主に彼の性格や行動原理について 後編

文字数 2,604文字

 四点目は彼の音楽に対する意気込みについて書こう。既にお気づきかと思うが、彼は音楽に対して並々ならぬ情熱を持っていた。そしてそれはある種の美学とも呼べるものであった。彼は基本的には国内外問わず一昔以上前に流行ったロックを好んでいるらしく、彼の作る曲は基本的にはそれらを参考にしたものであった。まあそれだけなら彼が少年期に聞いていた音楽であるから納得がいくのだが、彼の場合は価値観の遅れが少し行き過ぎていた。というのも基本的に彼は今のヒットチャートについて否定的であった。例えばこれは彼のライブの帰りに私と友人で同行したときのことだが、街中で流行りの恋愛ドラマの主題歌が流れたときには「大衆に媚び諂(へつら)っただけの中身のないラブソング」と切り捨て、流行りのロックバンドの曲が流れようものなら、「ロックを名乗るにしてはギターサウンドが弱すぎる。アコギしか使ってないからだ。せめてエレキぐらい使え。あれはどちらかというとポップスだ。」、「演奏の騒々しさに対してヴォーカルが弱い。今の奴らはシャウトも入れないのか。」、「そもそも歌詞が暗いだけならともかく主人公が卑屈過ぎて聞くに堪えない。ロックは弱者や負け組の心情を代弁するものだが、それすらも弱々しいのはナンセンスだ。ネットで社会や世界に対して不平不満を垂れ流している連中の方が、心情だけなら余程ロックンローラーに近い。」などなど酷評の嵐であった。因みに友人は彼の意見に概ね賛成していた。私には何が悪いのか一切わからない上に、彼らが好んでいる音楽と今流れているそれとは同じ曲のように感じた。何より毎度批評を聞かされるこちらの身にもなってほしいものだ。
 だが批判してばかりではなく、彼自身今の流行りを少しずつ取り入れる努力はしていたようだ。実際彼の批判はどれも実際に聞き、分析した上でのものであり、主に中年層がいうような頭ごなしな若者文化の否定ではないように感じた。実際私が「売れたいのなら最近の流行も理解するべきだ」と忠告すると、彼は「あんな物はロックじゃねぇ」と口では昔気質な職人のように一蹴しつつも、新しく作った曲には最近の流行りの技法もいくらかは用いられているようであった。「ようであった」と類推したのは、それが友人の彼の曲に対する感想だったからだ。因みにそう述べた時の彼女の顔はどこか不満気であった。

 五点目に、彼の行動の変化について書こうと思う。彼は以前読書は一切しなかったらしいが、私と出会ってから読書をするようになった。ジャンルは小説を始めとした文芸書と歴史や哲学を中心とした専門書だ。嬉しいことに中には私の書いた小説もあった。そして本を読み終える度、私に対してその本の感想や疑問点を述べてくれた。彼いわく、幅広い知識をつけることは曲を作る上での選択肢の幅が増えるため、音楽活動にも有意義らしい。何にせよ、本について議論できる仲間が増えたことは物書きとしては嬉しいことだ。
「今にして思えば、読書はもっと早くにやっておくべきだった。それこそ、ガキの頃にでも。」
 ある日彼がそのようにおちゃらけた。
「あら、どうして前は読書をしなかったの?」
 私が意地悪く聞くと、彼は照れくさそうに答えた。
「だって地道に勉強をしているなんてロックンローラーっぽくないだろ。それに俺は元々勉強が嫌いだったんだ。」
「じゃあ今のあなたはロックンローラーではないわね。」
 私が意地悪く言うと、彼は虚空を見つめつつ答えた。
「まあ、もうそんなことを言っている場合でもないしな。」
 どことなく悲しげな彼の物言いに場がしらけたため、空気を変えようと私は次のように冗談を言った。
「何柄にもなく辛気臭いこと言ってるのよ。ロックンローラーはめげたりしちゃいけないんでしょ?」
「おっと、それもそうだな。」
 その場の雰囲気は明るくなったが、彼の目はやはりどこか遠くを見つめているようであった。

 六点目に、これは彼自身の性格などとは直接関係ないが記そうと思ったことだ。いつだったか店を訪れた際、マスターではなく彼が淹れた珈琲を飲んだことがある。風味こそマスターには敵わないものの、十分に美味しかったのを覚えている。何でも毎日マスターにしごかれている成果なんだとか。マスターいわく「まだまだお客さんに出せるようなものじゃない」との手厳しい評価で、実際そのときもお金は取られなかった。だが私個人としては十分お金を払うに値する味であった。そのことを彼に伝えると、照れくさそうに、そしてどこか悔し気に「今度は店長のより美味い珈琲を淹れてやるよ」と答えていた。

 ここまでで私の彼に対する評価をまとめると、彼は言動が露悪的なところがあるが義侠心と反骨精神も持ち合わせており、完璧主義なためか良くも悪くも型に囚われやすく、理想が高すぎるきらいがある人物だ。実際音楽についてはロックというジャンルにこだわりすぎている気がしてならない。他人の意見に一切耳を貸す気がないわけではないが、私が彼の曲に対して批判的な意見を述べるとやはり怪訝な顔をしつつ、反論してきた。批判をされて嫌な顔一つしない人間も珍しいが、彼の場合、それが常人よりも激しいように思えた。

 最後に、僭越ながら少しだけ私の行動の変化についても書こうと思う。私は私で彼と出会ってから頻繫に音楽を聴くようになった。それこそ、以前は何となく敬遠していたロックなどを中心に。そして彼にギターの弾き方を教わるようにもなった。と言っても私は楽器が大の苦手で、覚えられたのは基本的な音と簡単なコードだけであった。彼は私がギターを弾く度に「下手だなあ」と意地悪な笑みを浮かべながら言いつつ手ほどきしてくれた。その度に私が不貞腐れた表情を浮かべて見せていたが、彼の言動に悪意はなく、それ以上酷いことは言ってこなかったため、こちらも必要以上に悪態を吐くことはしなかった。

 何はともあれ、私と彼は時に喫茶店で、時にライブハウスで、そして時に街中で同じ時間を過ごすようになった。交流を重ねるに連れて、主に音楽や本についての議論が増え、意気投合したり、意見が対立したりを繰り返し、全体としては双方への理解を深め、友好的な関係を築けていた。
 そして月日は流れ、年が明け、未だに正月気分が町中から漂う1月上旬頃、彼とささいなきっかけで仲違いすることになるのだが、それは次回に記す。 
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