子供の頃の夢、残り続けたもの

文字数 1,852文字

「とこでよ、あんたは小説家になる前は他に夢とかあったのか?」
 食卓を囲みつつ、彼が突然私に前述の質問をしてきた。
「夢?」
「ああ、ガキの頃に小説家以外で何か目指していたものはないかって聞いてるんだ。」
 私は幼稚園児の頃から高校生ごろまでを思い出して見た。小説家以外の夢…か。
「そうね、実は中学生までは小説家じゃなくて看護師を目指していたの。」
「へえ、意外だな。小説家以上に重きを置いていた夢があったなんて。」
「ただ、実は私血を見るのが大の苦手で…それで高校までで看護師を諦めたの。」
「ああ、そりゃ災難だったな…」
 彼が珍しく同情気味に接してくれたあと、すかさず物書きを目指した理由の方を聞いてきた。
「それで、小説家を目指した理由は?」
「小学生の頃に書いた読書感想文で賞を取ってから、少しずつ文章を書くのが好きになったの。まあ、物書き一本で生きていくことを決めたのは大学生の頃だけど。」
「へえ、何かあったのか?」
「これはちょっとした自慢なんだけど、その頃書いた小説をある出版社に応募したら、いきなり新人賞をもらえたの。」
「へえ、凄えな。やっぱ文才のあるやつは最初から違うんだな。」
 彼は感心したように、そして少し羨ましそうに言った。
「そういうあなたこそ、ミュージシャン以外にもあったんでしょ?夢が。」
 今度は私が彼に子供の頃の夢を聞くと、彼は腕を組みつつ少し上を向いて、数秒ほど間を開けてから述べた。
「そうだな、俺がミュージシャンを目指すようになったのは中学生の頃だっていうのは前に言ったよな?実は小学校高学年までは野球選手になることが夢だったんだ。ただまあ、俺は運動が得意な方ではなかったし、その頃の俺は身体も小さい方でな、リトルリーグでは6年生になってようやく補欠になれた程度だった。だから俺はその時点で野球を辞めた。自分が野球選手には向いてないってことぐらいは馬鹿だったガキの頃の俺でも気づけたからな。」
 自信家だと思っていた彼の意外にもドライでかつ低めな自己評価に対して驚きつつ、彼の幼少期の夢に興味の出てきた私はさらに促した。
「へえ、他には?」
「他にはなあ、小学校高学年よりもっと前、つまり小学校低学年の頃は恐竜の研究がしたかった。あとは飛行機のパイロットにも憧れてた。ガキの頃の俺は恐竜と飛行機が好きでよ。理由は格好良いからだ。どうだ?如何にも馬鹿な男子小学生っぽい理由だろ?」
「いいえ、純朴な少年らしい素敵な理由だと思うわよ。」
 私が相槌を打ち終えると彼は続けた。
「ただ、俺はその頃から勉強というものが大の苦手だった。ペーパーテストの点数なんてひどいもんで、家に帰ると毎度糞親父に怒られたもんだ。だから研究者もパイロットもその頃に諦めた。」
 どうにも子供の頃の彼は今と比べると随分冷めた性格をしていたらしい。
「意外ね。なんていうか、あなたってもっと自信家で情熱と反骨精神に富んでて、どんな逆境だろうががむしゃらに立ち向かって跳ね返すような人だと思っていたわ。なんていうか、子供の頃のあなたって結構ドライというか妙に現実的というか、冷めた感じだったのね。」
 私が率直な感想を述べると、彼は諭すように言った。
「寧ろ俺は元々興味がすぐ冷めるタイプの人間だよ。そうやって色んなことから逃げて来た。俺がロックを好む理由の一つが、偉大なロックンローラー達が俺に足りない矜持と情熱と反骨精神を与えてくれたからだ。もっとも彼らにそんな気は毛頭なかっただろうがな。」
「そう、私も子供の頃に会いたかったわ。自分の生き方や価値観や感性を根本から変えてくれる何かに。」
 私が言い終えてから10秒ほど間を開けて彼は言った。
「だがまあ、考えてもみたら、大人になるっていうのは、自分のできることが増える一方で夢とかそういうのが徐々に狭まっていくことなんじゃないか。俺は大人になって酒と煙草を覚えた。珈琲を無糖で飲めるようになった。夜更かしをするようになった。一方で研究者の道を諦めた。スポーツ選手の道を諦めた。パイロットの道を諦めた。それでも…」
 彼は一度ギターに目をやってから続けた。
「それでも、音楽だけは変わらず残り続けた。だから音楽だけは何があっても続けようと決意して上京した。例え無理な夢だと決めつけてかかる親戚連中に鼻で笑われようと、例え同じ志を持って上京した仲間たちと散り散りになろうと、例え一度は永遠の愛を誓い合った女に逃げられようと、な。」
 その雄弁な語り口とは裏腹に、彼の目はどこか悲しげに遠くを見ていた。
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