第2話

文字数 2,947文字

 ピピピピピピピピピピピピピピ!!!!
 耳を劈くようなアラームの音が鳴り響く。鼓膜を直接刺激されているような不快感を感じながら、僕は目を覚ました。まだ眠い。それに、頭も痛い。脳みそを直接締め付けられているような痛みを感じる。視界に映るものを認識することはできるが、それらは何故か非現実的なものとして映る。まだ意識が覚醒しきっていない証拠だ。
 自室を出て、一階のリビングに入ると、母さんが忙しなく朝の支度をしていた。
 「あらおはよう」
 母さんはそう挨拶はしたものの、しかし僕に一瞥さえくれることなく、鏡に映る自分と睨めっこしながらリップを塗っていた。
 「お母さんもう出るから。朝ごはんは適当に食べてね」
 「うん」
 支度を終えた母さんは鞄を持ち、リビングを出て行った。
 「いってらっしゃい」
 母さんからの返答はなく、変わりに、玄関の扉が閉まる音がした。だだっ広い部屋に僕一人。いつも通りの朝だった。僕は冷凍庫にあった冷凍食品とご飯を温めて朝食とした。机の上には「今日の食費」というメモと共に千円札が置かれていた。
 「……」
 僕は千円札を財布の中に入れ、メモをゴミ箱の中に捨てた。
 朝ごはんを手短に済ませた僕は、食器を片付け、洗面所で顔を洗った。洗面台の鏡には、僕の顔が映し出されていた。ぼさぼさの髪の毛。口元やら顎やらから伸びる髭。目の下にはクマがくっきりとできていた。連日の夜更かしの所為だ。櫛で適当に寝癖を整え、制服に着替えた僕は家を出た。
 通学路を歩きながらスマホをいじる。何気なくSNSを眺めていると、女優なのかアイドルなのか、将又単なる一般人なのか分からない女の写真が流れてきた。その写真へのリプライを見てみると、どいつもこいつも、異口同音にその女のことをほめちぎっていた。
 ……反吐が出る。
 僕はその写真の「加工酷すぎwww」とリプライを飛ばした。
 現実の女はどいつもこいつも酷い顔の無能ばかりだ。キャンキャンと甲高い声を出すことしかできず、困ったことがあればすぐに泣いて周囲の同情を誘う。感情論だけで物を言い、論理的な会話は不可能だ。自分は守られて当然と考え、内心で男を見下し、しかし何かあったら男に媚びへつらう、厚顔無恥な人種だ。
 僕はイヤホンからアニソンを流しながら登校した。
 学校についた僕は自分の席に座り、机に突っ伏しながらソシャゲを始めた。やはりゲームやアニメはいい。この世界に登場するキャラクターは、どれも魅力的で、現実とはまるで違う。僕を虐げ、忌諱し、罵声を浴びせるようなことはしない。彼女たちは僕を裏切らない。
 SHRの時間が近付くにつれ、続々と生徒たちが教室に集まってくる。その中の一人に綾川さんはいた。綾川さんは教室に入るなり、友人たちと挨拶を交わした。そして、僕にも挨拶をしてきた。
 「おはよ」
 「おはよう」
 僕と綾川さんの会話は、決まってこの朝の挨拶だけだった。けれど、僕はそれで満足だった。綾川さんはクラスの人気者だ。肩にかかるくらいの、流水のような黒髪。パッチリとした二重瞼とクリッとした瞳。端整な顔立ち。女性にしては高い身長や、スカートから伸びる足の細さは、まるで芸能人のようだ。素直に綺麗だと思う。しかし、綺麗でありながらも、軽快で誰からも好かれる愛嬌も持ち合わせている。そんな綾香さんが僕に挨拶をするようになったのは、去年の四月にあった遠足で偶然同じ班になったからだ。僕はおそらく、この経験を後生大事に抱えて生きていくことだろう。
 無能ばかりの現実の女であるが、しかし綾川さんは違った。綾川さんは正しく眉目秀麗、才色兼備、清廉潔白である。おおよそ貶すところが見つからない、魅力にあふれたただ一人の女性である。
 僕に挨拶を済ませた綾川さんは友達との会話に興じ始めた。
 「ニュース見た?」
 「見た見た。怖いねえ~」
 「涼子気をつけなきゃだめだよ、可愛んだから」
 「肝に銘じとく」そう言って綾川さんは照れ笑いをした。そんな様も嫌味な感じさせず自然だった。
 「……」
 ニュース、という単語に僕は思わず耳ざとく反応してしまった。
 ニュースというのはおそらく、最近世間を賑わせている連続殺人事件のことだろう。昨日、また被害者が増えたのだ。
 その殺人鬼が現れたのは、今から約二か月前。僕の家の近所で、遺体が見つかった。被害者は二十代のまだ若い女性だった。遺体は凄惨たる有様で、包丁でめった刺しにされていた。手足はばらばらに切り刻まれ、目玉はくりぬかれていた。そして何より特徴的なのは、乳房が切り取られていたことだろう。警察は、犯人の遊戯の一環としてみており、世間では犯人は精神異常者だと騒がれた。そして、続く二週間後、2人目の被害者が現れた。その被害者も若い女性で、1人目と同じように、遺体は見るに堪えない状態だった。遺体は、腹がかっぴらかれ、そこから臓器を取り出され、そしてそれがぐちゃぐちゃになるまで切り刻まれていた。また、同じように乳房が切り取られていた。二回続けて乳房が切り取られていたという点から、犯人は歪んだ性的嗜好の精神異常者だという風に言われ始めた。
 そして昨日で3人目。またしても被害者は若い女性であり、そして乳房は切り取られていた。この三回の殺人における共通点というものがいくつかある。それは、被害者が女性であるということ。遺体の状態が悲惨であるということ。乳房が切り取られていること。夜遅い時間帯に犯行が行われいているということ。この4つだった。警察は、女性の夜遅くの外出を避けるようアナウンスし、町内会が夜見回りにあたっているが、未だ犯人の尻尾はつかめていない。この高校でも女子生徒の集団登下校を実施し、教師が通学路を見回りしている。
 殺人は非人道的な行為だ。法的に罰せられてしかるべきだ。しかし、僕はこの殺人鬼に処罰感情はなかった。人生とは、一度負け犬にってしまった時点で、その勝敗が決する。僕はあの日、明確に、人生の負け犬であることが決まった。金木と飯塚。この二人の悪意によって、僕の人生は修正不可能であるほどに歪まされてしまった。「まだ若いんだから」と人々は言うかもしれない。けれど雀百まで踊り忘れずという言葉もある。これからどうしたところで、何も変わりはしないだろう。若さは財産だ。そう思っている人もいることだろう。けれど、若さは財産などではない。少なからず、この僕にとっては。若さとは、将来性豊かな若者にのみにおいて、財産たり得るのだ。とどのつまり、僕は若いだけでしかなかった。将来に希望なんてない。自分に期待何てできない。このまま僕は苦汁を舐め、汚水を啜って生きていくことだろう。しかし、この殺人鬼は、そんな僕のちっぽけな世界を、変えてくれる存在のように思えた。世間を恐怖と混乱に陥れ、女を殺し、残虐の限りを尽くす殺人鬼。僕の鬱屈としたものを、代わりに発散してくれているようだった。僕の不満を、代弁してくれているようだった。女が悪いんだよ、殺されるのは。殺されるのは、女が悪いんだ。当然の報いなんだ。僕は悪くないんだ。その殺人鬼は、僕にそう言ってくれているように感じた。
 端的に言おう。僕は、見ず知らずの殺人鬼に、憧れていた。
 
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