主に彼の性格や行動原理について 前編

文字数 2,212文字

 彼と和解してからというもの、私はほぼ毎日喫茶店で彼と会った。あれ以来彼も私に気を許したようで、気さくに接してくれるようになった。マスターも彼が私と話す時だけは仕事をサボることを黙認してくれているらしい。マスターいわく、これで彼の無愛想な接客の仕方が少しでも改善してくれればとのこと。

 いきなり本題から逸れるが、先ずはマスターが彼を雇った経緯から記そう。彼は雑務などの裏方仕事は真面目に取り込組んでいるようだが、お察しの通り客に対する態度はお世辞にも良いとは言えない。はっきり言って接客業をやらせてはいけないタイプの人間だ。マスターもそれぐらいは分かっていただろうに、何故彼を雇ったのか、私は一度だけそれを尋ねたことがある。マスターいわく、彼の音楽に対する確かな情熱に心打たれてとのこと。というもの、マスター自身も若い頃はバンド活動に従事していたらしい。そんなかつてのバンドマンが、何故今ではこじんまりとした喫茶店の店主をやっているのかはお察しいただきたい。ともかく、「紳士」という言葉を具現化したかのような気品あるマスターに派手なメイクをして観衆を前にギターやドラムを演奏していた過去があったとは、実に驚きであった。と同時に彼がマスターに対してはやけに従順で、かつ尊敬の念すら持っているかの如く接していたのか(事実、彼はマスターを尊敬していた)が腑に落ちた。

 そろそろ本題に入ろう。次は彼の出生と経歴についてだ。彼は28年前にF県のとある田舎の農家の長男として生まれた。もう少し若いかと思っていたが、奇遇にも私と同い年だ。そして中学生の頃にある海外のロックバンドに感化され、その頃からミュージシャンを目指していたらしい。ちなみに彼のご両親としては彼に農業を継がせたかったらしいが、彼は周囲の反対を押し切って高校卒業と同時にまるで家から逃げるように、中学・高校時代の三人の友人とミュージシャンを目指して上京したんだとか。そのため彼はご両親、親戚とは不仲らしく、上京してからは一度も顔を合わせていないとのこと。彼は郷土に対してもあまり愛着がないらしく、自分の故郷のことを「年寄りと柄の悪いやつしかいない、何の取り柄もない陸の孤島」と評していた。これ以上は単なるヘイトスピーチになるので彼の出身地の話はこの辺にしておこう。
 なお共にミュージシャンを夢見て上京した三人の友人たちとは最初こそバンドを組んでいたものの、ある者は田舎に帰り、ある者は東京で別の仕事に就き、またある者は他のバンドに移籍したため、現在では彼個人で活動するに至ったらしい。それでも彼は仲間が夢を諦めたことについて決して不満を述べることはなかった。それどころか、自分が半ば強引に付き合わせてしまったことに負い目を感じているようであった。一人になってもなお彼が音楽活動を続ける理由としては、夢に反対してきたご両親へや親戚への反骨精神と手前勝手な気持ちで友人たちを巻き込んだ贖罪の念もあるのであろう。

 三点目は彼の性格について記す。彼は粗暴でなおかつ皮肉屋でもあり、言動に棘や荒い部分が目立つ人間だ。この点はここまでお読みくださった諸兄ならご納得いただけるであろう。同時に仕事熱心でかつ曲がった事や間違ったことが許せない、義侠心に熱い側面もあった。例えば柄の悪そうな客が無茶なクレームをつけて来たとき、平謝りするマスターと対極的に彼は相手の主張の矛盾点を皮肉を交えつつも臆することなく指摘した。勿論クレーマーも簡単には引き下がらず、両者壮絶な舌戦の末に睨み合いとなったが、最終的には相手方が根負けしたのか捨て台詞を吐きつつも店を後にした。ちなみにこの後彼はマスターに客に対する態度と暴力沙汰になるリスクのことでこっぴどく説教をされた。彼は表面上はマスターのいうことを真摯に受け止めていたようだが、内心は納得していなかったらしく、マスターが席を外した隙に私に不満を漏らした。彼としては、尊敬しているマスターがどこの馬の骨ともわからないチンピラの理不尽な要求に低姿勢で接していたことが気に入らなかったのだろう。
「確かにマスターもやけに低姿勢だったと思うけど、だからってあんな柄の悪そうな客に対して正面切って喧嘩を売るのはどうかと思うわよ。今回は相手が折れてくれたけど、場合によっては暴力沙汰になりかねないし。」
 私がそういうと彼は反論してきた。
「良いんだよ。ああいう輩は取り敢えず騒ぐか怒鳴るかしておけば要求が通ると勘違いしてやがる。救いようのない馬鹿だ。あんな奴をつけあがらせない為にも筋の通ってない要求は断固として拒否するべきだ。それにあの下衆野郎は俺よりチビな上に力も弱そうだった。殴り合いになってもたぶん勝てた。」
「そりゃあなたは背が高いし力も強いから大抵の相手には負けないだろうけど、そうなるとあなただってタダでは済まないわよ。それにあなたの方が警察の厄介になるかも知れないし。」
 私がそう言うと彼は怪訝な顔をして述べた。
「あんたまで店長と同じことを言うのか。だったらこの話はもうやめだ。二度も同じ説教は聞きたくない。」
 そう言うと彼は仕事に戻った。この日は私の方から彼に対してこれ以上声を掛けることはしなかったし、彼の方からもそうだった。もっとも次の日には彼の機嫌は直っていたらしく、私が昨日のことを謝ると「何であんたが謝んだよ」と不思議そうに尋ねてきた。
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