第8話 一歩

文字数 1,412文字

りっぱな門構えに圧倒されていると、

門が開いて、割烹着姿の女性が出て来た。

「どなたですか? 」

 その女性が聞いた。

「リタと申します。近所で、三味線と唄の手習いを開くつもりです。

生徒集めの前に、ご挨拶をと参った次第」

 わたしが答えた。

「どうぞ、中へお入りおくんなさいまし」

 その女性が、わたしを屋敷の中へ招き入れた。

庭に面した長い廊下を通り、客間へ案内された。

少しして、さっきの女性がお茶を運んできた。

「ただいま、奥様がお見えになります」

 その女性がお茶を出すと告げた。

「いただきます」

 わたしは、周囲を見まわしながらお茶を一口飲んだ。

「お待たせ」

 そのとき、二川宗家の老婦人が姿を現した。

「いつも兄がお世話になっています。

百次郎の妹のリタと申します」

 わたしが自己紹介した。

「あなたが、百次郎の妹さん?

百次郎が亡くなってからどうしているんだい? 」

 老婦人が腰を下ろすと言った。

「義姉と姪と同居しています。

いまでは、わたしが一家の大黒柱です」

 わたしがそう言うと、老婦人が目を丸くした。

「それは大変ね」

「実は、近所で、三味線と唄の手習いを開こうと考えています。

ぜひとも、生徒集めの知恵をお貸しくださいまし」

「生徒だったら、心当たりあるわ」

「まことでございますか? 」

 わたしは、開校の際に生徒希望者を

数名連れて来るとの約束を取り付けた後、帰宅した。

開校日まで、知人に声をかけて、3人生徒を確保した。

手習いのため借りた借家に住むことにした。

生徒は、昔馴染みの奥様数名の他は梨園の女房たち。

もちろん、二川屋の老婦人もいる。

生徒が全員そろうと、部屋がすし詰め状態になるため、

曜日を分けて、教えることにした。

手習いが始まると、みんな、真剣にわたしの話を聞いて、

不慣れな手つきながらも、さすがは、梨園の婦人たち。

日ごろから、囃子方の音色を聞いていて、

こどもの頃から、三味線や唄に親しんでいるせいか、

すぐに、なじんで楽しんで学んでいる。

手習いの後は、順番に持ち寄った菓子を食べる。

話題は、歌舞伎、流行、世間話。

井戸端で話している長屋連中といたって変わらない。

独り身のわたしに、見合い話を勧めて来る婦人もいた。


そんなある日。

「どうだい、気に入ったかい? 」

 双葉屋のおかみさんが、自分のところの門弟、

双葉弁蔵との見合い話を持って来た。

実は、今まで、見合い話をことわって来た。

盛五郎との恋愛以降、何人かと付き合ったが、

歌舞伎の家だとわかると、相手の家から反対された。

いっそのこと、駆け落ちでもと思ったこともあったが、

いざとなると、おとっつあんたちを置いては行けず、

寸前のところで、思いとどまった。

「会うだけ会ってみなさい」

 迷っている所へ、二川屋の老婦人が最後の一押しをした。

二川屋宗家の推しとあれば、無下には出来ない。

「わかりました。話をお受けいたします」

 わたしがそう告げると、生徒たちがなぜか拍手した。

「まだ、決まったわけではないから」

 わたしが苦笑いした。

お見合い当日。わたしは待ち合わせの小料理屋へ向かった。

途中、通り雨が降って来た。あわてて、酒屋の軒下へ入った。

「旦那。お入りよ」

 向いの店から出て来た男女に目が留まった。

男の方の顔に見覚えがあった。二川百太郎だ。

女の方はおそらく、馴染みの芸者だろう。

百太郎は、女が差し向けた傘の中に入った。

2人はわたしに気づくことなく、目の前を通り過ぎた。

わたしは何とも言えない気持ちになった。







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