第11話 七転び八起き

文字数 1,834文字

さらなる悲劇が、わたしに襲いかかった。

火事の後、幕府が、風紀を乱すとして歌舞伎を迫害し始めたため、

名門や門閥関係なく、芝居に制限がかかるようになった。

一方、火傷の痕があばたとなったため、

わたしは人前に出るのが怖くなり手習いを止めた。

弁蔵は、二川一門の役者たちと共に地方巡業に明け暮れていた。

「うちで働きなよ。ひとりでいると心配だ」

 深川の小料理屋のおかみが良い人で、

わたしを住み込みの使用人として雇ってくれた。

もちろん、三味線弾きではない。裏方だ。

宴の準備や後片付け。座敷の掃除やゴミ出し。

朝早く起きて、深夜に寝るのが常になった。

何も考えなくて良いのは助かる。

華やかな世界に未練はない。

夫婦と言っても離れ離れだから名ばかりだ。

ひとり息子の成長が唯一の楽しみ。

自慢だった白魚のような手は、

ささくれてざらざらしている。

なぜか、三味線を弾こうとする気持ちになれない。

そんなおり、弁蔵が地方の宿泊先で急死した。

弁蔵の死から1週間後、弁蔵が変わり果てた姿で帰宅した。

わたしは、弁蔵の遺骨を

おとっつあんや兄が入っている墓に収めた。

自分の近くで死ななかったせいか、

死んだという実感がわかない。

どこか知らない空の下で、

暮らしているような気がする。

廃人みたいになったわたしを見かねた

元生徒たちが、わたしを励まそうと宴を開いてくれた。

「先生。早く立ち直っておくんなさいまし」

「復帰を待っている人がたくさんいますよ」

「そうですよ。頑張っておくんなさいまし」

 元生徒たちの思いが、わたしの頑なな心を溶かし始めた。

宴の後、わたしは意を決して、三味線の稽古を始めた。

長い間、弾いていなかったせいか、指が思うように動かない。

何度も同じ所でつまずいてしまう。

元生徒の言う通り、わたしの復活を望む声が

次第に強く聞こえて来るようになった。

手習いと並行して、座敷にも出るようになった。

すると、今まで停止していた運命の歯車が動き出したのだ。

後ろ盾がなかった息子の二代目弁蔵を預かって、

いっぱしの役者に育てたいと申し出る人物が現れた。

わたしはすぐ、息子を連れてその人物に会いに行った。

「渡りに船とはこういうことを言うんだね」

 同行したトミが告げた。

「まことにありがたい話だよ」

 わたしが言った。

しばらくして、その人物が、わたしたちの目の前に姿を現した。

「久しぶりだな。元気そうで何より」

 二川百太郎がどっかりと腰をおろすと言った。

階下から、若手役者たちの賑やかな話し声が聞こえた。

息子は、階下の様子が気になるらしく落ち着きがない。

それもそのはず、もし、契約が成立したら、

息子も、大部屋の一員になるかもしれないからだ。

「息子をどうぞよしなにお願いいたします」

 わたしは、上等生菓子を差し出すと深く頭を下げた。

「ご指導ご鞭撻よしなにお願いいたします」

 続いて、息子が練習した通りに願い出た。

「父上に似ておる。姿かたちも見栄えが良いし、声もよく通る」

 近くにいた高弟の役者が告げた。

「さもあろう」

 百太郎が満足気に告げた。

「契約書に目を通して、署名をしてくんねえ」

 高弟の役者が書類を手渡した。

 わたしは慎重に、契約書に目を通すと署名した。

「これにて、契約終了。

さっそく、明日にでも、引っ越して来るが良い」

 百太郎はそう告げると席を立った。

翌朝。息子は、二川一門の宿舎へ向かった。

わたしも、小料理屋の布団部屋を出て

外に家を借りることにした。

小料理屋への恩を返すため、

一室を借りて開いた手習いや座敷は続ける。

そうすることにより、生活が成り立つし居場所が出来る。

「わたしも老後の楽しみに三味線を習おうかな」

とトミが言っていたが、彼女の望みは叶うことはなかった。

息子の自立と同時期に、トミが病死してしまった。

老後と言ったが、まだ、40過ぎだ。

トミの店は息子夫婦が継いだ後、表通りに移転した。

トミの亭主は、トミが亡くなる3年前にあの世に旅立っていた。

トミと亭主の絵が、店の特等席の壁に飾ってある。

「おばさん。最近、どうですか? 」

「ぼちぼちだね」

「倅の成長だけが楽しみだなんて、

さみしいことは言わねぇでくんな」

「枯れすすきに何が出来ると言うんだい? 」

「なんなら、再婚しませんか? 

常連客の中に良い人がいるかもしれねえ」

「よしておくれよ。色恋沙汰はごめんだよ」

 トミの息子はしきりに再婚を勧めて来たが、

当の本人であるわたしは全く関心がない。

このまま、静かに余生を過ごすはずだったが、

とんでもないどんでん返しが起こるのだった。


















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