文字数 1,944文字

 聖堂の鐘が鳴り響く。その音色に負けぬ歓声が、国内に轟いているようだった。塔から見える範囲でも、喜びに満ち満ちたヒトビトの様子が窺える。
 それらを満足げに見下ろして、純白のドレスに身を包み、国家へ嫁ぐと宣言した女傑は唇の端を引き上げた。
「姉上、本当にこれでいいの?」
 彼女の背後に控える実弟は、先程からずっと不服そうな顔をしている。実際、彼は不服なのだ。確かに、戦を始めたのは彼女だった。けれどそれは、こんなふうに孤独に全てを背負うためではなかったはずだ。
 いいのよ、と飄々と応じるさまはいつもと変わらず、彼はますます眉根を寄せる。
「でも」
「わたしは国母になるのよ。あなたは、祝福してくれなくては」
「だからって、アレを傍らに置く必要なんてないよね?」
 確かに、ブライアースは戦に置いて重要な働きをしてくれた。しかし、その裏に野心がなかったとは言い切れない。現に戦の最中も女受けのいい風貌をした己の息子を、彼女の側から離さなかった。あからさまなその態度に、嫌悪感を隠さなかった者も多いのだ。
 しかし、ブライアースとて、先程の即位式での宣言は予想外だったのではないだろうか。おまけに、奴の目論見を潰すような勅令まで発している。
 だから言ったじゃない、と愉快そうに振り向いて、彼女は両腕を広げてみせた。
「わたしは、国へ嫁ぐのよ。それを治める直系が必要なら、産むべきでしょう? ただの義務だわ。ブライアースを取り込むのも必要だから。問題はないでしょう」
「だったら、オルディアレス殿でも問題はないはずだよね?」
 すかさず口にすれば彼女はきょとりと瞬いて、あっさりとかぶりを振る。
「嫌ね、フィデルは駄目よ。だってあの人は、この国に骨を埋めてくれないもの」
 かの黒竜は、いずれ遠く離れた母国を治めることが確定しているのだ。一時だけでも、手を貸してくれることを有難いと思わねば。まして、後の憂いとなる諸々に縛り付けてはならない。
 諭す言葉に渋面を浮かべ、彼は訝しく吐き捨てる。
「だから、人間の爵位保持者は、他種族の血を一切混ぜるなって命じたの」
「それは違うわ。強大な力を取り込みたいから(おもね)ったんだろうと言われかねないからよ」
 善き隣人のために剣を取った。その前提が崩れるような事態は避けねばならないのだ。そして未来永劫、彼らの拠り所であるために貫かねばならない矜持でもある。でなければ、彼らが否定したあの侵略者どもと同類になってしまうから。
 淡々と告げて、彼女はほんのりと苦笑を浮かべた。
「それにそもそも、あの人はわたしを愛してくれないわ」
「そんなこと」
「あるの。だって、あの人の中には誰かがいて、わたしに手を貸してくれたのだって、その人に似ていたからだわ」
 そういうのとは違う、と言ったところで、きっと彼女は聞かないのだろう。それについては確かに、当人から聞いたことはあるのだ。
 曰く、己の世界を拡げてくれた恩人。
 種族的な優位から酷く狭い価値観の中で生きていた自分と、本気で喧嘩してくれた友人。いつか見返してやりたい相手であり、掲げる目標のきっかけをくれたヒト。
 そんなふうに語られた相手は、確かに彼女と似ているところがあったらしい。けれど黒竜が抱えているのは情愛などではなく、曾ての戦友に対する深い敬意だ。それから、ああ在りたいと願う憧れと。
「諦めるために、愛のない相手を選ぶの」
 思いの他、冷えた声が零れ落ちたが、彼女は意に介した様子もなく肩を竦めてみせる。
「そんなことを言ったら、あなたとマクフェイルの娘との縁談も、反対しなければならないわね?」
「私たちは姉上とは違う」
「そう? 何が違うの? あなたたちのそれも、愛ではないでしょうに」
 わたしだけ咎められる謂れはないわ、と目を細めて、彼女は窓の外へ視線を戻した。
「いいのよ。母方の血筋は申し分ないんだから。飼い殺しにしておくにも都合がいいもの」
 冷めた声がぽつりと零れて、それが紛れもない本心であると、彼は悟ってしまう。そうして、彼女の決定を動かすことは出来ないのだと理解した。であれば、彼は陛下の理想の為に尽力せねばならない。
 彼と伴侶に選んだヒトの間には、新たに立たれた陛下へ対する敬愛がある。
 この度、爵位を賜った長命種たちも同様だろう。その為に泥を被り、国を守り立てていくのだと、決意した者たちだ。それを同じと断じられるのは腹立たしいが、突き詰めていけば行き着くところは同じ。良くも悪くも彼女は初めからずっと変わらないのだ。
 くだらない選民思想に染まった輩により、理不尽に奪われた彼らの養い親。その無念を晴らし、汚名を濯ぐことを誓ったあの日から。
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