第6話 兄の結婚

文字数 1,359文字

兄とフサさんが結婚した。二川宗家の紹介で、

芝居町にある古い家を借りて所帯を持った。

もちろん、父も同居することになった。

 わたしはと言うと、小姑にはなりたくないから、

兄の結婚を機に、わたしも一人暮らしを始めることにした。

手習いの三味線の師匠から

三味線弾きの仕事をもらい生計を立てることにした。

お座敷1席が職人の給金と同じぐらいだから、

同じ年の娘よりも稼ぎが良い。

わたしは江戸へ下って以来ずっと住んでいた長屋を出て、

今では、深川の裏長屋で暮らしている。

 百太郎が時々、門人や共演役者たちを引き連れて、

わたしが出ている座敷に顔をみせる。

お互い、顔見知った仲だけど、気まずいことがあったため、

兄を通した知人として接している。

兄もまた、わたしが妹だとは表立って紹介しない。

「せっかく、名取になったんだ。お座敷廻りじゃなくて、

師匠になって、生徒に教えたらどうなんだい? 」

 家業の合間、遊びに来たトミがふと言った。

トミから見ると、わたしは危なっかしいらしい。

芸者ではないから、酒の相手をしたり、愛想をふるまく必要はない。

だけど、客の中には、泥酔してからんで来る客もいる。

そんな時、上手くあしらうことが苦手だ。

以前、露骨に嫌な顔をして、客の機嫌を損ねたことがある。

そのとき、その客の馴染みの芸者から文句を言われた。

幾多の苦い経験から、しだいに、お師匠の道を考えるようになった。

そんなおり、舞台中、兄が倒れた。

わたしは、知らせを聞くと、フサさんと一緒に

公演中の歌舞伎小屋へ駆けつけた。

駆けつけた時には、兄は、2階の楽屋に敷かれた布団の上で

まるで、人形のように静かに横たわっていた。

その枕元には、打ちひしがれた様子の百太郎がいた。

「いったい、うちの人の身に何があったんですか? 」

 フサさんが、百太郎に聞いた。

「すまねえ。わしがそばにいながら何も出来なかった」

 百太郎が答えた。

「謝らないでおくんなさいまし。

わたしはただ、何があったのか知りたいだけです」

 フサさんがあわてて言った。

「倒れたということは、急病になったのかい? 」

 わたしが言った。

「舞台の袖で倒れている所を他の役者が見つけた。

見つけた時にはまだ、息が合った故、

医者が来る前に、ここへ運んだわけさ」

 百太郎が神妙な面持ちで話した。

「さようでしたか。ありがとうございました」

 わたしたちはそろって、頭を下げた。

「いましがた、医者が帰った。薬代はいらねぇよ。

これからのことだけど、しばらく、養生しなさいよ」

 百太郎がそう告げると席を立った。

しばらくして、兄が目を覚ました。青白い顔をしている。

汗をかいていたため、新しい浴衣に着替えさせた。

「ひとりで歩けるかい? 」

 フサさんが支えようとしたが、兄がやんわりと拒んだ。

「大事ない。ひとりで歩ける」

 兄がよろけながらも自力で立ち上がった。

それから3日後。フサさんの懐妊がわかった。

本来ならば、手放しで喜ぶどころだが、

兄の稼ぎがないことにより、妊婦のフサさんに負担がかかった。

わたしも出来るだけ、援助はするつもりでいるが、

一方、兄夫婦と同居してから、おとっつあんが気が緩んだのか、

すっかり、腑抜けになってしまい酒に逃げるようになった。

売り出しの兄とは違い、とうがたったおとっつあんは、

江戸の役者連中の間では、化石みたいな存在だった。





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