そして仲直り

文字数 2,808文字

 翌日、喫茶店を尋ねてみたがそこに彼の姿はなかった。マスターにそのことを聞くと、今日は体調が優れないから大事を取ったとのことだ。昨日の喧嘩との因果関係はわからないが、何となく責任を感じた私は見舞いに行くことにした。

 場面は彼の住居に移る。都市部からやや離れたところにある、築50年は優に超えてそうな、年季の入った木造のアパートだった。チャイムを鳴らしてから少しして彼が出てきた。
「何だ、あんたかよ。何の用だ?ていうかどうやって俺の家を知った?ストーカーかよ。」
 彼はまだ不機嫌そうだった。
「その、今日は体調が優れないって聞いて、見舞いに来たの。家の場所は、喫茶店のマスターに聞いた。」
 私がかなり無理を言って、マスターも渋々伝えてくれたのだが、そのことは黙っておこう。
「ああ、実はそのことは店長からさっき聞いたから知っていたんだがよ。体調に関しては単に昨日酒を飲み過ぎただけだ。理由は言わなくてもわかると思うがな。」
 気まずさもあり、どことなく他人行儀に振る舞った私を彼は嘲るように笑いながら言った。
「その、昨日はごめんなさい。流石にあれは言い過ぎだったと自分でも思う。」
「まあ俺も大概酷いことを言ったしな。じゃあこうしよう。俺が今日バイトをサボった理由が二日酔いだってことを店長に黙っていてくれるなら昨日のことは水に流すよ。」
 私の謝罪に対して彼は条件付きではあるがすぐ和解に応じてくれる姿勢を見せた。そしてそのための条件はもう一つあった。
「ただ一つだけ撤回してくれ。俺は決して遊び感覚で音楽に取り組んではいない。」
「ええ、勿論よ。あなたが人並み以上の情熱と矜持をもって音楽に取り組んでいることぐらい、本当は私だって分かっていた。だから、その、改めて昨日はごめんなさい。」
 私が頭を深々と下げつつ謝罪すると、彼は若干呆れたような口調で言った。
「ああ良いよ、謝罪は一度聞けば十分だ。こんな何もないヘンピな場所にいてもつまんないだろうし、悪いがうちには客人に出せるような上等な茶葉や珈琲はないんだ。だから用が済んだならさっさと帰りな。」
「そのことなんだけど、実は体調不良ってきいて、何か簡単なもので良ければ作ろうかと思って…」
 彼が追い返そうとしてきたので私は咄嗟に食材の入った買い物袋を見せつつそう言った。あっけに取られたのか少し間を置いてから言った。
「まあ飯を作ってくれるっていうのは嬉しいけどよ、あんたが来るなんて知ったのはついさっきだし、掃除なんてしてないぞ?」
「構わないわよ。」
 そう言いつつ私が彼の家に入ると、先ずは台所が出迎えてくれた、台所周りは普段あまり使っていないのか、意外にも綺麗だった。だがリビングに入ると事情は一転した。放置された衣類や飲みかけのウイスキー、食べかけのチーズとハム、数本の煙草の吸い殻が入った灰皿、その他諸々に歓迎されたのだ。
「た、確かに結構散らかってるわね…」
「男の一人暮らしなんてそんなもんだ。それにこれで配置としては完璧なんだよ。」
 呆気に取られる私を余所に、このお世辞にも綺麗とは言えない部屋の主は奥の机に着いた。床に散乱していたものは他にも色々あった。例えばエ〇本。
「部屋に物が散乱しているのはともかくとして、〇ロ本までその辺に転がっているのは流石にどうかと思うわよ…」
 私が呆れながらそう指摘すると、彼は当然のように反論してきた。
「俺も男だからな。エ〇本の世話になることぐらいはある。」
「いや、そうだとしてもさ…まあ突然来た私の方に落ち度があるけど…」
 私がまだ何か言いたげであることを察してか、彼は苛立たし気に言い返してきた。
「なあ、あんたは俺にケチを付けに来たのか謝罪しに来たのか飯を食べさせにきたのかはっきりしてくれ。」
「ごめんごめん、ほんの冗談だって…」
 少し不貞腐れてる彼を横目に部屋をさらに見渡した。するとCDや音楽雑誌のようなものが整頓された棚を見つけた。さらに横には彼がいつも使っているエレキギターがギタースタンドに丁重に立てられてあった。なるほど、身の回りのことに関してはずぼらな性格でも、商売道具は大事にしているようだ。何より嬉しかったのは、私の書いた本を始め、音楽とは直接関係のなさそうな本も大事に保管していたことだ。彼の仕事人気質な一面に改めて感心しつつ、私は台所に立った。

 台所で料理をしつつ、私はリビングで横になっている少し彼をからかってみたくなり、次の質問をした。
「ねえ、そう言えばあなたって彼女とかいないの?」
 彼は呆れ気味に答えた。
「はあ?何だよ急に。いない、って言ったら、あんたが俺の彼女になってくれでもするのか?」
「良いわよ。あなたがヒット曲を何本も生み出して大金持ちになったら。」
 わたしが意地悪く答えると、彼も負けじと言い返した。
「あっそ。じゃあその時までにあんたもスランプを克服して、本の印税だけで食っていけるぐらいには稼いでおくんだな。あと金持ちにエスコートされるに相応しいだけの気品と振舞を備えた淑女にもな。」
「はいはい、どうせ私は安物が似合う下賤な女ですよ。」
 何となく言い負かされたような感じになったのが悔しかった私は、続けて彼に質問した。
「じゃあ元カノとかは?」
「なあ、それってあんたに話さなきゃいけないことか?」
「良いじゃん別に。減るものでもないし。」
 私がそう言うと、彼は觀念したのか、もしくは単にこのやり取りがめんどくさくなったのか、少し間を置いてから口を開いた。
「ああ、いたよ。一人だけだがな。」
 性格はともかく、彼は背が高く顔も良いので、逆にそう言った女(ひと)が一人しかいなかったことが驚きだった。それと同時に、胸の奥に本当に微かにだが、何か仄暗い感情が芽生えたのを感じた。
「へえ、その女(ひと)とは何で別れたの。」
 私が興味本位で、そしてほんの少しだけ恐怖心や嫉妬心を交えつつ聞くと、彼は淡々と、それでいてどこか苦々しく答えた。
「理由は簡単だ。俺がいつまでも叶いそうにない夢を追い続けていたことに愛想が尽きたんだと。これで満足か?」
 彼が少し不機嫌そうに尋ねてきたので、これ以上彼の女性遍歴を追及するのはやめにした。代わりに次の労いの言葉をかけてあげた。
「ねえ、私はいつまでも応援してるよ。あなたがプロのミュージシャンになることを。」
「いつまでも、か…」
 予想に反して彼はそれほど嬉しそうではなかった。
「えっと…迷惑だった?」
 不安を覚えた私が聞き返すと、彼はすかさず次のように返した。
「いや、そんなことはねえよ。こっちこそ、あんたが作家としてこれからも活躍できるよう応援するよ。だからスランプなんか早く抜け出せよ?俺は早く新作が読みたいんだ。」
「ええ、あなたもプロデビューして、今よりもっと多くの曲を聴かせてよ?」
 彼の機嫌が完全に直り、和やかな雰囲気が流れ始めたのは料理が出来上がった頃だった。
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