某氏による回顧録

文字数 2,150文字

 他人(ヒト)に言わせれば、不憫な子なのだろう。
 物心つく前には酷い事故で庇護者を全て亡くし、周りには碌な親族がいなかった。かの家庭に莫大な財産でもあれば、醜い争奪戦が繰り広げられたかも知れないが、幸いなことにそんなこともなく。不要とされた子供は、彼が引き取ることになった。
 彼自身も、不要とされた人間である。
 妾の子というのは存外、他者から攻撃されやすい。何処から拾ってきたのやら、面白可笑しく語られる噂話に踊らされたヒトビトは、何にも知らないくせに訳知り顔で批判合戦を繰り広げるからだ。本当は、妾など何処にも存在しないというのに滑稽なことだ。
 そんな肩身の狭い思いをするはずだった彼を擁護してくれたのは、他ならぬ正妻の一粒種だった歳の離れた実兄で、彼は嬉しそうに「弟が出来た」と歓迎してくれたのである。
 世間によくある話なら、それも何やら企みの一環だったりするのだが、兄は実に育ちの良い人柄だった。両親がアレだというのに奇跡のようである。そんな兄が選んだ女性も穏やかなヒトで、仕事に打ち込みがちな義弟を気遣ってくれていた。
 そんな二人の息子は気持ちのよい若者に成長し、若い叔父を慕ってくれて、花嫁を連れて挨拶にも来てくれた。嫁にきた女性も優しい人柄の可愛らしいヒトで、小鳥が囀るような声で「叔父様」と呼ばれると、何だかこそばゆかったものである。
 彼自身に家族はなかったが、彼らは大切な人たちだったのだ。だから独り遺されてしまった幼子を、大切に大切に育てたのである。
 大姪は、祖父に似て利発だった。面立ちは、両親の良い所を巧みに受け継いだ父に似ている。素直な黒髪は母から、灰色の瞳は祖母だろうか。長じれば、すらりとした手足の長い長身は、間違いなく彼らの血筋を窺えた。
 そして善くも悪くも、彼らは親子だったのだ。
 雑音が聞こえ始めたのはいつからだったか。あの陰気な女が、と醜い笑みを浮かべてあげつらう輩が、得意げに難癖をつけている。娘らしく着飾れば「これだから女は」と(わら)い、気を付けて華美にならぬようにすれば「女のくせに」と嗤う。
 くだらないな、と呟いて、大姪はいつしか一切を気にしなくなった。
 彼女が外で笑わなくなったのは、いつからだったろう。冷めた眼差しで世間を睥睨するようになったのは? 真摯に学問に打ち込めば打ち込むほど、世間は彼女に冷たくなった。それをあっさりと諦めてしまえるくらいに、大姪は世間に期待をしていなくて、ますます世界は閉じていく。
 それでは駄目だ、と我が身を振り返り魔女へ相談すれば、あっさりと国外へ出してやればいいと告げられた。こんな狭い了見で勝ち誇る小物が蔓延る場所では勿体無い、と。
 それもそうか、と連絡を取ったのは、他国に住まう古い友人だった。彼は大姪を引き取った折りも気に掛けてくれた人物で、素直に助けを請おうと思えたのである。
 果たして彼は即座に応じ、雑事を片付け駆け付けてくれた。そうして大姪と何食わぬ顔で世間話という名の面談をして、後見を引き受けてくれたのだ。何より嬉しかったのは、あの才能を腐らせるには惜しいと、悔いてくれたことである。
 大姪が旅立ってからは、友人から月一で寄越される報告書が楽しみになった。彼女からの手紙は滅多になかったが、夢中で学んでいるさまは行間から窺えたので気にしていない。けれど折角の自由な環境だというのに、その所為で相変わらず無頓着らしいと友人から伝え聞いて、苦笑を浮かべたものだった。強制するものでもないから、見守ることにしたけれど。
 そして今、見違えるほど柔らかい雰囲気をした大姪と対面している。
 数年ぶりの手紙から間を置かず、再び届いた手紙には、更に小さな封筒が同封されていたのだ。手紙というより仕様書といった風情のそれを一読し、時間を見計らって開封したところ、明るい表情の大姪を写した幻が立ち上ったのである。
「ほう、これが東方の水鏡なのだね」
「凄いよね? こうして先生とお話しできて嬉しい」
 すっかり大人の女性になっていた大姪は、思っていた以上に娘らしい華やかな装いがよく似合っていて、にこにこと笑うと母親に似た雰囲気になるのだな、と新発見をする。
 思ったままにそう伝えると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
 大姪曰く、今回は例のアールヴの友人が、残念そうにしている彼女を見兼ねて水鏡を編んでくれたらしい。東方の術は素材に含まれる魔素を利用することから、基本さえ覚えてしまえば、誰でも幻を介して対面の会話くらいはできるそうだ。
 頑張って覚えるからね、と意気込む彼女を微笑ましく見遣って、彼は茶目っ気のある笑みを浮かべてみせる。
「それなら、私も習ってみたいな。どちらが早く覚えるか、競争しよう」
「それいいね、そうしたら早く覚えられそう。ちょっと待って、シャナを呼んできてもらうから!」
 愉しそうに笑う彼女の姿に、手許から旅立たせて正解だったのだと、心から安堵した。離れていてもこうして会話できる手段があるのなら、一時の別離も問題ではない。
 そうして、お互いに切磋琢磨し学びあえるこの関係を、得難く素晴らしいものであると、改めて某かに深く感謝したのだ。

〈了〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み