幕
文字数 1,942文字
即位式の序でのように行われた結婚証明書調印式に、エンベリー公爵となった父は我慢ならなかったらしいと、後に弟たるウィシャート伯爵から聞かされた。とはいえ、これで王戚である。呼びつけられなかったのは、現状に満足しているからだろう。
そうしておそらく、誰もが考えているはずだ。見目だけはいい、お飾りの伴侶。あんな役立たずを使って、エンベリー公爵も巧く取り入ったものだ、と。
これだから出来損ないは、と気持ちよく嘲る弟の声を奇麗に聞き流して、これで母は溜飲を下げただろうかと考えたものである。
陛下と私は共犯者だ。
共通の敵を排した今、内部での喰い合いへと舞台は移っている。それらを操り、自滅へ追いやるのが私へ与えられた役目。その為に、唯々諾々と従うだけしか出来ない、無能の仮面を被り続けるのだ。
始まりは、子供の頃へと遡る。
そもそも私は、エンベリー公爵の血は引いていない。寡婦となった母を、寛大な心で子供ごと引き取ってやったというのが父の主張だろう。母が言うには、実父はあの男の罠に填められて無惨に散ったらしいが。
母は常々、あの男に食い物にされるなと言っていた。両親から受け継いだ恵まれた容姿を巧く使い、このくだらない家から逃げろ、と。
生まれた弟は父に似て、己の力を誇示することに余念がない。父から羽虫のように扱われる私を、何の疑問もなく扱き下ろしては喜んでいた俗物だ。どうやら私は弟にとって、救いようのない出来損ないらしい。適当に負けてやっていたことにも気付かない有り様で、跡取りとして大丈夫なのか、と思わないでもないけれど。
そんな頃に、陛下と出会ったのだ。
母の伝手もあり、ひっそりと外部へ師を求めていた頃である。当時の彼女は私と同門の徒で、幸せそうに笑っていた。彼女が聞かせてくれるのは、養い親と弟の話。何気ない日常のことばかりなのに、何故か楽しかったことを憶えている。
けれどそんな穏やかな日々も、宗教戦争の勃発であっけなく終わったのだ。
私たちは既に年頃で、お互いの立ち場も、世間のことも、自覚せざるを得なかった。だから私は戦場となった故郷で、遺骸へ取り縋って泣く彼女を見下ろし提案したのだ。
共犯者にならないか、と。
私は、私が置かれた環境から脱したかった。彼女は、目の前に投げ出された理不尽を打ち壊したかった。巧く運べば、双方の利害は一致する。泣き濡れ、絶望したはずの彼女は、強い眼差しを私に向けて、了承したのだ。
それから私たちは、ひっそりと連絡を取りながら、それぞれに行動を開始した。
彼女には元々、ヒトビトを引き付ける魅力があって、表舞台で立ち回るのに向いている。私はその影に隠れるように暗躍して、彼女に良いように諸々誘導し始めた。
志を同じくするヒトを集め、あらゆる情報を集め、拡散し、彼女の掲げる大儀を喧伝する土台を作る。そうして彼女と合流した時、私たちは謀った通りに、お互いを傍らに置くことが出来たのだ。
そこまでくれば、後は動くのも楽だった。私はこれまで通りに無能の仮面を被りながら、彼女の懐剣として誰にも知られぬよう、邪魔なものを徹底排除していくだけでよかったのだから。
こうして長年、あらゆるものを欺き続けてきた私たちの関係は、今は一人の協力者を得て続けられている。
私の欺瞞を見破った才媛は、そのまま続けていけばいいと言ったのだ。建国の王は優れた施政者だったと、後世に語られるようなことを、二人で成せばいいのだと。
私たちは、共犯者だった。
彼女は全てを切り捨てて、国へ嫁ぐのだと豪語した。その傍らにいる私は、彼女が作ってくれた影の中から、じっと目を光らせている。
私たちは、欠けた者だった。
私には凡そ感情というものが抜け落ちていたし、けれどそれらしく装うことを得意としていた。彼女は欲しがった小さなものをどんどん欠けさせて、終いには感情を押し殺すようになってしまっていた。
私たちはお互いに、孤独だった。
結局、母が望んでいたのは実父の無念を晴らすことで、復讐心を満たしてくれるのならば何でもよかったのだろう。彼女は次々と親というものを奪われて、その燻る何かを義憤へと摺り替えていった。
私たちはただ、ささやかなものが欲しかっただけなのだ。
けれどそれすら指の間から擦り抜けて、一向に留まってはくれない。誰かの為にと嘯かなければ、何一つとして残らなかった。けれど寄り添うには私たちは同類過ぎて、傷を舐めあうだなんて、甘い関係にもなれやしない。
だからこそ、私たちは背中合わせに世界を眺める。足りないものを補いあって、理想を口にするのだ。でなければ、薄汚いものに塗り潰されてしまうから。
そうしておそらく、誰もが考えているはずだ。見目だけはいい、お飾りの伴侶。あんな役立たずを使って、エンベリー公爵も巧く取り入ったものだ、と。
これだから出来損ないは、と気持ちよく嘲る弟の声を奇麗に聞き流して、これで母は溜飲を下げただろうかと考えたものである。
陛下と私は共犯者だ。
共通の敵を排した今、内部での喰い合いへと舞台は移っている。それらを操り、自滅へ追いやるのが私へ与えられた役目。その為に、唯々諾々と従うだけしか出来ない、無能の仮面を被り続けるのだ。
始まりは、子供の頃へと遡る。
そもそも私は、エンベリー公爵の血は引いていない。寡婦となった母を、寛大な心で子供ごと引き取ってやったというのが父の主張だろう。母が言うには、実父はあの男の罠に填められて無惨に散ったらしいが。
母は常々、あの男に食い物にされるなと言っていた。両親から受け継いだ恵まれた容姿を巧く使い、このくだらない家から逃げろ、と。
生まれた弟は父に似て、己の力を誇示することに余念がない。父から羽虫のように扱われる私を、何の疑問もなく扱き下ろしては喜んでいた俗物だ。どうやら私は弟にとって、救いようのない出来損ないらしい。適当に負けてやっていたことにも気付かない有り様で、跡取りとして大丈夫なのか、と思わないでもないけれど。
そんな頃に、陛下と出会ったのだ。
母の伝手もあり、ひっそりと外部へ師を求めていた頃である。当時の彼女は私と同門の徒で、幸せそうに笑っていた。彼女が聞かせてくれるのは、養い親と弟の話。何気ない日常のことばかりなのに、何故か楽しかったことを憶えている。
けれどそんな穏やかな日々も、宗教戦争の勃発であっけなく終わったのだ。
私たちは既に年頃で、お互いの立ち場も、世間のことも、自覚せざるを得なかった。だから私は戦場となった故郷で、遺骸へ取り縋って泣く彼女を見下ろし提案したのだ。
共犯者にならないか、と。
私は、私が置かれた環境から脱したかった。彼女は、目の前に投げ出された理不尽を打ち壊したかった。巧く運べば、双方の利害は一致する。泣き濡れ、絶望したはずの彼女は、強い眼差しを私に向けて、了承したのだ。
それから私たちは、ひっそりと連絡を取りながら、それぞれに行動を開始した。
彼女には元々、ヒトビトを引き付ける魅力があって、表舞台で立ち回るのに向いている。私はその影に隠れるように暗躍して、彼女に良いように諸々誘導し始めた。
志を同じくするヒトを集め、あらゆる情報を集め、拡散し、彼女の掲げる大儀を喧伝する土台を作る。そうして彼女と合流した時、私たちは謀った通りに、お互いを傍らに置くことが出来たのだ。
そこまでくれば、後は動くのも楽だった。私はこれまで通りに無能の仮面を被りながら、彼女の懐剣として誰にも知られぬよう、邪魔なものを徹底排除していくだけでよかったのだから。
こうして長年、あらゆるものを欺き続けてきた私たちの関係は、今は一人の協力者を得て続けられている。
私の欺瞞を見破った才媛は、そのまま続けていけばいいと言ったのだ。建国の王は優れた施政者だったと、後世に語られるようなことを、二人で成せばいいのだと。
私たちは、共犯者だった。
彼女は全てを切り捨てて、国へ嫁ぐのだと豪語した。その傍らにいる私は、彼女が作ってくれた影の中から、じっと目を光らせている。
私たちは、欠けた者だった。
私には凡そ感情というものが抜け落ちていたし、けれどそれらしく装うことを得意としていた。彼女は欲しがった小さなものをどんどん欠けさせて、終いには感情を押し殺すようになってしまっていた。
私たちはお互いに、孤独だった。
結局、母が望んでいたのは実父の無念を晴らすことで、復讐心を満たしてくれるのならば何でもよかったのだろう。彼女は次々と親というものを奪われて、その燻る何かを義憤へと摺り替えていった。
私たちはただ、ささやかなものが欲しかっただけなのだ。
けれどそれすら指の間から擦り抜けて、一向に留まってはくれない。誰かの為にと嘯かなければ、何一つとして残らなかった。けれど寄り添うには私たちは同類過ぎて、傷を舐めあうだなんて、甘い関係にもなれやしない。
だからこそ、私たちは背中合わせに世界を眺める。足りないものを補いあって、理想を口にするのだ。でなければ、薄汚いものに塗り潰されてしまうから。