セカンドコンタクト 後編

文字数 2,767文字

 結局ライブハウスには最後まで居座ることとなった。友人は仕事のためと言っていたが、反応を見るに明らかにこれは彼女の趣味だ。それに、肝心の小説のアイデアも思いつかなかった。いっそのことあの無頼漢を題材に描いてみようか。素行の悪い売れないロックンローラーが、その素行故に大事なオーディションで落とされる物語、うむ、普段から自分の言動には気を付けろという教訓にもなり、何より私自身の憂さ晴らしになる、我ながら悪くない話なのではないかな?などと考えながら友人とライブハウスを出ると、正面入口の辺りで黒いギターケースを背負った彼と鉢合わせた。目を合わせないように俯いて彼の横を通りすぎた直後に、私達は彼に呼び止められた。
「おい、ちょっと待てよ。」
「何かようですか?」
 友人の返答に対して彼は続けた。
「いや、あんたじゃないんだ。そこの連れの女に用がある。」
 明らかに私のことだ。さらに彼は続けた。
「あんた、この間ファミレスで俺と相席したやつだよな?」
「そうだけど、何?まさか『お前のせいで酒と肉が不味くなったから弁償しろ』とでも言うんじゃないでしょうね?」
「ねえ何?二人とも知り合い?」
 私達が話していると友人が割り込んできた。
「うん、ちょっとね…」
 こんなガラの悪い知り合いなんていないしいてほしくもないのだが、一々説明するのも面倒だったので知り合いだということにして彼との対話を続けた。
「別に俺も弁償しろだなんてケチ臭いこと言うために呼び止めた訳じゃねぇよ。どういう風の吹き回しでここに来たのか聞きたいだけだ。」
「それってあなたに話さなきゃいけないことなの?あなたに何の権限があるっていうの?」
 この間のこともあり、意地悪く聞き返してやった。
「いや何、この間のことは虫の居所が悪かったとは言えあんたに突っかかり過ぎたからな。そのことで仕返しにでもきたんじゃないかと思ったんだ。」
「だったら安心して。私はあなたごときに仕返しをしようと思うほど暇じゃないの。」
 私があしらうと彼も負けじと応戦してきた。
「へえ、そんなに忙しいやつがどうして平日の昼間からこんな掃き溜めで油を売ってるんだ?」
「仕事の取材中でして。彼女、こう見えても小説家なんですよ。『時野 雫』って、聞いた事ありませんか?」
 私たちが舌戦中にも構わず、友人が答えた。
「ちょっと、そこで私のペンネームを出さないで。」
「良いじゃん、少しでも多くの人に知ってもらった方が良いよ。」
 天然というか、考えなしで少し抜けたところがあるのが(そしておそらく本人には悪気がないのが)友人の悪いところだ。そんな私たちのやり取りを気にも留めず、彼は続けた。
「ときのしずく?知らねぇなあそんな作家。芥川賞だか直木賞だかでも取ったのか?」
 彼の返答に対して友人が嬉々として続けた。
「だったら丁度良かった。彼女は今売れっ子の小説家で、次期直木賞受賞の第一候補と言われてるんですよ。是非とも本を読んでみてあげてください。」
 この状況で私を売り込める彼女の心臓の強さには脱帽だわ…
「悪いが俺は昔からどうにも読み物は性に合わなくてよ。それに直木賞っていったら、確か主に長編小説に与える賞だったよな?短文ならまだしも長文は…まあ短いのであれば1冊ぐらいなら読んでみても良いかな。」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
 明らかに適当にあしらっている彼に対して友人は大喜びだった。たぶん読む気ないわよその男…
「で、その大先生のお眼鏡に叶うミュージシャンはいたかい?」
「ええ、一人いたわ。素行の悪い売れないロックンローラーが、その素行故に大事なオーディションで落とされ続ける、そんな喜劇のモデルになりそうな人物がね。」
「へえ、報われないやつはとことん報われない辺り、シェイクスピアだか太宰治だか辺りの悲劇作品にでもありそうな話だな。もっとも出来の方は彼らの足元にも及ばないどころか、比較するのが失礼に値するほどだろうがな。」
 その二人と比べたら殆どの作家が良いところ素人の小説家気取りよ。そうは言っても私も一応プロの物書きの端くれとしてのプライドがある。シェイクスピアや太宰のような偉大な作家には到底及ばないまでも、文学の「ぶ」の字も知らないような相手に彼らの比較対象にすらならないと言われて黙っていられる訳がない。沸々と込み上げてくる私を余所に彼は呑気に続けた。
「ところで俺の歌はどうだった?気に入ったか?」
「冗談は休み休み言って頂戴。誰があんな下品でけたたましい上に、現政権の悪口を言って民衆のご機嫌取りをする事しか能のない野党の政治家連中みたく社会への不平不満を垂れてるだけの耳障りな曲なんか。まだ盛りのついたの猿の鳴き声でも聞いていた方がマシよ。」
 先ほどまでの彼とのやり取りで興奮していたこともあり、とうとう堪忍袋の緒が切れた私は怒りに任せてつい言い過ぎてしまった。正直先ほど述べたことは私としてもあまりにも酷い言い方だったと今でも思う。そして当然彼は激怒した。
「おい、つまりこう言いたいのか?お前の曲は発情期を迎えた畜生の奇声にも劣る、聴くだけで耳が腐れ落ちるほどの不協和音だって。」
「ええ、その解釈であってるわよ。見た目によらず頭は切れるようね。」
 またも私は彼を怒らせるようなことを言ってしまった。彼は顔を真っ赤にして、身体を小刻みに震わせ、今にも飛び掛かってきそうな様子で私を睨んできた。
「なあ、さっきから流石に言い過ぎじゃねえか?女だからってこれ以上言うと容赦しねえぞ。」
「そっちこそ私の小説を読んだこともないくせに、シェイクスピアや太宰の足元にも及ばないとか決めつけないでよ!」
 私がそう言うと、しばらく私たちは睨み合った。すると私たちの険悪な空気を察してか察せずか、友人が口を開いた。
「あの、貴方の歌、凄く気に入りました。私自身がロックが好きなのもあるんですけど、転調が激しくて疾走感のある曲調とか、攻撃的でそれでいてどこか繊細さとメッセージ性を感じさせる歌詞とか、とにかく私好みの曲でした。」
 友人が宥めるように言うと、彼は少し冷静さを取り戻したように言った。
「ああ、そうかい。ありがとよ。わかるやつには俺の音楽の良さがちゃんと伝わるようだ。良かったら来週も来なよ。大抵は金曜日のこの時間帯にここにいるから。」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。」
 友人がそう言い終えると彼は嬉々としてライブハウスを後にした。もしあのまま舌戦を続けていたら取っ組み合いになっただろうし、そうなると体格と力で圧倒的に勝る彼に為す術なくやられていただろう。先ほどのことに関しては友人に助けられたと思う。お礼に帰る途中の夕食で友人にデザートを一品奢ってあげたら不思議そうな顔をされたが、それはまた別の話である。
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