サードコンタクト

文字数 3,281文字

 彼とライブハウスでひと悶着会ってからさらに1週間ほど経った後、私はようやく営業を再会した行きつけの喫茶店に足を運んだ。ちなみに臨時休業の理由はマスターが腰を痛めていたためらしい。
「おや、いらっしゃい。今日は何をご用意いたしましょうか。」
 いつものようにマスターが気品のある佇まいで出迎えてくれた。
「ブラックで。豆は、いつものやつでお願い。」
「はい、サントスのシティ(中深煎り)のブラックですな。挽きは中細挽きでよろしかったですかな。」
「ええ、そうして。」
「かしこまりました。で少々お待ちください。」
 いつも通りのやり取りを終えて店内を見渡すと、そこには気品高い店の雰囲気に似つかわしくない金髪で長身の柄の悪そうな一人の男がいた。もうお察しかと思うが、彼である。彼はエプロンをつけており、店内のモップ掛けをしていた。
「あんたこんなとこで何してるのよ!?
 思わず私は彼に声を掛けてしまった。
「そりゃこっちの台詞だ。」
 と彼も負けじと応戦してきた。
「おや、彼の知り合いでしたかな?」
 マスターが私に問いかけてきた。
「ええ、まあ何というか、腐れ縁で…」
「別に俺はその女と知り合いになった覚えはありませんよ、店長。」
 私が答えたをぼかして伝えると、彼はすぐさま否定してきた。
「こら、お客様に対してそんな口の聞き方をするんじゃない!」
「すみません…」
 マスターが一括すると彼は素直に誤り、モップ掛けに戻った。私への対応とは大違いだ。
「申し訳ございません。うちのバイトが…」
「いえ、気になさらないで。」
 私がそう伝えるとマスターは安堵の表情を浮かべた。本当は文句の一つや二つ言ってやりたかったが、マスターに免じて今日の事は許すとしよう。
「それそうと、彼は最近雇ったの?」
「いえ、随分前からいましたよ。と言っても、前は主に夜勤でしたがね。」
 なるほど、道理で顔を見たことがない訳だ。マスターがさらに続けた。
「恥ずかしながら最近体力的にきつくなってきましてね。彼には昼も来てもらうようにしたんですよ。身なりと接客はともかく、力仕事や雑用なんかは何でも卒なくこなしてくれて助かっています。」
 あの無頼漢が仕事は真面目にこなしているなんて想像できないけど、現に今淡々とモップ掛けをしている様子を見る限り噓ではないのだろう。
「へぇ、あなた結構仕事人気質なのね。少し見直したわ。」
「そいつはどうも。一応仕事何なんでね。」
 私が彼の方を振り向いて言うと、彼はこちらを見向きもせずモップをかけながら無愛想に返事をした。
「こら、いくら知り合いだろうとここではお客様なのだから…」
「いえいえ、お気になさらず。」
「まあ、そこまで仰るのなら…」
 私がマスターを宥めると、マスターも彼の私に対する態度に関しては今後何も言わなくなった。

 店に来てからしばらくすると、今度は彼の方から私に声をかけてきた。
「なあ、あんた確か時野 雫っていう小説家だったよな?」
「ええ、そうよ。」
 私がそう答えると彼は若干口角をあげつつ、どこか嬉し気に続けた。
「あんたの書いた小説、一つだけ読んでみたよ。」
「へえ、明日は雨が降りそうね。それで、何を読んだの?」
 私が嫌味混じりに聞くと彼は続けた。
「あれだよ。嫁と仲の悪い主人公が友人と嫁の不倫現場に遭遇して、嫁と別れたあと幼馴染と再婚するやつ。ただ、真の黒幕は幼馴染で、自分から主人公を奪ったにも関わらず主人公を不幸にした嫁を許せずに、借金で首が回らなくなっていた友人の肩代わりすることを条件に嫁に近づかせたんだっけか。タイトルは…何だったっけか。」
「『絡新婦(じょろうぐも)の罠』よ。」
「そうそう、そんな名前だったな。ところで何でそんなタイトルなんだ?」
「途中から幼馴染視点で書かれていたでしょ。幼馴染は言葉巧みに主人公達を陥れて、最終的には主人公の心までも手に入れたからそのタイトルにしたの。まるで男を言葉巧みにたぶらかす妖怪の絡新婦のように。もしくは巣にかかって動けなくなった獲物を捕食する虫の女郎蜘蛛のように。」
「ふーん、何にしても、趣味の悪い話だったな。女ってあんなのが好きなのか。」
「確かに私の本の読者層は女性が多いけど、あの話は過去私が書いてきた小説の中でぶっちぎりで不評だったわよ。」
 事実、この小説を世に出した当初は酷評の嵐だった。話が悪辣すぎるだの、騙されっぱなしの主人公が可哀想だの、ヒール役の幼馴染だけが良い思いをしているのが受け付けないだのと。思えば私の小説が売れなくなってきて、スランプに陥ったのもこの頃からだった。そんな私の心情を知ってか知らずか彼は続けた。
「まあ、実はそのことは知っていたんだがな。」
「じゃあなんでよりにもよってそんな問題作を…」
 私が尋ねると彼は嬉々として答えた。
「そりゃあんたの小説を酷評してやろうと思ってな。だからこれを読むことにした。」
「ふーん。」
 相変わらず嫌な奴…
「で、いざ読んでみたんだがよ、率直な感想を言うと結構気に入った。」
 彼から称賛の声が聞けるとは思わなかったので、少しばかり仰天した。
「さっき趣味が悪いとか言ってたのに?」
 私が平静を装いつつ尋ねると彼は続けた。
「それは話の内容に対する感想だ。少なくとも構成に関しては存外良くできたと思うぜ。一人称視点の使い分けとか、題名が話全体の伏線になっているところとか。」
 そう、そうなのだ。あの話は一人称小説の特徴である特定の人物視点の物語の進展の仕方を生かしつつ、読み進めていくうちに確認人物への評価が変化していき、最後まで読むことでタイトルの意味がようやくわかるように構成しているのだ。前半の主人公視点で物語を読んだ場合、途中で妻と友人の裏切りに遭うも最後には昔から彼を献身的に想っていた幼馴染とくっついて何だかんだハッピーエンドに見える。だが後半で話を幼馴染視点で改めて読んでいくと事の真相が次第に明らかになり、前半では健気さすら感じさせた幼馴染の隠し持っていた狡猾さ、友を裏切ることに後ろめたさを感じつつも結局金を選んだ友人の弱さ、策略に陥れられたとは言え最終的には自分の意志で夫を裏切った妻の浅ましさ、そして幼馴染の謀略にうすうす勘付きつつもそれを咎めるどころか受け入れ、友人と妻を簡単に捨てた主人公の薄情さ、そう言った人間の負の面を見せつつ、果たして誰が悪いのかを考えさせるようなビターエンドで幕を閉じるのだ。
 何はともあれ、私は彼の意外な洞察力と文章読解力の高さに感心した。これは嫌味や皮肉ではなく本心からだ。
「へえ、あなた良くわかってるじゃない。本当に普段は本を読まないの?」
「ああ。だが歌詞は書くからな。文章の書き方や読み方については多少心得はあるつもりだ。」
 彼は少し誇らしげに答えたあと、さらに続けた。
「そう言えばあんた、今スランプなんだってな。」
「まあ、そうだけど、何でそんなことを?」
「この間あんたと一緒にいた娘(こ)に聞いたんだ。事情は知らねえが、まあ頑張れよ。あんたは才能があるみたいだし…」
 どうやら友人に聞いたらしい。彼のどこか悲しげな表情に少し引っ掛かりを覚えたが、気にしないことにした。
「ええ、仮にもプロの作家が、ジャンルは違うとはいえまだ駆け出しのミュージシャンに応援されてるようではダメね。そっちこそ頑張りなよ、ロックンローラー。」
 わたしがそう言い終わると、彼は気を取り直したように述べた。
「おっと、俺としたことが…ロックンローラーがめげたりしちゃいけないよな。」
「何その昔のロックンローラーみたいな価値観。」
 私が少し意地悪く言うと、彼はやや恥ずかし気に答えた。
「ロックンローラーはそういう生き物なんだよ。」
 そしてさらに続けた。
「その…今までごめんな。本当言うとこの間はそれが言いたくて話しかけたんだ。」
「こちらこそ…あなたを誤解していたみたい。過去のことはお互い水に流しましょ。」
 二人とも少し黙り込んだ後、顔を見合わせてから何だか可笑しくなり、二人して笑った。これが私と彼が和解した瞬間のやり取りであった。
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