第9話 アップルパイの誘惑

文字数 3,363文字

林檎と言う言葉が頭に残っていた所為か 帰り道にある青果店で林檎が目につき ハレーは何となく林檎を買ってしまった。
「あら!ハレー 林檎なんか買って来て急に如何したの?」
突然林檎を持って帰宅した娘に母は驚いた。娘はお菓子かドーナツ以外の食べ物を未だかつて持って帰って来た事がない。
「う~ん 何となく」
ハレーはあやふやに答えた。確固たるものもなく本当にふと買ってしまったのだ。
紅い林檎を前にハレーは腕を組んで険しい顔で睨み付ける。神室は林檎が好きなんだろうか。あの天女は ハレーが林檎と言ったらうんうんと嬉しそうに何度も頷いた。
だからと言って - 何故 どうでも良いような男の誕生日にプレゼントなんか渡さなければならないのだ。馬鹿馬鹿しい。
ハレーは林檎を百円ショップで買って来たラッピングバッグに放り込んだ。
「ハレー?其の林檎誰かにあげるの?」
「うん 誕生日プレゼント」
「え?! そ…そう。誕生日の、ね  …」
母は何か言いたげだ。確かにハレーも流石に此れはないかな、とは思っている。黒虎は金色の目を細めてハレーを見ている。何だか小馬鹿にしている様な目だ。
   何よ 良いじゃない
本来なら神室なんかに飴玉の一つもくれてやりたくない。つい買ってしまったから渡すだけだ。其れにああ言われて手ぶらで行く訳にも ― ハタと織姫の顔が浮かんだ。ええー?其れがプレゼント?本気なの?あの女は態と大きな声を上げて皆の視線を向けさせる。そうしておいてから さっすが宇宙人、真似出来ないわ、ここぞとばかりに罵倒するのだ ―
「ねぇ ハレー?其の林檎 折角だしコンポートとかにしてみたら?」
やはり黙っていられなくなった母がもじもじしながら振り返り 娘に声を掛ける。
「お母さん!アップルパイとかどう思う?」
「…! まぁステキね!良いと思うわよ」
急にやる気を出した娘に胸をなで下ろし きっと喜んでくれるわよ、と激励したものの 一人で出来るから手を出さないで、と言われ 母の心には不安と心配の暗雲が立ち籠めた。



放課後の神室月兎のコンサート…いやパーティ会場か。其れは直ぐに知れた。
校舎の階下までプレゼントを持った女子で溢れかえっている。誰が仕切っている訳でもないのに皆きっちりと列を作って並び きゃあきゃあと騒ぎながら自分の順番を待っているのだ。シナモン、林檎、蜂蜜、カスタードと言った甘い匂いが辺り一帯に立ち籠めている。
「あ 東宮さぁん」
星がゾンビの様によろよろとした足取りで近寄って来た。
「いやー もうほんと凄い人で やっと渡して来れましたぁ」
げっそりとした顔であははと力無く笑う。
「神室くん こんなに食べれるんですかね~?み~んなアップルパイなんですって」
神室の母は 息子の誕生日には必ずアップルパイを焼いたのだそうだ。
其の話を聞きつけた女子が神室の誕生日にアップルパイを持って行ったのが始まりで 口伝は波紋の様に拡がり 誕生日ともなると皆挙ってアップルパイを持って行く様になった。何時しか女子の間では神室の誕生日はアップルパイを渡す一大イベントとなった。並んでいる時に聞かされたんです 順番を待ってる間そんな話ばっかりで、と星は疲弊した顔で話した。
「東宮さんもアップルパイ持って来ました?」
「… 持ってないわよ 馬鹿馬鹿しい」
星に問われたハレーの口は噓を吐いた。
「今日は流石に部活はないんでしょ?」
ハレーは踵を返すとすたすたと校門に向かう。星にはもうハレーを追う気力もないらしい。
― そうだ。
神室月兎はモテるんだった。別に部活の皆でお祝いなんかしなくったって幾らでも貰えるんじゃない。馬鹿馬鹿しい。
ハレーは口をへの字に曲げると校門から出て行った。自分の持って来たアップルパイが急に凄くちんけなものに思えて来たのだ。何故こんなものを張り切って作ってしまったのか。織姫に張り合う為に?いや抑も勝負にもならない。今頃金にものを言わせた豪華なアップルパイを渡しているのだろう。得意げな顔が浮かんで来る。ハレーは益々顰めっ面になった。
とは言え持って帰る訳にも行かない。
今日の朝 ハレーを送り出す際にお前は何て優しい娘だ、と娘に激甘な父親は目を潤ませて絶賛の言葉を惜しまなかった。母親は菩薩の様な微笑を浮かべて言葉も無く父の傍に立っていた。
最後まで二人からハレーの作ったアップルパイについての見解は得られなかったのだが ―
公園のベンチに腰掛けるとハレーは脇に置いた鞄からラッピングバッグを取り出した。
うん 良い匂いじゃない。見た目だって ― そう そんなに悪くない  と思う。
一寸写真とは違ってるけど。林檎が少しごついくらいのものだ。一つ取り出すと齧り付いた。
うん 美味しい。初めてにしちゃ上出来じゃない?此れでブラック珈琲でもあれば言う事為しだ。其れか凄く濃い緑茶でも ―
   うう~!甘~っ!
砂糖を入れすぎたか。一口齧っただけでひっくり返りそうな程強烈な甘味がつーんと頭にくる。
「お姉ちゃん 如何したの~?一人?」
聞き覚えのある声だ。向こうも見覚えがあると気付いたらしい。あれ?お前、と険しい口調に変わる。金髪の太鼓の様な男がハレーの真横に回ると 険悪に歪めた顔で迫りドスの利いた声で脅して来た。髭坊主とライオン頭がハレーの背後に回る。
   気持ち悪
ハレーは少しばかり上体を引いたが 金髪男はハレーの視界にぐいぐいとニキビだらけの赤い顔をねじ込んで来る。
   も~!
苛立ちのバロメーターが急上昇を始めた其の時 男はハレーが手にしていたアップルパイに気が付き ハレーの右手首を掴むと、持ち上げてパイにがぶりと喰い付いた。
石化したハレーの耳に 遠いところから不明瞭ながらも罵声が聞こえて来る。硝子の目に男がべっと何かを吐き出す姿が映った。カキンと針がFを振り切り ハレーは灯った炎の様にゆらりと立ち上がった。
男がハレーの形相に気付いた時には既に遅く ハレーのローファーは其の太鼓腹に深く食い込んでいた。
「何なのよ!アンタは!」
先手必勝。多分に八つ当たりも混じっていたが ― 祖父の教えを守って ハレーは男達に反撃の隙も与えず蹴り倒した。ハレーの蹴りで百キロを優に超える太鼓男は大きく吹っ飛んだ。予想だにしなかった光景に立ち竦んでしまった髭坊主とライオン頭はハレーの攻撃を避ける事が出来なかった。
遙か先にある公園の出入り口から 男達が何やら喚いているが聞き取れやしない。
― つまらないものを蹴ってしまったわ
ハレーはふっと虚しく溜息を吐くと 時代劇が好きな祖父の言葉を真似た。
「すげー甘い」
まだ居たのか?声のした方に険しい目で振り返ると
ベンチに座った神室月兎がアップルパイに齧り付いていた。
「ん?此れ 俺のでしょ?」
違うわよ。やめてよ。何良い顔で笑ってんのよ。ハレーの心の中ではそんな声が矢継ぎ早に出て来たが声にはならなかった。
いや、て言うか何で此処に居るのよ。
「あれ?前に言わなかったっけ?俺、超能力あるから」
本当にハレーの考えている事を読んだかの様な的確な答えが返って来た。ハレーが何かを言う前に
「ひどーい!月兎 私のあげたアップルパイ まだ食べてくれてないじゃない!」
「いつも一番に食べてくれてたのに どうしてよ」
突風の様に駆け込んで来た織姫が神室にすがりつく。メロドラマかよ、ハレーと黒虎は軽蔑の眼差しで二人を見た。
「うん 御免ね」
謝罪まで軽い。こんな薄っぺらい男の一体何処が ―
「けど 俺が一番食べたかったのは此のアップルパイだから」
天女が愛おしそうに神室を抱きしめた。此の天女 若しかして神室の ―
直ぐ様 織姫がハレーに燃えたぎる忿怒の眼を向けて来る。ハレーは真っ向から受け止めると べー!と舌を出した。
ぶはっと神室が吹き出す。織姫は予想外の相手の行動に言葉を失い 顔に血の気が上って真っ赤になった。
「な …! 
「何よそれ!小学生じゃあるまいし!」
織姫の怒り狂った喚きを背中で聞き流しながらハレーは帰途についた。

ハレーが早足で歩くので 黒虎は時折ぴょんぴょんと跳ねて距離を取った。そうして先を行きながらチラチラとハレーを振り返る。
   もう 見ないでよ
分かっている。
顔が林檎の様に赤くなっている事くらい。此の顔を神室月兎に見られる訳にはいかないのだ。絶対に!

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登場人物紹介

東宮ハレー+黒虎 霊感美少女。祖父直伝の蹴りと祖母直伝のビンタで悪を成敗。

神室月兎+天女  ゴールドメッシュのチャラ男。好物はアップルパイ。

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