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 カヴァデイル家の荘園屋敷(マナー・ハウス)で茶会が開催されている頃、ダンバーの街中もちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。どうやら茶会の当日を新茶の販売開始日へ当てているらしく、毎年こんな有り様なのだそうだ。
 シャノンも茶会が終わらねば本格的な仕事が始まらないため、本日も引き続きダンバーを散歩中である。
 正確には昨日、布屋の女将から聞いた手芸店へ出かけるところだ。午前中から仕立て部屋の確認に費やした結果、必要だろうな、と判断したわけだが。
 プリジェン卿が用意した試作ドレスとやらは、自身が古い花嫁衣装を元にしたこともあってか、古典風から最新の意匠まで、多種多様に取り揃えられていたのである。あれらに手を加えるとして、古いリボンやテープが欲しくなったのだ。女将が言うには、件の手芸店はそういった物に強い店らしい。
 辿り着いたのはやはり小さな店で、古びた風情が小洒落た建物だった。日除けの影に細長く小さな窓があり、建て具の作りは存外古い。
 丁寧に修繕された風情の扉を開けて店内を望めば、劣化を嫌ってか存外薄暗い。ぐるりと見える範囲の棚には、みっちりとリボンやテープが一巻ずつ収まっているようだ。
 他には手芸店らしく、様々な糸や金具、裁縫道具たちが、あるべき場所へと奇麗に詰め込まれていた。清掃も行き届いているようで、埃っぽさも微塵もない。
 古びた木枠の小さな窓辺に近いところには、幾つか小物の完成品が飾られているが、あれは店主の手による物だろうか。飴色の丸いテーブルが置かれた一角は、建物の外から覗き込んでも雰囲気が良かった。
 高低差をつけて飾り付けられたそれらは、間近に見ても素晴らしい。大振りな花のコサージュは紅茶色に染められたレースで作られていて、素朴で可愛らしい佇まいをしている。丁寧に鮮やかな小鳥と花々を刺したハンカチも美しいし、トルソーに着せられた赤子用の白いドレスやボンネットが丁寧な仕事で、なかなか可愛らしい仕上がりだ。
 そんな慎ましくも可愛らしい店の奥に座っていたのは若い女性で、大きな目を瞬かせて珍客に注目している。
 この店は長らく可愛らしい老婦人が営んでいたそうだが、儚くなった末に孫娘が後を継いだらしい。商いはとても古く、置かれた品々の品質も素晴らしいのだとか。
 布屋の女将から聞いた情報を思い出しながら、職業を明かして彼女の紹介で訪ねたのだと告げる。果たして若き店主は、満面の笑みを浮かべた。
「そういうお客さんは歓迎! というか、テーラーさんがうちに来るなんて、珍しいこともあるのね」
「俺も、本業に専念したいんですけどね」
 軽く肩を竦めて応じ、幾つか目的のテープを見せてもらう。
 細かく柄を織り込まれた丁寧な仕事の数々は、素朴な可愛らしさに溢れている。女将のお薦めだったレースリボンも種類が豊富で、現代の仕事だという綿レースリボンにも、幾つか良い仕事が見られた。
 それらを眺めていて、ふと思う。
 例えば紳士向けのシャツでも、カフスの裏側、袖を折ったら見える縫い合わせの部分に、こうした薄いテープをパイピングしてやるのはどうだろうか。
 袖を捲って仕事をする人物なら、ちらりと見えるのも良いかもしれないな、と。思い浮かべるのは、ラッセルやマーシャルだ。
 それなら同じようにして、女性の場合もカフスの内側へ、綿レースを仕込むのはどうだろう? 寧ろカフスを折って、表情を変えられるのも宜しくないか。
 その場合はシャツのような物よりも、羽織ものの方が良さそうだ。春先や秋口用の薄手の上着で、少しゆとりのある、太めの袖がいい。長めのカフスを折ってやれば七分程度の長さになるとか。
 そんな使い方に適していそうな細い綿レースはないだろうか、と尋ねてみると、店主は頬を上気させて「素敵!」と手を打ち合わせた。
「それ、きっと可愛いわ! そうね、それなら……あぁ、そうだ!」
 待ってて、と慌ただしく店主は踵を返した。そうして店の奥、恐らく倉庫のようなところから大きな箱を抱えて戻ってくると、中身をシャノンへ示す。
「こういうのはどう? 全部、子供の寝衣に使われるお品よ。この辺りの細いのは、縁取りとかに使うの」
「なるほど。素材も柔らかいし、肌触りもいいかも」
 小さな衣服を飾るための物だから、レースの編み込みも細かくて可愛らしい。これはいいな、と箱の中を漁らせてもらい、幾つか購入したい物を取り出す。
 選別しながら話しを聞いてみれば、ここは小売店でありながら、中卸しを介さないで仕入れている品も多いらしい。シャノンが求めるテープやリボンは殆どがそれで、大昔の契約そのままに、小さな工房から直接納品してもらっているそうだ。
 またすぐに入荷するから一巻持っていってもいいわよ、と事も無げに言ってくれる店主に感謝しながら、汎用性の高そうな細い綿レースを幾つかと、テープにレースリボンも複数、一巻で買うことにする。
 それから、アンティークレースのリボンを幾らか求め、シャノンは手芸店を後にした。
 これで大体揃ったかな、と宿への帰路を辿りながら反芻していた彼は、そのまま活気のある通りへぶつかった。賑わう往来を歩きながら様子を窺うと、どうやらこの辺りは露天市のようなものらしい。
 仕事中に摘める非常食として乾物を幾つか見繕うか、と思いついて往来を見回したとき、露店の一つを遠巻きにしている数人に気がついた。
 なんだろう、と観察してみれば幼い少女が、如何にもといった風体の胡散臭い店主へ、必死に縋っているようである。遠目に見える店主の表情は煩わしそうで、邪険に扱っているようだ。
 軽く眉をひそめたシャノンは、ぐるりと辺りを見回して、遠巻きにしている中で一番手前にいた男へ囁きかける。
「あれ、何事?」
「魔女の弟子が吹っ掛けてやがるんだよ」
 男曰く、あの少女の母親が具合を悪くしているらしく、薬が欲しいと訴えているらしい。彼女がやってくる直前までは得意げに自分の出自を語り、然も有難がれと言わんばかりに調合をしていたらしいのだが、何故か彼女に対してはあの通りなのだそうだ。
 大方、子供相手では大した稼ぎにならないと踏んでいるんだろうよ、とは一緒に見守っていた男の連れの話しである。
「はぁ? え、なにそれ」
 確かウェルテでは、薬種堂が魔女の代わりに、最低限の薬剤を揃えているはずだ。薬種堂は? と訝しく尋ねるシャノンに、男は苦笑いを浮かべる。
「あんた、外の人かい? こことは流儀が違うのかねぇ」
 あるにはあるが、普通の稼ぎでも気軽に買いに行けないような値段なのに、あんな子供が買いに行けるわけがない。だから庶民は、こうした露店でたまに出る、魔女の弟子から薬草を買うらしい。それだって自称で怪しいが、買えるだけましなのだと。
「エリキシルやチンキ剤は買えないなりに、普通はもう少しくらいは安いんだがなぁ。あいつは妙に胡散臭いが、高名な魔女の弟子だってんで、強気に出てるらしい」
「高名って、何処の魔女」
「オルグレンだそうだ。近頃、聞くようになったな?」
 ふぅん、と胡乱に眺めやったシャノンは、そのままふらりと前へ出る。売ってくれと必死に頼み込んでいる少女の頭上から露店を眺めやると、軽く眉を持ち上げた。
 置かれたそれらは、この芽吹きの季節に乾物ばかりで、薬効なぞ知ったことかと滅茶苦茶な処理がされている。取り敢えず、葉と根を一緒くたにするな、と言いたい。薬草の花も実も、葉や茎、根だって、それぞれに薬効が異なるのは薬草学では基本中の基本だ。素材の時点で混ざっていてどうするというのか。
 更に、嵩増しなのだろうか。これといって薬効のない雑草まで混ざっているようだ。これほど滅茶苦茶だというのに、致命的な毒物が混ざっていないだけ救いか。
 これで魔女の弟子を騙るとは、片腹痛いにも程がある。少々聞き齧っただけのシャノンですら、もう少しましな処理ができる自信がある有り様だ。売っている男は壮年代で、見るからに胡散臭い姿なのは、自称魔女の弟子だからか。酷い偏見だな、と冷めた目で見遣って、シャノンは小さく嘆息した。
「お嬢さん、君のお母さんは、どんなふうに具合が悪いの?」
 ひょっこり少女の横から顔を出し、視線を合わせて尋ねると、彼女は目を瞬かせる。
「え? あの、え?」
 なんだおまえは、と訝しく声をあげる店主は奇麗に無視をして、シャノンは少女を笑顔で促した。何やら店主が喚いているようだが、全く意に介さない。
 果たして彼女は戸惑いながらも、一生懸命症状を思い出そうと努めた。
 あちこちへ飛びがちな話しをまとめると、どうやら春先にありがちな体調不良が、少しだけ酷いようである。なるほど、と一つ頷いたシャノンは、安心させるように柔らかな笑みを浮かべて、彼女に請け負った。
「それなら簡単だよ。こんな胡散臭い店で、バカ高いだけで効果もない毒草なんて買わないで、あちらで買い物した方がいい」
「おいッ! 手前ェ、何を……」
 煩いな、と鋭い一瞥をくれると、店主は小さく悲鳴をあげて固まる。それを再び視界から外して、シャノンは戸惑う少女へ別の露店を示した。
 あちら? と指差した方を振り返り、彼女は目を瞬かせる。
「え、でも。あれ八百屋さんだよ?」
「そう。いいキャベツがあるね。あれはお腹の薬だ。一番大事なのは、芯に近い硬い部分を美味しく食べること。そこに薬になるものが、いっぱい入ってるからね」
 薬効というのは、何も薬草と呼ばれて、区別されている物ばかりに入っているわけではないのだ。同じく植物である以上、野菜にも色々と含まれている。
「まんまる玉ねぎは食欲が出るようにしてくれるし、生姜もあったら入れたらいい。可能なら、ディルかパセリも香りづけにね。他にも好きな野菜をたっぷり入れたスープを、ゆっくり美味しく食べてもらえば、すぐによくなるよ」
「ほんと?」
「本当。おいしくなぁれって、じっくりことこと煮込んでやるんだ。出来る?」
 それなら出来ます! と明るい笑顔で断言し、彼女は勢い良く頭を下げて踵を返した。
 にこやかに少女を見送ったシャノンは、さてどうしてくれようか、と自称魔女の弟子とやらを振り向く。友人を貶める愚かしい行動を、断じて許すわけにはいかない。
 そんな彼の傍らに、女が一人ふらりと立った。
 見たところ、旅行者だろうか。マキシ丈の濃い色のスカートの裾に届くほど、裾の長い黒ローブを羽織り、手にはトランクを抱えている。(はしばみ)色の長い髪は緩く編まれ、胡乱な眼差しを向ける鮮やかな緑の目は、本来生き生きと輝いているのだろう。愛嬌のある顔立ちは、胡散臭気に浮かべられた表情に歪んでおり、冷めた目が露台を一瞥した。
「魔女の弟子の店?」
 奇麗な声がぽつりと呟いて、途端に店主は満面の笑みを浮かべる。
「姉さん、こういうのは初めてかい? 俺はかの高名なオルグレンの魔女に師事していて」
「ねぇ、オルグレンの魔女って、どんな人?」
 店先に並ぶ乾物をつまらなそうに眺めながら、ふいに女が尋ねた。得意げに胸を張った男は、辺りへ聞かせるように声を大きくする。
「よくぞ聞いてくれた! うちの師匠は、それはそれは素晴らしい魔女で、髪が白くなる歳だというのに、ぴんしゃんしてるのさ。それもこれも偉大な魔女の秘薬が」
「ふぅん。そう、よくわかったわ。あんたがつまんない騙りだってことが」
 にんまり笑った女は、唖然と言葉を途切れさせた男を冷たく見やり、鼻先で笑う。
「あたし、師匠なのよねー。その、オルグレンの魔女の。あの子はこんな馬鹿げた塵なんて得意げに売らないし、何よりあんたなんかよりも若い女の子よ?」
 は、と店主が絶句した。シャノンも彼女のとなりで目を丸くして、榛色の後頭部を唖然と見つめる。そうしているうちに店主は復活したようで、思いきりかぶりを振った。
「おまえが師匠のはずがあるか、小娘が!」
「あら、失礼ね。これでもあんたなんかより、ずっと長く生きてるのに」
「煩い煩い煩い煩い! 小娘が師匠を騙りやがって!」
 オルグレンの魔女が若い女だなんてわかりやすい出鱈目を言うな、俺が騙りだなんて酷い言い掛かりだ! と元気に喚く店主にため息をついて、シャノンも横から口を挟む。
「オルグレンでは有名な話しだけど? 黒髪の奇麗な魔女様ってさ」
 俺も聞いたことあるぞ、と外野から声が飛ぶ。オルグレンの薬種堂で本人にお会いしたことある、凄い美人だった、などという声まで飛んできて、店主は顔を歪めた。そのさまを眺めて、シャノンは更に言葉を重ねる。
「そもそもオルグレンの魔女は、シャフツベリ卿が懇意にしてる薬学博士だ。こんな爵家勢揃いの時期にダンバーで騙るとか、よくも出来るよね」
 序でに俺もシャフツベリの領城へ出入りさせてもらってるんだけど、と。意味ありげに、にんまり笑う。
「これで有難くも、領主様と直接お目通りできる立場なんだよねぇ。これから訪ねたらどうなるかなぁ?」
 途端に、店主が露台の荷物を掻き集めた。慌ただしく荷物を抱えて逃げ出すのを呆れて見送ったシャノンは、野菜を抱えて戻ってきた少女に気付くと、にこりと笑う。彼女は目を真ん丸に見開いて、シャノンを見上げると意気込んで尋ねた。
「お兄ちゃん、魔女様だったの?」
 今し方、八百屋の主人に「良く知ってるな、魔女様に教えてもらったのか」と感心されたのだと訴えられて、違うとかぶりを振る。
「友達に魔女がいるんだ。それで昔、教えてもらったの」
 お母さん元気になるといいね、と微笑むと、彼女もこくりと頷く。そんな彼らの横でトランクを開けた魔女は、ひょいと嘴を挟んだ。
「お嬢ちゃん、これも持って行きなさいな」
 なぁに? と小首を傾げた彼女の小さな手に小振りな紙袋を乗せて、女は笑う。
「正真正銘、魔女のハーブティーよ。本当はフレッシュハーブのがいいんだけど、こちらなら手軽だしね」
 え! と目を丸くした彼女は、おずおずと魔女を見上げた。
「あの、お幾らですか?」
「やだ、いいわよ。いらないわ。だってこれ、自分用に持ってきてた物だもの。旅先で食べ物が合わないとか、良く眠れないとかあっても嫌じゃない?」
 たくさんあるから一つあげる、と朗らかに笑って、魔女は少女の頬を撫でる。
「寝る前に、家族みんなでゆったり飲むといいわ。お母さんをゆっくり休ませてあげるにしても、あなたも頑張り過ぎちゃ駄目よ。いい?」
「はい。有難う、魔女様」
 ぺこりと頭を下げて、序でにシャノンへ手を振った少女が踵を返した。荷物を大切そうに抱えて駆けていく後ろ姿を見送って、シャノンは傍らの魔女を見下ろす。すると彼女もシャノンを見上げていて、にこりと笑った。
 グウェンドリンから聞いていた話しでは、明るくて凄く魅力的で可愛らしいヒトとのことだったが、確かにそんな女性ではある。
「ええと、もしかしてあなたがアリーチア・メルカダンテ女史?」
「えぇ、そうよ。それじゃぁ、あなたがうちの弟子の友達かしら」
 仕立て屋の? と小首を傾げる彼女の足許へ思わず視線を落とすと、理由に思い至ったのか可笑し気に笑い声を零した。
「本当に友達なのね。仲良くしてくれていると嬉しいわ。うちの弟子、頑固なところがあるでしょう?」
「というより、硬骨ですね。好ましいくらいなので、問題はありませんが」
 不躾に失礼しました、と頭を下げると、気にしてないわ、と笑う。
 足首まで届くスカートの下、がっちりとしたブーツに包まれた足が、本来は尾鰭だなんて誰が思うだろう。前リュシナーの魔女ですら、尾鰭は捨てていなかった。彼女が確かに人魚(シレーナ)なのだと知らしめているのは、彼女から漂ってくる、濃い水の気配のみだ。
「それにしても、どうしてダンバーに? オルグレンへ行くなら遠回りですよね」
 シャフツベリの領都へは、王都から出ている蒸気船に乗り込めばすぐだ。ダンバーへ向かう蒸気機関車は、そのままプリジェンへ伸びている。
 果たして彼女は、至極当然といった風情で、あっけらかんと答えた。
「ゲートスケルに着いたら、ここは深い森を抱えた街だって話しに聞いてね。その先のプリジェンも面白そうじゃない? どんな感じかしらって来てみたら、真っ先に出会したのがあんな騙りなんだもの」
 ちょっと小鼻に皺を寄せるさまに苦笑して、シャノンは肩を竦める。
「ああいうのがいるのが、この街の当たり前みたいですよ。薬種堂もあるそうですけど、実態はどうなのか」
「なんだか不安ね。ちょっと覗いてこようかしら。ところで、あなたはどうしてこちらにいらっしゃるの? オクロウリーさん」
「仕事です。暫く滞在することになっていまして」
 今日はまだ暇だからお供しますよ、と付け加えると、アリーチアはにんまりと笑った。
「あら、有難う。いい宿をご存知ならもっと嬉しいわ」
「あー、商人から聞いた、堅実な宿で良ければ? 俺が泊まってるところ、上流階級に抑えられちゃってるので」
 充分! と手を打って、彼女は荷物を手に提げる。先に宿へ行きましょうか、と促すと、頷いてシャノンの後に続いた。曰く、駅前の宿は既に埋まってしまっていて、困っていたようである。
 アリーチアを案内した宿は昨夜訪れた酒場(タバーン)から程ない所にあり、一本通りを入った、知る人ぞ知る宿だった。帳場で空室を尋ねれば、まだ幾らか空いているらしい。ほっと胸を撫で下ろした彼女は、押さえた部屋に荷物を放り込んで、シャノンと共に再び街へ繰り出す。
 彼女が部屋へ行っている間に帳場で尋ねたところ、薬種堂はダンバーに一軒だけしかないそうで、道程を丁寧に教えてくれた。これまで訪れた住人向けの店は、いずれも旅行客が足を踏み入れないような小路の途中にあったものだが、薬種堂は大通りに面しているという。
「宿の人の話しだと、旅行客向けだとか?」
「あら。住人はどうするの?」
「自称魔女の弟子が、露店でたまに売るそうですよ。さっきみたいな、明らかに胡散臭いのも、珍しいらしいですけど」
 ふぅん? と相槌を打って、見えてきた薬種堂を見上げる。
 立派な建物は石造りの佇まいで、壁には蔦がびっしり這っていた。開口部は広く取られ、ひんやりとした空気が足許へ流れてきている。店内へ入れば、様々な草の香が入り交じり、辺りに漂っていた。
 壁を埋め尽くす小抽斗と、店頭に無造作に積まれたフレッシュハーブ。品を一つずつ眺めてみれば、薬種というよりハーブティーやスパイスを主力としているのがよくわかる。更に棚に収められた様々なハーブオイルと、一角を占めているのは化粧品。
「あぁ、確かに旅行客用だな、これ」
 確かにダンバーは大きな都市ではないが、領主館が置かれているために上流階級の方々が頻繁に訪れる。毎年の大規模な茶会に、社交期(シーズン)終わりから冬にかけての狩猟期(ハンティング)の接待。それらに同道する淑女(レディ)たちへ向けた品が殆どで、辛うじて置かれている薬剤の価格も、上流階級向けに引き摺られている印象だ。
「勿体無いわねぇ。あれだけ立派な森を抱えているのに。ちらっと見てきたけど、薬草の宝庫よ?」
「あぁ、だから自称魔女の弟子が出没できるのか」
 先程の男は論外だが、薬剤の元となる諸々は何処から持ち込んでいるのだろうかと思っていたのだ。あの森は公爵家管理の狩り場だと聞いていたから、自然と整備されてしまっていると思っていた。
「きちんと魔女になればいいのにねぇ」
 そうすれば粗悪品は淘汰されるでしょうに、と。
 ため息混じりにそんなことを言う彼女に、シャノンは苦笑を浮かべる。
「そこは、価格の問題もあるのでは? ここがこれで出しているから、弟子なのでこの価格でしか出せないんです、という」
「あぁ、なるほどね。でも、その所為でちゃんと魔女だと名乗れない子がいるなら、本末転倒よね」
「どうやら露店では、エリキシルやチンキは取り扱えないみたいですしね。昔ながらの魔女の家は、この街では無理なのかな」
「そういえば、不思議な形態よねー」
 あなた詳しいわねぇ、と感心したふうに小首を傾げ、アリーチアはふと眉根を寄せた。そうして、ふとシャノンを見上げる。正確には、彼の髪を。
「……赤毛の、アールヴ?」
 呟いて、彼女は真顔で尋ねた。
「あなたもしかして、ジルダ・カンテッリと知り合いじゃないかしら?」
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