文字数 1,745文字

柏木は橋の欄干に両手を置いて前を見る。
僕はそこに背中を預けて後ろを見た。

神社の叢林の向こう側に黒い屋根が見えた。
茅葺屋根の様な・・・。
山門だ。

「柏木。そこに寺がある」
僕は寺を指差した。
柏木は振り返って後ろを見た。

「ああ・・本当だ。参道からは見えなかったが・・・」
「行ってみるか」
そう言って僕達は橋を後にして、参道に沿って植えられた叢林の向こう側にぐるりと回った。
やっぱり寺だ。
と、視線を森の方に向けて・・・。

僕達はしばらくそれから目が離せなかった。
大人の大きさ程ある石地蔵。
山門からの正面に置かれていた。

「これか・・」
僕はそう思った。
びりびりの原因は多分これだ。
場所はさっきの石橋の丁度裏辺りである。

叢林を挟んでこれがあったのだ。
何で、こんな所にぽつりとこれがあるのだ?
鬱蒼とした森を背中にそれは慈悲深い眼差しで僕と柏木の腹辺りを見ていた。


柏木はそこに近寄ると灰色の体に手を近付けた。
「何か感じる?」
柏木は首を傾げる。
「いや、特別・・・」

僕はそれに近寄ってそのお顔をしみじみと眺める。
同じ様にその体に手を近付ける。
手が押し返される感じがする。
お地蔵様の全身から何かがもわっと出ている、そんな感じ。
嫌な感じではない。
僕達は両手を合わせて丁寧にお辞儀をした。


山門に近寄ってみた。
小さな山門から一本の長い道が伸びていた。
驚くほど真っ直ぐな道だな。
そう感じた。
道の先は本堂の中心に向かっていた。ピンポイントでその一点に向かっていた。

道は山門から中門を通りダイレクトに中心へ。
もう一方の端は石地蔵に。

そしてその道はやたらクリアだった。
何でこんなにはっきりと見えるのだろう。道の先まで。
僕は目を瞬いた。
その清澄さに・・その空間の濁りの無さに違和感を覚えた。
はっきりし過ぎている・・・。

人はいなかった。

「行ってみますか?折角だから」
柏木が言った。
「嫌だ。」
僕は即座に断った。
「行きたくない」

柏木はカラコンを通した透明な視線で僕を見た。
「何で?ただの寺ですよ」
柏木のカラコンは黒だ。
「僕は行きたくない。行きたいのなら、君が一人で行けばいい」
「大体、そこに並んでいる、あれが嫌だ。あの石仏。ずっと並んでいて・・何であんなにあるの?」
「化野念仏寺に比べれば、大した事はない」
「でも、嫌だ」
僕はびりびりと痺れる掌を擦り合わせる。
柏木はにやりと笑うと山門に向けて歩き出した。それを抜けてゆっくりと道を辿る。
本堂の中心。寺のご本尊の前に。
僕はその後ろ姿を見守る。


柏木が本堂の前でお辞儀をしているのが見えた。
そして振り返ると、彼は手を上げて僕を招いた。
僕はそれに背を向けると地蔵様の前に行ってそこで柏木を待った。

「行きたくない」と思った所には絶対に行かない事にしている。
たまに、それとは気付かなくて、嫌な場所に入り込んでしまって早々に逃げ出した事もある。
勿論、柏木に連れ込まれた事も。
あいつはどこでも平気だから。
気が付かなくて平気なんじゃなくて、気が付いているくせに平気なのだ。

柏木が戻って来た。
地蔵様の前で待っている僕を見てにこりと笑う。
「弱虫」
そう言った。
「うるさい」
僕は返した。

僕達は参道を歩いてもう一度神社に向かった。
石橋を通り過ぎる。
社を通り過ぎ、横手の鳥居から外に出た。
車に乗り込んで柏木に聞いた。

「何かあった?」
「いや、・・でも確かにゼロ磁場って感じがしました」
柏木は車をバックさせながらそう言った。
掌のしびれが消えて行く。
「適当な事を言ってんじゃねえよ」
僕は言った。
柏木が一瞬、僕を見た。
あれ?
柏木が慌てる。
片目のカラコンが落ちて、青灰色の透明な瞳が僕を見る。

柏木は慌てて衣服の辺りを探す。
僕も探す。
見当たらない。
諦めてダッシュボードからサングラスを取り出す。
駐車場から車を出しながら彼は言った。

「ゼロ磁場か何だか分からないけれど、あそこに何か走っていますね。・・・『淵』ですかね。
亀裂と言うか・・・。あの石地蔵、真っ直ぐに寺に対峙していたでしょう?あれ、見張っているのかな・・多分、地蔵と寺のご本尊と道の両脇の石仏。四方固めてある。一瞬、消えましたよ。ピリピリも何もかも。音も。自分の足音さえも」

僕は運転をする柏木の端正な横顔を見る。
「・・・嘘を吐くな」
そう言った。
柏木は前を見たままふふふと笑った。
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