる連中が、闇の支配者の下へぞくぞくと集結し、裏で蠢き暗躍し、悪の華をば咲かせているのが第三惑星人社会の現状。その中にあって一際毒々しき仇華こそが何でありましょう、売春に他なりません。
 彼のYoshiwaraも見た目はネオンチカチカ、厚化粧の娘たちが色鮮やかに咲き誇ってはおりますが、裏を覗けば第三惑星人の生き血を吸い尽くすバンパイアの如くヤクザ共が小娘たちの折角の稼ぎをばねこばばしておいて、それがさもご立派なビジネスモデルだとか経済だと申してふんぞり返っている。正に強き者が弱き者から搾取する、誰かの犠牲によって初めて繁栄の成り立つ、これが貨幣制度下に於ける典型的民主主義の正体であり敗北であり、これこそが悪の文明システム。かくて哀れなるかな厚化粧の娼婦共は身も心もぼろぼろのぼろ雑巾の如く使い捨てられ、年老いてゆくのです。
 ならば売春やらYoshiwaraなどさっさと滅ぼしてしまえば良いではないか、そんなこたあんた、救世主さんならお茶の子さいさいと思われましょうが、確かに滅ぼさんとすればほんの一瞬、赤子の手を捻る、玩具の積み木を崩す、或いは端から幻影でしかない砂上の楼閣をばふっと一息で吹き消してしまうようなもの。されど悲しいかな、救世主にもひとかけらの心有りて、情けやら憐憫やらまた感傷などといった雑念が、どうも邪魔をしてしまいます。邪魔の魔も悪魔の魔ならば、何とも面目ない、また致し方なき事かいな。
 悪の中にも、鬼畜外道、バンパイア共の心にも、勿論心などという代物が奴等めの中に存在するならばという前提で、彼らにもひと滴のやさしさは無きや、温もりは、幼き日に見た清き夢の記憶は残っておらぬものかと、ついつい淡き期待をば掛けてしまいます。Yoshiwaraの夕映えに溶けるネオンやら、ソープランドのビルの上にも瞬く銀河やら、夜の罪をば洗い清めるが如く朝のアスファルトの路地に舞い落ちる桜の花びらやらが何ともついいとおしく、自らは腹を空かして野良の子猫に餌を恵む娼婦共の情けに満ちたる姿などをば垣間見ますと、もうどうにもいけません。ついもう堪らなくなって、こうしてまだ上手く迷いを断ち切れずにいる愚かな救世主で御座います。
 なれどそうそう迷ってもおられません。蠍座ステーション殿のお怒りと悲しみそして憎しみも御尤も。それに加えひとりの娘、第三惑星Yoshiwaraに咲く少女の運命も掛かっておりますから。と申しますのも本来ならばミスユニバースに選ばれてもおかしくない程の美貌と、一面か弱き一輪の野の花の如き可憐さとを持ち合わせたるその娘が、何故かそのか弱き肩に背負い切れぬ程の憎しみを背負いて、ただ今たったの一人ぼっちで巨悪連中へと闘いを挑んでおる最中で御座います。このままだと娘の身も危うき故、どうしても我ら急いで第三惑星Yoshiwara駅へと向かわねばなりません。どうぞどうぞ、何卒ご理解賜りますよう宜しくお願い致します。

 バビブベブー、成る程、そなたのお気持ち痛い程にお察し致します、こちらは蠍座ステーション。ならならばメシヤ567号殿に告ぐ。今宵宇宙はまだ、泣かせて下さい、蠍の涙の土砂降りの中、もうしばらくごゆるりとお過ごし下さいませませ。なぜなら明日になれば宇宙も晴れる、晴れて良き旅立ちの朝となりましょうから。それではご機嫌よう。

 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、宇宙の旅路はまだまだ長いなれど、それでも一星一星着実に、Yoshiwara駅へと近付きつつあるのもまた確か。かくして果てしなき宇宙船の旅はこれからも続くのである。ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。

 気付いたら雪の耳には、少年の子守唄が聴こえている。
「ほな、またな、にいさん。おやすみ」
 子守唄を背に雪が弁天川の河原を去ってゆくと、何処とも知れず潜んでいた男二人組が再び姿を現し、音もなく少年へと近付く。ところがそれより早く、子犬と少年は蛍の如く体中から光を発する。その目映さに男たちは堪らず立ち止まり、腕で目を隠す。すると光は弱まりそれからすーっと失われ、男たちが再びその場を目にする時、もう子犬と少年の姿はない。にも関わらず何処からか少年の歌声が、しばし男たちの耳にも聴こえ来るのである。
『……高層ビルの灯り、空港の灯り、宇宙船でもやってきそうだ、寒さこらえて待っていよう、辛さも悲しみもこらえて、子犬とふたり……もしもあの宇宙船が、きみを助けにくる夢を今夜見たならば、きみはいってしまうかい、この悲しき宇宙ステーションを残して』
 ただ弁天川の河原には、最後の桜の花びらたちがゆらゆらと夜風の中に舞っている。
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