(一・二)ゼロステーション

文字数 2,328文字

 お節が去り再び宇宙駅にひとり、というかエデンの東自体店仕舞いの為、店内にひとり取り残された雪である。今や誰ひとり雪を邪魔する者はいない、雪は宇宙駅の中でじっと目を瞑る。目を瞑り耳を澄ませ、宇宙の遥かを思いやる。今遥か遠い宇宙の彼方より、無限なる星々の煌めきと無の如き闇の中をただひたすらに、この銀河系太陽系第三惑星そしてYoshiwara駅をば目指し来る救世主を思って止まない。
 今は宇宙のどの辺りやろか、いつ雪の前に現れ来て下さるやろか、閉じた瞳に耳に五感のすべてに夢に、雪は感じられる気がしてならない。救世主と名乗ったその御方が恐らくは乗船されたる未確認飛行物体いわゆる宇宙船の姿や、宇宙の海を渡りてこの銀河系へと高速なれど宇宙からすれば僅かな距離でしかない速度にてゆっくりゆっくりと接近するその運転音や、宇宙船の窓から見渡せる壮大なる宇宙の眺めをば、ため息と共に感じずにいられない。
 雪は空想する、十八歳の夢見る少女に帰って。星々の煌めき、爆発し宇宙の藻屑と化す星、新しく生まれくる星、ぶつかり合い合体する星、分裂する星。幾数千万億の星々が群れなし宇宙の中に無数の海を形成し、各々の海に於いては星々の暮らしが営まれ、星々の生命のノイズは潮騒となって宇宙の波打ち際へと押し寄せ、打ち寄せては引いてゆく。その壮大無限なる波音に混じって聴こえ来る宇宙船内の乗組員たちの会話、やり取り、宇宙の中に点在する宇宙駅との交信電波のノイズまたノイズ……。

 ピポピポピー、こちらはメシヤ567号。この宇宙を不完全なるままに産み落としたもうた完全なる虚無或いはゼロステーションに告ぐ、応答願います、ピポピポピー。

 バビブベブー、こちらはゼロステーション。メシヤ567号に告ぐ、汝如何なる理由に於いて、この禁断のゼロステーションをば通過せんとするや、至急返答致されよ。さもなくば汝らを永久の無に帰する所存である、覚悟致され、バビブベブー。

 ピポピポピー、こちらはメシヤ567号。我らは銀河系太陽系第三惑星の地にYoshiwaraなる罪深き汚れたる街有りとの通報を受け、今調査に向かわんとするところ。彼の地は現在雪なる少女並びに多数の売春婦の犠牲の下に成り立っておりまして、我々直ちに彼の星へと向かい、裁き即ち最後の審判をば下したく願う次第。何卒ゼロステーションの通過をばお許し下さいませませ、ピポピポピー。

 バビブベブー、こちらはゼロステーション。なーるほど、救世のお役目御苦労さん。了解了解、それでは無限なる無、如何なる拘束からも断ち切られたる自由の理想郷であるところの無の世界より、有限且つ時空間制約並びに物質的現象的限界に支配されたる有の世界へと堕落せん為の変換径路即ちゼロステーションの通過をば許可致す。良き旅を、バビブベブー。

 ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー、海の波音のようなノイズに掻き消されたかと思うと交信は途絶え、後は沈黙の宇宙へと沈む。

 一方視線を宇宙船内に移せば、壁にずらり幾数千万とも数えるTVモニタが所狭しと並んでいる。何が映っているかといえば、宇宙に存在する各宇宙ステーションの映像である。宇宙の中の要所要所に宇宙ステーションを配置し、そこをチェックすることで宇宙全体を監視するという仕組み。こうして救世主は常に宇宙を見守っているという訳、流石救世主、御苦労さん。
 そのモニタ群の中央に何やら見覚えのある映像が流れており、それこそがYoshiwara駅である。銀河系太陽系第三惑星その中の日本の東の都、東京都台東区千束町に存在するという夜と悪の世の仇華、第三惑星人が犯し続ける売春という重き罪と悲しき歴史をば一身に背負いたる魔物巣食う街。ただそれだけの街ならば、ただそれ故にやがて散りゆかねばならぬのは、夜の明けと共に夜が滅び去るが如き宇宙の定めというもの。
 とは言いつつも何か気になる、何かが我が心に引っ掛かるのは何故か。Yoshiwara駅のモニタ画面をじっと見詰めながら、思案に暮れる救世主。例えばYoshiwara駅にネオンライトが点り出す夕暮れ時の切なさやら人恋しさ、それから明け方のネオン消えたる街の片隅を餌を探して宛てもなく彷徨う野良猫の侘しさなど、数え上げれば切りなき程の生きる命のいとしさがそこ彼処に詰まっているのではあるまいか。それに顧みすれば、そもそも売春とは罪なりか、必要悪ではあるまいか。うーむ、まだまだ検討の余地ありき。それらを見捨て目を瞑ってまでして、我は彼の地を滅ぼすべしや。
 こうして今宵も救世主は途方に暮れる。まだ時間ならある、まだもう少しじっくりと観察してみよう、夜の華咲くYoshiwaraの街を。その為にも我はもっと、第三惑星人の喜怒哀楽をば理解せねばなるまい。
 視界をモニタ画面から宇宙船の窓へと戻せば、そこにはただひたすら続く星々の煌めきが広がるばかり。銀河系太陽系へと向かう遥かなる航海は今正に始まったばかり、宇宙船の旅はまだまだ果てしなく続くのであった、ピポピポピー、ピポピポ……ザヴザヴシュワー、ザヴザヴシュワー……。

 ふっと雪の空想が途絶える。目を開けた雪の目の前、宇宙駅の窓から見える暗い夜空に何かが小さく光る、しかもふたつ。ふたつの光はそのまますーっと地上の何処へとも知れず流れ落ちて消える。粉雪の欠片かそれとも流星。
「何やろなあ」
 ため息混じりに零す雪。されど粉雪でないことは直ぐに分かる、なぜならはじめから雪など降っていない。ならば流れ星。
「しもた、願い事すんの忘れた」
 ふわあっと大きく欠伸すると、そのまま眠りに落ちる雪。雪の願い事、それは最後の審判即ち人類滅亡に他ならない。
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