第1話 梨園

文字数 1,112文字

 同じ梨園といったって、江戸と京とは大違い。

おとっつあんは、京や大阪の舞台をまわっている道外方の名優。

芸名は、曽埼三次郎。わたしが生まれる2年前に、

江戸の歌舞伎座に呼ばれて下ったという。

母のシンは元温泉宿の仲居。気立てが良くて美人だと評判だった。

おとっつあんがまだ、駆け出しの役者だった時分、

興行先の温泉宿で、2人は知り合って夫婦になった。

江戸に来てから、わたしが生まれて、家族が4人になった。

兄もまた、父の跡を継いで、役者をやっている。

まだ、脇役しかやっていないけれど、

父の知人のツテで、名門の二村宗家の門弟になった。

これから、花咲くというところだ。芸名は、二村百次郎。

母はわたしを産んですぐ、産後の肥立ちが悪くて亡くなった。

わたしの名前はリタ。男勝りのアネゴ肌と思われているらしい。

近所の長屋の人たちは、母親のいないわたしを

実の娘のようにかわいがってくれている。

わたしは寺子屋を卒業した後、習い事を続けながら、

時々、兄の職場にくっついていって、着替えを手伝ったりして

お小遣いをもらったりしている。

そのせいか、兄の仕事仲間の間では知られた存在だ。

幼馴染で親友のトミは、他の子と違ってねたまない。

歌舞伎見物だって、他のお客さんと同じ席に座らない。

見物する時はいつも、楽屋の廊下からこっそりと見る。

そんなこともあって、トミがいつのまにか、恋愛をしていた。

相手は、驚くなかれ、あの人気役者の門松盛五郎の付き人。

名前はたしか、真坂とかいうおもしろい名前。

2人は不忍池の出会い茶屋で逢瀬を重ねている。

2人が一緒に歩いているところを見かけたことはない。

バレたら大変だから、人気のない時間をねらっているみたい。

トミの実家は蕎麦屋さんだ。

兄や兄の仲間が給金が少なくなると、安く食べさせてもらっている。

おじさんもおばさんも、愛想が良い人たち。

だけど、一人娘を溺愛しているみたい。

うちとは大違いだ。おとっつあんは、わたしに関心がない。

兄が、自分を超える役者に成長することしか考えていない。

自分そっちのけで、梨園中に頭下げて、

兄の出番を少しでも増やそうとしている。

女は舞台には立てない。できることと言えば、

結婚して、男の家族を支えることぐらい。

誰かが、わたしが年頃になったら、

見合い話が殺到するだろうと噂している。

父も兄も役者で、母親譲りの器量さだからだという。

ふつうに恋愛がしたい。

梨園の恋愛事情は他とは違って、一筋縄ではいかない。

いずれ、どこかの役者と結婚なんぞまっぴらごめんだ。

そうとは思う一方で、昔から、

歌舞伎役者は河原者だと馬鹿にされている。

ふつうの人が、相手になるはずがないという人もいる。

そんなある日。トミが、真坂と駆け落ちした。







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