第5話 花の雨

文字数 1,565文字

「目が覚めたか? 」

 目を開けると、すぐ真ん前に、百太郎の顔がドアップで見えた。

「きゃあ~! 」

 わたしは驚きのあまりさけび声を上げた。

「何かしたのか? 」

 枕元に座っていた医者が、百太郎に聞いた。

「ある男の女になぐられて倒れたのを助けた」

 百太郎が答えた。

「急所が外れていて幸い。治るまで安静にしているように」

 医者が告げた。

「ありがとうございました」

 わたしは上体を起こすとお礼を告げた。

次の瞬間、右側のこめかみに、鋭い痛みが走った。

「なに、ひとりで起きていやがる」

 百太郎が、わたしの背中に手を添えると言った。

「これきしのケガ、大事ない。お代は? 」

 わたしが、懐から財布を取り出すと言った。

「ひとりで歩けるか? 」

 百太郎が心配そうに、わたしの顔をのぞき込んだ。

「平気さ。助けてくれて恩に着る。じゃあ」

 わたしは急いで、帰り支度をすると部屋を飛び出した。

穴が会ったら入りたい。顔から火が噴き出しそうだ。

木戸が開くのを見計らって、朝帰りした。

盛五郎と逢引する時は朝帰りと決まっている。

もちろん、おとっつあんには内緒だ。

友だちの家に泊まったことにしている。

「お帰り。そのケガはどうしたえ? 」

 おとっつあんが目を覚ましてくると聞いた。

「これ? 大したことないよ。

寝てたら、上から物が落ちて来たわけよ」

 わたしがそう言ってごまかすと、

おとっつあんが疑いの眼差しを向けて来た。

「ケンカなんぞしていねぇだろうな?

独り身の若い娘が朝帰りしただけでも、世間体が悪いってのに。

その上、頭にケガしたとなっては悪目立ちだぜ」

 おとっつあんがぶっきらぼうに言った。

「この長屋に、そんなこと気にする人がいたのかい? 」

 わたしが苦笑いすると言った。

「百次郎がいっぱしの役者になったんだ。

わしらもそろそろ、住まい替えしねぇとな」

 おとっつあんが、壁に貼った兄の役者絵を眺めると言った。

「何言ってんだい。もし、所帯を持っても、

わたしらまで住まわせないでしょうよ」

 わたしが言った。

「我が家の跡取りだぜ。おめぇはどうあれ。

父親をないがしろにはさせねえ」

 おとっつあんがふてくされると言った。

兄には、将来を誓い合った人がいる。

おとっつあんの昔馴染みの役者の娘、フサさんだ。

キップが良くて愛想も良い働き者の娘。

わたしにも、姉のように接してくれる。

わたしは、フサさんに、友だちの話として

盛五郎とのことを相談した。

「やめなさいよ。報われない恋なんぞ時間の無駄」

 予想した通りの回答が帰って来た。

盛五郎の女房に暴力をふるわれたこともあり、

いくら、彼が好きだと言っても、

この先、交際を続けて行くのが怖くなった。

かくして、わたしは別れを選んだ。

「仕方ねぇな。いいよ」

 盛五郎があっさりと承諾した。

あっけには取られない。正直、安心した。

手切れ金をくれたが、受け取りを拒んだ。

盛五郎と別れた後、泣きながら帰宅すると、

なぜか、トミが部屋の前で待っていた。

「辛かったね」

 トミが告げた。

「何の話? 」

 わたしが聞いた。

「盛五郎との事さ。これからどうするの? 」

 トミが冷めた声で言った。

「もう、会わないと決めた。小屋の人にもバレたし、

ちょうど、潮時だと思っていたところさ」

 わたしは強がってみせたが、涙の跡は隠せなかった。

「おとっつあんがしたこと。ごめんなさい」

 突然、トミが頭を下げた。

「なに、突然? 」

 わたしがそう言うと、トミがわたしを抱きしめた。

「いつかまた、友だちに戻れるようにするから」

 トミが、わたしの耳元で言った。

「それ聞けて、なんだか、元気が出た」

 わたしが言った。

「そうこなくっちゃ。秘密の逢瀬ならかまわないよね? 」

 トミがいたずらっぽく言った。

「秘密の逢瀬? 」

 なぜか、笑みがこぼれた。

これからは、二人だけの間の合図を決めて

連絡し合うことに決めた。









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