第2話 思わぬ出会い
文字数 2,431文字
翌日。水を汲みに井戸へ行くと、何やら、井戸端がにぎやかだった。
近所のおばさん連中が、井戸端会議でもしているのかと思い近づくと、
いつもと何だか様子が違う。集まっているメンツや雰囲気も異なる。
「あらまあ、近くで見ると、なおのこと伊達男じゃないか」
茫然と立っている所へ、隣の主婦、コウの声が聞こえた。
「え? 誰かいるっていうの? 」
わたしが聞くと、コウがわたしの背中を前へと押した。
「気になるんだったら、見に行こうよ」
「うん、そうね」
2人で、黒山の人だかりに近づくと、人の合間から、
最近よく、呉服屋で見かける模様の袖がちらりと見えた。
「あれ、今、流行っている柄だねえ」
コウが言った。
「ねえ、誰が来ているんだい? 」
わたしはがまんできなくなり、前の娘に聞いた。
「誰って、知らないのかい? 盛五郎さんだよ」
その娘が返事した。
「まことかい? どれどれ」
コウが、わたしの腕を引っ張ると、
人の波を押し分けて前に躍り出た。
「本当だ」
わたしは思わず声に出した。
すると、その声が届いたらしく、注目の的がこちらを見た。
そして、あろうことか、こちらへ歩み寄って来た。
それと同時に、黄色い歓声が、えっという不穏なものに変わった。
盛五郎といえば、その名は、歌舞伎通でなくても知っている。
彼が演じた主役が好んで着ている着物の柄が今大流行している。
ところがどっこい、あまりに近すぎて、
案外、彼がどんなにすごいかを知らなかった。
「あれ、おまえさん。曽埼の兄さんの娘じゃないか? 」
盛五郎が、わたしに言った。
「さようです。リタといいます」
わたしが返事した。
「ひょっとすると、真坂と駆け落ちしたっていう娘を知っているかい? 」
盛五郎が、わたしの顔をのぞき込むと聞いた。
「え? そのことで、こんなところに」
わたしが言った。
「どこへ行ったか知らないかい? 」
「いいえ」
「あの。もしよければ、この娘と一緒に2人を捜してもらえないかい? 」
コウが脇からトンデモナイことを言った。
「そうさね」
盛五郎が困り顔をした。
「なにいってんのさ。この人は売れっ子役者なんだよ。
そんな暇あるわけないだろ」
わたしが、コウにそう言うと、盛五郎が手を打った。
「ならば、こうしょう。今日は1日空いている。
1日捜して、もし、見つからなかったらあきらめよう」
盛五郎が穏やかに告げた。
「あきらめるとな? 」
わたしが聞き返した。
「なんたって、好き合った2人が駆け落ちしたわけさ。
止める権利がどこにあんだい? 」
「それはそうかもしれませんが‥‥ 」
「話は決まった! さっそく、行きそうなところを
案内してくんねえ」
わたしは、先に歩き出した盛五郎の後ろを追いかけた。
「なんなのさ! あの女! 」
遠巻きに、盛五郎のとりまきの負け惜しみの声が聞こえた。
「すぐには、江戸を立たないだろ」
盛五郎が神妙な面持ちで言った。
「いったん、どこかに泊まるはず。そうだとすると‥‥ 」
2人は深川へ向かった。
「駆け落ちしてそうな男女ねえ。知らねえなあ」
「雨で川が増水しちまって、足止めくらったのは確かだが、
若くて金もねぇんじゃ、宿なんぞに泊まらねぇじゃねぇかい」
「ダチの家にでもいるんじゃねぇのか」
かたっぱしから、宿をあたったが、どこも同じような返事ばかり。
「ダチったって、こちらは、親と住んでいる子ばかり。
男連れで家出とあれば、親が反対するよ」
わたしはついぼやいた。
「こちとらあ。わし以外に、江戸に知り合いがいるとは思わねえ」
盛五郎が言った。
「するってと、真坂さんの生国は江戸ではないのかい? 」
わたしが聞いた。
「あいつもわしも、生まれは京なわけさ」
盛五郎が答えた。
「はあ、それで、うちのおとっつあんのことを知っているわけねえ」
わたしは妙に納得した。
おとっつあんは、関西では、名優として名が知れている。
江戸に来てからは、名門に押されて低迷気味だ。
「何度か、曽埼の兄さんと一緒に出させてもらった。
今あるのは、兄さんが江戸に礎を築いて下さったおかげさ」
盛五郎が告げた。
「それはどうも。おとっつあんが聞いたら喜びますよ」
わたしが言った。
「ここまで捜してもいねぇということは、
寺の境内で野宿か、飲み屋で夜を明かした後、
船着き場の辺りをうろついているかもしれねえ」
盛五郎が腕を組むと言った。
気づいたら、昼になっていた。
わたしたちはどちらともなく、船着き場に近い出会い茶屋へ入った。
有名人との会食はとにかく人目に付く。市中の店ではダメなのだ。
「いつもの頼むよ」
「はあ」
寡黙そうな店主でひとまず安心。
いつものと言うことはなじみの店らしい。
初対面でいきなり、出会い茶屋でふたりきりという
思いがけない展開に、わたしは冷や汗をかいていた。
「あの。もう、これきりでよろしいですよ」
わたしはさすがに、夕方まで引っ張るのは気が引けた。
「何言ってんだい? 」
盛五郎が身を乗り出すと言った。
「わたしひとりで大丈夫です」
わたしは、運ばれてきた御膳に目を移しつつ言った。
赤い塗の膳の上には、小料理屋でしか目にしないような
豪勢な料理が所狭しと並んでいた。
さすがは、売れっ子役者。昼飯とはいえ、他とは違う。
「どうだい、うまいかい? 」
黙々と食べるわたしに、盛五郎が聞いた。
「はい! 」
わたしの声は上ずった。
「ありがとうごぜぇました。またどうぞ」
店を出ると、盛五郎は、船着き場の方角へさっさと歩き出した。
そして、驚いたことに、平然と、すれ違った人たちに、
2人の事を見かけなかったかと聞き込みを行った。
有名人らしかねない、大胆不敵な姿に、わたしは面食らった。
そこまでして、付き人を連れ戻したい理由はなんなんだろう?
いなくなったのは、真坂の身勝手なのに、
主人自ら、捜しに出るとは考えるとすごいことだ。
盛五郎の付き人なら、なりてはいくらでもいるはずだ。
結局、2人の行方はわからなかったが、
どういうわけか、わたしたちは時々、会うようになった。
近所のおばさん連中が、井戸端会議でもしているのかと思い近づくと、
いつもと何だか様子が違う。集まっているメンツや雰囲気も異なる。
「あらまあ、近くで見ると、なおのこと伊達男じゃないか」
茫然と立っている所へ、隣の主婦、コウの声が聞こえた。
「え? 誰かいるっていうの? 」
わたしが聞くと、コウがわたしの背中を前へと押した。
「気になるんだったら、見に行こうよ」
「うん、そうね」
2人で、黒山の人だかりに近づくと、人の合間から、
最近よく、呉服屋で見かける模様の袖がちらりと見えた。
「あれ、今、流行っている柄だねえ」
コウが言った。
「ねえ、誰が来ているんだい? 」
わたしはがまんできなくなり、前の娘に聞いた。
「誰って、知らないのかい? 盛五郎さんだよ」
その娘が返事した。
「まことかい? どれどれ」
コウが、わたしの腕を引っ張ると、
人の波を押し分けて前に躍り出た。
「本当だ」
わたしは思わず声に出した。
すると、その声が届いたらしく、注目の的がこちらを見た。
そして、あろうことか、こちらへ歩み寄って来た。
それと同時に、黄色い歓声が、えっという不穏なものに変わった。
盛五郎といえば、その名は、歌舞伎通でなくても知っている。
彼が演じた主役が好んで着ている着物の柄が今大流行している。
ところがどっこい、あまりに近すぎて、
案外、彼がどんなにすごいかを知らなかった。
「あれ、おまえさん。曽埼の兄さんの娘じゃないか? 」
盛五郎が、わたしに言った。
「さようです。リタといいます」
わたしが返事した。
「ひょっとすると、真坂と駆け落ちしたっていう娘を知っているかい? 」
盛五郎が、わたしの顔をのぞき込むと聞いた。
「え? そのことで、こんなところに」
わたしが言った。
「どこへ行ったか知らないかい? 」
「いいえ」
「あの。もしよければ、この娘と一緒に2人を捜してもらえないかい? 」
コウが脇からトンデモナイことを言った。
「そうさね」
盛五郎が困り顔をした。
「なにいってんのさ。この人は売れっ子役者なんだよ。
そんな暇あるわけないだろ」
わたしが、コウにそう言うと、盛五郎が手を打った。
「ならば、こうしょう。今日は1日空いている。
1日捜して、もし、見つからなかったらあきらめよう」
盛五郎が穏やかに告げた。
「あきらめるとな? 」
わたしが聞き返した。
「なんたって、好き合った2人が駆け落ちしたわけさ。
止める権利がどこにあんだい? 」
「それはそうかもしれませんが‥‥ 」
「話は決まった! さっそく、行きそうなところを
案内してくんねえ」
わたしは、先に歩き出した盛五郎の後ろを追いかけた。
「なんなのさ! あの女! 」
遠巻きに、盛五郎のとりまきの負け惜しみの声が聞こえた。
「すぐには、江戸を立たないだろ」
盛五郎が神妙な面持ちで言った。
「いったん、どこかに泊まるはず。そうだとすると‥‥ 」
2人は深川へ向かった。
「駆け落ちしてそうな男女ねえ。知らねえなあ」
「雨で川が増水しちまって、足止めくらったのは確かだが、
若くて金もねぇんじゃ、宿なんぞに泊まらねぇじゃねぇかい」
「ダチの家にでもいるんじゃねぇのか」
かたっぱしから、宿をあたったが、どこも同じような返事ばかり。
「ダチったって、こちらは、親と住んでいる子ばかり。
男連れで家出とあれば、親が反対するよ」
わたしはついぼやいた。
「こちとらあ。わし以外に、江戸に知り合いがいるとは思わねえ」
盛五郎が言った。
「するってと、真坂さんの生国は江戸ではないのかい? 」
わたしが聞いた。
「あいつもわしも、生まれは京なわけさ」
盛五郎が答えた。
「はあ、それで、うちのおとっつあんのことを知っているわけねえ」
わたしは妙に納得した。
おとっつあんは、関西では、名優として名が知れている。
江戸に来てからは、名門に押されて低迷気味だ。
「何度か、曽埼の兄さんと一緒に出させてもらった。
今あるのは、兄さんが江戸に礎を築いて下さったおかげさ」
盛五郎が告げた。
「それはどうも。おとっつあんが聞いたら喜びますよ」
わたしが言った。
「ここまで捜してもいねぇということは、
寺の境内で野宿か、飲み屋で夜を明かした後、
船着き場の辺りをうろついているかもしれねえ」
盛五郎が腕を組むと言った。
気づいたら、昼になっていた。
わたしたちはどちらともなく、船着き場に近い出会い茶屋へ入った。
有名人との会食はとにかく人目に付く。市中の店ではダメなのだ。
「いつもの頼むよ」
「はあ」
寡黙そうな店主でひとまず安心。
いつものと言うことはなじみの店らしい。
初対面でいきなり、出会い茶屋でふたりきりという
思いがけない展開に、わたしは冷や汗をかいていた。
「あの。もう、これきりでよろしいですよ」
わたしはさすがに、夕方まで引っ張るのは気が引けた。
「何言ってんだい? 」
盛五郎が身を乗り出すと言った。
「わたしひとりで大丈夫です」
わたしは、運ばれてきた御膳に目を移しつつ言った。
赤い塗の膳の上には、小料理屋でしか目にしないような
豪勢な料理が所狭しと並んでいた。
さすがは、売れっ子役者。昼飯とはいえ、他とは違う。
「どうだい、うまいかい? 」
黙々と食べるわたしに、盛五郎が聞いた。
「はい! 」
わたしの声は上ずった。
「ありがとうごぜぇました。またどうぞ」
店を出ると、盛五郎は、船着き場の方角へさっさと歩き出した。
そして、驚いたことに、平然と、すれ違った人たちに、
2人の事を見かけなかったかと聞き込みを行った。
有名人らしかねない、大胆不敵な姿に、わたしは面食らった。
そこまでして、付き人を連れ戻したい理由はなんなんだろう?
いなくなったのは、真坂の身勝手なのに、
主人自ら、捜しに出るとは考えるとすごいことだ。
盛五郎の付き人なら、なりてはいくらでもいるはずだ。
結局、2人の行方はわからなかったが、
どういうわけか、わたしたちは時々、会うようになった。
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