文字数 1,888文字

その日、冴は二人を自宅に招いて酒を振舞った。
「俺の実家は山形でさ。祖母ちゃんがくれたんだ。こっそりと。アオアラシの卵だって言って。
あっ? 祖母ちゃん? 元気だよ。現在87歳でしゃきしゃきしている」
冴はビールを飲みながら言った。
「3年間、スーツケースの中で飼育をするんだ。昔、祖母ちゃんが山で捕まえたんだって言っていた。アオアラシを。それが卵を産んだんだ。祖母ちゃんと俺は似ているんだ。人には見えないものが見える」
「祖母ちゃんは色々な秘密をもっていた。アオアラシもその秘密のひとつさ」

「だから、一体そのアオアラシって何なんスか?」
拓朗が手羽先を取って言った。彼はもう手羽先を20本以上も食べた。ビールは5本目である。

「アオアラシって『風』なんだ。風使いなんだよ。5月の風使いだよ」
「一年で卵から孵って幼生になる。ちゃんと養生して育てれば、3年後には手乗りアオアラシになるって教えてくれた。俺の言う事を良く聞くペットになるって。俺は凄くワクワクしたよ」
恵美子もビールを飲みながら言った。
「そんな危険なモノを手乗りにしてどうするのですか?」
「風を起こすんだよ。へっへっへ。決まっているだろう? びゅんびゅん風を吹かせて、それに乗るんだ。ウインドサーフィンで。めちゃくちゃおもしれえぞ」
冴は嬉しそうに笑う。
拓朗と恵美子は顔を見合わせる。
「そんな理由・・・」
はあ・・とため息を吐く。

「アオアラシは卵から孵るとその殻を食べて成長するんだ」
冴も手羽先をひとつ摘まむ。
「このスーツケースは祖母ちゃんがくれたんだ。アオアラシの保護の為に薄い鉄板が張ってある。だから重いんだ。で、その内側は低反発のクッションとダウンを重ねた面になっているんだふかふかなんだ。特注なんだよ。まあ、言うなればアオアラシのふ卵器だ」

「祖母ちゃんは詳しい飼育の仕方を教えてくれた。こいつは放置して置いてはいけないんだ。卵の時は一日に一度は転卵しなくちゃいけない。ああ。転卵と言うのは卵をひっくり返す事さ。ちゃんと孵化するように。こいつの場合はスーツケースを動かしてどこか散歩に連れて行かなくちゃならない。
卵から生まれて幼生体になったら、週に何度かパワスポへ連れて行かなくちゃならない。それはもう『転卵』では無いけれど、俺は『転卵』と言っている。似た様な物だからな。移動させなくちゃならないんだ。『風』だからな。で、出掛けた先でちょっと放置する。それを俺と婆ちゃんは『養生』と言っている。わずかな時間だけれど、絆を結んだ人間と離れて自然の中に置くんだ。パワスポで養生をするんだ。自然や神様からパワーをもらうために。で。アオアラシはそのパワーを貰って大きくなるんだ」

「だが、スーツケースを開けてはいけないんだ。生育途中でスーツケースを開けてしまうと、またやり直しになるんだ。特にパワスポじゃ絶対に駄目だ。そっちの方がパワーが強いから風太はそっちに引かれてしまうんだ。本当に絆を結んだ人間を忘れてしまう事があるんだ。それで野生に返ってしまう。そうなるともう帰って来ない」
「ふうん」
「スーツケースにネームタグを付けて置けばいいのに」
恵美子は言った。
「うーん。僅かな時間だったから。それに今まで盗まれた事も無かったし、暗証番号も8桁だったし・・・」
冴はそう言って拓朗を見る。拓郎は慌てて下を向く。

「何で女子トイレのパウダールームなのかしら?」
恵美子は言った。
「さあ? ここへ置いて行けって風太が言った」
冴は顎に手を置いて恵美子を見る。
「女が好きなのかな?」
そう言ってにっこりと笑う。
恵美子は何故か顔を赤らめ、ちょっと狼狽える。
冴は黒いシャツとパンツ姿だ。襟元から伸びる白い首と耳に揺れる銀のピアス。
髪はショートだ。綺麗な男性と言われれば、見えない事も無い。

「アオアラシって、冴さん的にはどんな風に見えるのですか? 鳥ですか?」
恵美子の狼狽えに気付かない拓朗が言った。
「ああ、カナヘビだよ。緑色のカナヘビだ」
冴がそう言って「ぎゃっ」と恵美子は叫んだ。
「ヘビ? ヘビが背中にいたの?」
冴はふふふと笑う。

「カナヘビって何ですか?」
拓朗がスマホに聞いた。
「有隣目トカゲ亜目カナヘビ科カナヘビ属に属する爬虫類で日本を代表するトカゲです」
スマホは答えた。

「羽化すると虹色のすごく綺麗な羽が生えるんだ。祖母ちゃんのアオアラシの羽はとっても大きくて立派だった。・・・アオアラシは羽の生えた綺麗なカナヘビなんだ。ワクワクするなあ。
おい。風太。早く大人になって出て来いよ。兄ちゃんと一緒に風に乗ろうぜ。」
冴は微笑んでスーツケースを愛おしそうに撫でた。

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