第3話

文字数 2,546文字

 「ただいま」
 高校が終わり、僕はいそいそと帰宅した。ただいまと口にしたものの、しかし家の中に誰かがいるわけではない。癖で言っているに過ぎなかった。
 制服を脱いだ僕は、そのまま洗濯機を回した。部屋着に着替え、自室に入る。窓は遮光カーテンに閉め切られ、ほとんど日光は入ってこない。明かりをつけなければ日中でも薄暗い。けれど僕は明かりをつけることもなく、ベッドに横になった。
 この部屋には物がない。六帖の部屋にあるものはベッドと勉強机だけ。その勉強机の上には教科書やノートが散乱している。しかしそれは、僕が熱心に勉学に励んでいるからではなく、むしろその逆だった。
 寂しい部屋に、寂しい僕一人。
 僕はスマホでぼんやりとSNSを眺めた。すると、今朝、登校前にしたリプライへの返信が来ていた。
 「別に加工酷くてもよくない?」
 それは僕がリプライをした女を擁護するものだった。見た感じ、僕に反論しているアカウントも女のようだった。……気分が悪い。
 「なんで?最早こんなの別人でしょ」
 「加工も努力だよ!」
 「そんな努力しなくてよくね?w」
 「どうしてそんなひどいこと言えるの?わざわざ言わなくてよくない?」
 「本当のことじゃん」
 と、ここまでやり取りをして返信は来なくなった。相手を言い負かした気分になったが、しかしなんとなく気は晴れなかった。心の奥底で何かがふつふつと湧き上がってくる。なんだか不愉快だ。しかし何に不愉快さを感じているのか分からない。とにかくいらいらした。ストレスの発散方法すら分からないまま、僕はSNSを眺め続けた。すると、また一見リプライが来た。見てみると、それはさっきのものとは違うアカウントからのものだった。
 「きっしょ。お前絶対モテねえだろ」
 それを見た僕のフラストレーションは極致に達した。
 うるせえよ。だったらなんだっていうんだよ。
 女に愛されたところでなんになるというのだ。女は僕を平気で虐げる。今まで、僕はずっとその屈辱を舐めてきた。だから今度は僕は女を馬鹿にするのだ。しかし、世間はそれを許さない。僕には我慢を強要し、発言の自由を奪っておきながら、そのことに対して何も感じていない。それが当然だと思っている。そんなのおかしいじゃないか。けれど、そんな理不尽が世の中ではまかり通っている。僕は、ずっとこのまま負け犬でい続けなければならない。
 僕はスマホの電源を落とし、そのままベッドの上でうずくまるように丸くなった。
 そのままズボンを脱ぎ、僕はあらぬ妄想を膨らませた。
 この辺りは田舎で、このご時世なのに家の鍵をつけていないところが多い。隣家に住むまだ若い夫婦は、妻が専業主婦で、遅い時間になるまで夫が帰ってこない家だった。子供はまだおらず、この時間帯であれば家には女一人ということになる。僕はその家の中に侵入した。リビングから顔を出した女が血相を変え、叫ぼうとする。しかし僕は包丁で脅した。「声を出したら殺す」途端、女の顔が恐怖と絶望に染まった。僕は女の体に覆いかぶさり、下着を脱がせようとした。しかし、いや、当然というべきか、女は抵抗した。うざったいので、僕は顔を数発殴った。女は涙や唾で顔をぐしゃぐしゃにしたが、自分のその醜い様のことなどどうでもいいといった具合に、それでも抵抗してきた。しかし男の力には勝てず、ついにはその局部が露わになる。そこまでいくと、女は抵抗をやめ、諦めてしまったようだった。そんな女の情けない姿を見ながら、僕はパンツを脱いだ。そして、下腹部にともった熱い炎のまま、女に腰を打ち付けた。
 「………」
 僕は自涜する時、決まって女を犯した。助けてくれと泣き叫ばれようが、獣と罵倒されようが、情け容赦はいらない。そうだ、僕は人じゃない。今までこの手で何人の女を犯してきただろうか。今までこの手で何人の女を汚してきただろうか。
 しばらくすると、僕の下着は放出した精液でべたべたになっていた。そんな下着を脱ぎ散らかし、薄暗い部屋の天井を眺めていた。
 ふと、静かな部屋に発情期の猫の品のない鳴き声が響いた。窓を開け外を見てみると、家の隣の駐車場に一匹の猫がいた。その猫は、かしましい鳴き声を発すしか能のない哀れな存在のように思えた。そんな猫を見ていると、僕はたまらずイライラしてきて、その猫を殺してやりたいという衝動にかられた。
 「うるせえよ!」
 思わず大声で叫ぶと、猫は鳴き声をやめ、道路の方に逃げて行った。僕は思わずニヤリと口角がつり上がっていることに気づいた。小動物は、人間に逆らっては生きていけない。その程度の存在でしかないのだ。
 僕はちっぽけな優越感に浸った。こんなことをしてもどうにもならないことくらい、分かっているはずなのに。しかし、そんな僕の優越感は、次の瞬間、無残にも消え去った。その猫は、丁度道路から来ていた車に轢かれてしまったのだ。タイミングが悪かった。僕の怒声に驚いた猫は道路に走った。そして車は、丁度その道を走ろうとした。
 猫の小さな体が大きく宙を舞った。血肉を散らかしながら。僕にはその光景が、やけにスローモーションに感じられた。ゆっくりと、猫が宙を舞い、そして地面に落下する。そんな一秒にも満たない光景を、僕は永遠のように長く感じた。
 僕は唖然としてしまった。これは僕の所為なのだろうか。僕が声をあげなければ、猫は死ななかったのだろうか。
 僕が……僕が殺したのか?いや違う。だって、車がいるなんてしらなかったし。車がいなければ、車が轢かなければ、こんなことにはならなかったんだ。僕は、僕は悪くない。
 僕は。僕は……。
 僕はたまらず猫の下に駆け寄った。車の運転手は、車を路肩に止め、猫の死骸を見ながら頭をかいていた。僕が来たことに気づいたその運転手は、気まずそうに顔を歪め、舌打ちを打った。僕は猫の死骸をジッと見つめた。その死骸は、まるで寝ているかのように、その場に横たわっている。
 その瞬間、僕は生物の死を理解した。死とは、こうも冷たく、残酷なのだ。猫の死体を見ながら、僕はわなないたが、しかしどうすることもできなかった。
 「……」
 「死」が、僕の体の中に入ってきた。ゆっくりと、ゆっくりと、「死」が、僕の魂を汚した。
 
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