第6話 狸の恩返し 前編

文字数 2,105文字

放課後。
黒虎がハレーの横で大きく伸びをしている。
ハレーは動くのも億劫だった。だらけた生活で鈍った体に校庭十周は流石にきつかった。
中庭のベンチにぐったりと座り 暫し休んでいたところに
「東宮さん!」
目を輝かせた紺屋星がやって来る。ハレーは殊更に憂鬱な目を向けると溜息を吐いた。
「あの、良かったら一緒に帰りませんか?美味しいお饅頭のお店があるんです」
同級生なのに何故何時も敬語なのだろう、等とぼんやり考える。
「あ!部活の勧誘とかじゃないですよ?」
「全然!全然!」
星は往復ビンタを連打する勢いで手を振る。
「あの 良かったら その お饅頭でも食べながら東宮さんとお喋りしたいなって思って
「其れで若しかしたら 超研の活動内容なんかに興味持ってくれたりしないかなぁなんて」
「あ! 本当 全然世間話程度に聞いて貰えたら!」
勧誘する気満々ではないか、とハレーは渋い顔になる。
「あの!其処苺大福がすっごく美味しいんです!苺がこんなに大きくて!」
両手を使って楕円を作って見せる。
「私が奢りますから!」
ハレーの目がぱっちりと開いた。



其の店は街外れに在った。
木造の古風な建物で アンティーク風に建てられたのでは無く其れが本来の姿だ。
こんもりと茂った森の前に半ば埋もれるように建っている。黒い瓦屋根の所々から緑が芽を出し 店は森と一体化しつつある。
店内は薄暗く裸電球が一つあるだけだ。下段は腰ほどの高さから始まり三段ある古い木台の上に年季の入った木枠の硝子ケースが幾つか置いてあり 其の中に色取り取りの饅頭が並んでいる。笊の中には袋入りの金平糖や煎餅が綺麗に揃えられている。奥の雅な模様の入った腰付き障子には時代を遡った商品の宣伝ポスターが貼られていて 「すがる屋」と屋号の入った紺色の暖簾が良い感じにレトロ感を醸し出している。荒れ屋と言った風情の外観とは裏腹に饅頭の入った硝子は綺麗に磨かれて曇りも無く 埃も積もっていない。床石にも艶があり裸電球の仄かなオレンジ色の明かりも良い。其処彼処に程良く清潔感が漂っている。
「いらっしゃい、星ちゃん」
「今日はお友達と一緒なんだねー」
愛想の良い声と共に店の奥から丸い腹に丸い眼鏡をかけ 頭の禿げ上がった初老の男性が出て来た。妙に語尾を伸ばす癖がある。
ハレーは眉を顰めた。店主は ―
どう見ても狸だったからだ。
鶯色の作務衣に黒の腰エプロンと言った出で立ちの狸が立っている。其の大きさときたら。
狸は狸なのだが 人の様に二本足で立ち上がると大人の男性程の身長がある。
蕎麦屋の店先に置いてある狸の置物を思い出させる様な姿ではないか。
ハレーが頭から爪先まで興味深く眺めている事に気付いた男は俄にそわそわし始めた。
「あ ああ
「今日は何が欲しいのかなー?」
声が嗄れ 目は完全に泳いでいる。汗の玉がぽつぽつと額に浮き出していた。
「苺大福下さい」
「えっと 二つ …いや 六つ!六つ下さい」
店主の正体にまるで気付いていないらしい星は普通に注文している。二つと言ってからハレーの方をちらと見 其れでは(長話をするのに)足りないだろうと踏んだのか六つと言い直した。
店主は直ぐ用意するから座って待っててね、と言い残しそそくさと奥に消えた。
時代劇に出て来る茶屋其の儘に 朱色の大きな傘の下に長腰掛があり緋色の布が掛けられている。老いた葉桜の巨木が一本傍に立っていた。
ハレーは星に店主の正体をばらすつもりはなかった。自分にとって無害なら其れで良い。
星は待っている間に話し始めた。
「此処 以前はご夫婦でやってたんですよ
「確か五代目くらいで 古くは

江戸の末期から茶屋を営んでいたのが始まりだと言う。
ある年の冬。大寒波が居座り茶屋の客は途絶えて久しく 此の儘雪に埋もれて果てようか、と店主の気力も尽きかけていた そんなある晩 吹雪が止んでしんとした夜天にまん丸の月が顔を出し 耀く月明かりに照らされた茶屋を訪ねて来た者があった。
木扉を少しだけ開けて 蓬髪に裸足、汚れた着物を身に付け 酷く窶れた幼い子供が立っていた。
店主は暫し其の姿から目を離せなかった。どう見てもある筈のないものがついている。ふさふさとした尾。人の子の姿をしてはいるが狸か物の怪か。子供は扉の隙間からあかぎれだらけの手だけを差し込んで一文銭を一枚差し出してきた。泥か木の葉かも知れない。だが店主は奥に引っ込むと蓄えの餅を一つ残らずみんな子供に持たせてやった。子供は何度も振り返り その度に深く頭を垂れた。遠く 雪の中を子狸が走って行く。店主は清々しい気分であった。良い事をした。自分は此処で果てたとしても もう何の後悔もなく逝ける。
其の日から雪はぱったりと止み 雪解けと共に店にはまた客が戻って来始めた。春の訪れと共に以前の倍ほどの客が訪れるようになった。店は連日繁盛した。口伝を聞きつけて遠路遙々訪れる客も出て来るほどに 何時しか評判の店となっていた。人を雇い入れて束の間の休息を得た店主は其の時になってようやっと気が付いた。店先の影になったところにひっそりと置かれた狸の置物がある、と言う事に。
「狸の恩返しですね」
星は自分で語りながら感慨深げにうんうんと頷いた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

東宮ハレー+黒虎 霊感美少女。祖父直伝の蹴りと祖母直伝のビンタで悪を成敗。

神室月兎+天女  ゴールドメッシュのチャラ男。好物はアップルパイ。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み