第14話 一念発起

文字数 1,145文字

いらぬ疑いをかけられて、天職を奪われた。

なんともわびしい余生と嘆いているわけにはいかない。

息子夫婦は、わたしと同居すると言ってくれたため、

衣食住に苦労することはない。

若い2人は、歌舞伎のことで年がら年中忙しい。

一方、わたしは静かな隠居生活。

親友のトミはすでに天に召されて、

仕事を離れたら、親しく遊びに来る人もいない。

「母さん。何かしたらどうだい? 」

そんなわたしを見かねた息子が、趣味を見つけるよう勧めて来た。

このままでは終われない。わたしの中には根強い信念がある。

考えた末、しばらく、江戸を離れて旅に出ることにした。

思いつくまま、前からずっと、行きたかった伊勢や出雲をまわった。

 江戸に帰った後、わたしはふと思い立ち、二川宗家を訪ねた。

あの約束から早2年が立とうとしていた。

二川宗家は、頭領の百太郎がご禁制を破ったため、

江戸から追放されていた。夫婦の間には跡継ぎとなる子がおらず、

二川一門の役者たちの間で、跡目をめぐる内紛が生じた。

三代目二川百次郎となった息子は仲裁役を任せられた。

その心労もあってか、本業は振るわず人気が低迷していた。

そこで、息子夫婦は、副業として店を開いた。

「お母さま。なにとぞ、店を手伝っておくんなさいまし」

 嫁たっての願いで、わたしは女主人を任された。

店では、翁来屋(二川宗家の屋号)の文様をあしらった

反物から化粧道具、文具を販売することになった。

「話とは何だい? 」

 すっかり、老け込んだ二川宗家の婦人がけだるい声で聞いた。

「勝手を承知でお願い申し上げます。翁来屋の屋号を使用して、

商いを始めることをお許しくださいまし」

 わたしはその場に土下座すると願い出た。

「それはいったい、どういう用件だい? 」

 二川宗家の婦人が強い口調で言った。

「今や、歌舞伎一本では、生活が成り立たない。

一門の役者が食べて行くためにも副業が必須」

 わたしが訴えると、二川宗家の婦人が、

これ見よがしにため息をついた。

「そういわれても、うちは名門ですから」

「かつて、江戸が火事に見舞われた際、

元頭領と先代のおかみさんが、

焼け出された一門の役者やその家族の

面倒を一切みてくださったことがございました。

それはそれはありがたかった。

その甲斐あり、皆が苦境を乗り切った次第」

 わたしが昔の話をすると、二川宗家の婦人が身を乗り出した。

「相分かった。宗家が出資します。

さすれば、一門の役者らも店で働きやすくなる」

 二川宗家の婦人が告げた。

「ありがたいお話です。よしなにお願いいたします」

 わたしがそう告げると、

二川宗家の婦人が、わたしに片手を差し出した。

「せんだっての度が過ぎたふるまいを許しておくんなさいまし。

これからは、お互い、手を取り合って参りましょう」

「はい」

 わたしたちは固い握手を交わした。

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