第15話 狸の嫁入り 1

文字数 3,038文字

「神室くーん!一緒に帰ろ」
綺麗に巻いた髪に、こざっぱりとした服装の少女が後ろから小走りにやって来る。
「うん、良いよ」
何時ものそつない笑みで答えると 少女は嬉しそうに頬を染め 横に並んで歩き出した。程無くして 神室月兎の周りはきゃあきゃあと甲高い嬌声を上げる少女達に埋め尽くされた。
少女達は互いに牽制し合いながら 我先にもと自分の会話に対する同意を求めて来る。少女達が神室を見る目は ショーウィンドウに飾られた手の届かない高額の品を、何とか自分の物に出来ないだろうか、と言う欲に満ちたものに似ている。
見飽きるほど見て来た其の目は 周りを取り囲んで 貪欲の檻に神室を閉じ込める ―

其の少女は 長い睫に黒目がちの大きな眸で神室を見ていた。

夜空の中に耀く星の様な光を湛え 吸い込まれそうな程に美しい其の眸に魅入られる。
少女が自分を見ていると思ったのは傲慢だった。少女と目が合わないので其れが分かる。少女は神室ではなく 神室を通過して背後を凝視している。ちらと後ろ目に見たが 取り巻きの少女達が群がっているだけで 変わった事は無い。と言って、取り巻きの少女達を見ている訳でもなさそうだ。まるで何か見えないものを視ているかの様な ― 俄に此の少女に興味を持った神室が声をかける前に そうはさせじと、少女の存在に気付いた取り巻きの一人が声を荒げた。
「ちょっと!何見てんのよ!」
押し出しも体格も立派な少女が 大きな体で神室を背後に隠す様に前に進み出る。他の少女達も険しい顔付で戦闘態勢に入った。
対する少女が 目を引く程の美少女であったので、余計に切迫した空気が張り詰めた様だ。
少女はぼうっと見ていた対象物を巨漢の少女に移す事で やっと此の状況に対する意識が向いたらしい。
「ウッザ!見るなっつってんだろ!」
先程までの猫なで声は何処へ行ったのか ドスの利いた声を轟かせて威圧する。すごまれても少女は平然として表情一つ変えない。巨漢の少女は 奇異なものでも見ているかの様な少女の不躾な視線に憤り
「聞いてんのかよ!根暗ブス!」
どん と少女の肩を強く押した。神室の口が制止の言葉を発する前に びたーん!と小気味の良い音が響き渡る。
少女が巨漢の少女に強烈なビンタを食らわせたのだ。想定外の行動に 居合わせた全員が茫然として静まり返った。
「… な  何すんのよ!
「いったあーい!!殴られたあ!!暴力よ、暴力!
「見てよ!血出てる!
「誰かケーサツ呼んでー!!」
鼻血を垂らし、真っ赤になった頬を押さえながら 乾いた目で巨漢の少女は空を突き破る程大袈裟に訴えを張り上げたが
「ごめんごめん。虫が居たのよ
「ほら
動じる事も無く 少女は微笑すら浮かべ、華奢な白い手が差し出されると 其処には 異質さしか感じられない触覚の長い黒い虫がわんさか乗っていた。其れは 開いた掌からぼろぼろと転がり落ちると 地面で弾みをつけて少女達に襲いかかり ―

ぎゃああああああ

一斉に繰り出された大音響の叫喚と共に 少女達は散り散りに逃げ出した。
もっと良く見れば 其れがゴム製の玩具だと分かった事だろう。
神室が感嘆の面持ちで玩具の虫を見ていると 少女はふふと笑った。

晴天の陽光の眩しい耀きでは無く 夜空に冴え冴えと耀く月光を思わせる


其の目も 其の笑顔も 
自分のものにはならない ― 

そう分かっていても
結局は 自分もエゴで出来て居る。掌中にしたいと言う思いは あの少女達と同じなのだ。

星の耀きを持った其の黒い眸に 自分の姿が映っている。
   え  ?
「あ
無意識に、脇を通り過ぎてゆく東宮ハレーの腕を掴んで引き留めていた事に気が付いた。
辺りにはこんなに人が居ると言うのに 風の無い湖面の如く静まり返っている。と
一斉に鳴り出した目覚まし時計を思わせる、けたたましい声が神室の周囲から沸き上がった。
「ちょっと!何やってんのよ!」
「神室君が迷惑してるでしょ!放しなさいよ!」
「ブスが気易く触ってんじゃないわよ!」
掴んでいるのは神室なのに 甲高い非難の声は東宮ハレーに集中している。
「見るなっつってんだろ!」
噴火の轟きもかくやの声と共に どしんどしんと巨漢の女が進み出て来ると
「聞いてんのかよ!陰キャブス!」
丸々として太い指のついた肉厚な手が、突き飛ばす様にハレーの肩を強く押した。
武術を嗜んでいる東宮ハレーなら 愚鈍な巨漢女の攻撃など、避けようと思えば避けられたに違いない。其れなのに、されるが儘であったが 巨漢女の張り手を肩に食らっても上体が揺らいだ位であった。引き結ばれた口からは声も無く
其の眼が切っ先の鋭さを持って耀き ばちん と蚊でも叩く様な音が響いた。居合わせた全員が天変地異にも勝る其の光景に目を瞠り、驚愕の表情で口を開けた儘其の場に茫然と固まった。
「ほえ?
「か … 神室 くん?
片手で頬を押さえながら、巨漢の女はまだ此の状況が信じられないと言った表情で 自分の頬を叩いておきながら、天使の笑みを見せる神室月兎をまじまじと見詰めた。
「ごめんね?
「小鞠(こまり)ちゃん
「でも 虫が居たから
神室の手が小鞠の目の高さに持ち上げられて証拠を提示した。其の手には 矢鱈に大きな赤黒い百足が手に収る様に体を丸めて乗っている。
神室が指で摘まんでぶら下げると 百足はびよんびよんと撓んで長く伸びた。

ぎゃああああああ

雲一つ無い美しい晴天に 背筋も凍る様な阿鼻叫喚が響き渡った。
そんな大きな虫に顔を這われて気付かぬ筈がない。少し考えてみれば分かりそうなものだが 冷徹な分析よりも、咄嗟に来した恐慌の方が大きかった様だ。其れに
良く見れば 醜悪な赤黒い虫は唯のゴム製の玩具だと分かる。
渡り廊下は再び静寂を取り戻し 陽光の暖かさを帯びた心地良い初夏の風が吹き抜けていく。

恐らく 神室には視えていないのだろう。
ハレーにくっついて登校して来た黒虎が 撓んだ百足と張り合わんばかりに体を長く伸ばしてじゃれついている。
其の姿がまるで小躍りしているかの様で ハレーは吹き出した。
「まだあるけど?」
ハレーが笑ったのを 神室は好意的に受け止めたらしい。
何処に隠し持っていたのか 神室はぞろぞろと気持ちの悪い虫の玩具を手品の様に引き出して来た。
「あ 此れ!」
其の中から長い触覚の黒い虫を見つけると
「わあ 懐かしい」
ひょいとつまみ上げて、感慨深げにゴキブリの玩具を眺める。
そう言えば 子供の頃持ってたなぁ
確かハレーが小学生の時に父が護身用だと買って来たものだ。
― ハレー、いいかい?悪い男の人が近付いて来たら此れを思いっ切り投げつけるんだよ
そう指導する父に 子供ながら其れは余りにも効果の無さそうな防衛だと半ば呆れたが 玩具自体が面白かったので取り敢えず受け取っておいた。そんな物を投げつけるより 急所を蹴り飛ばした方が早い。使い処も無さそうだったが ―
   
   あれ? 何か既視感

「見つけたわよ」

手繰り寄せた記憶が鮮明に蘇る前に ころころとした明るい声が二人の後方から聞こえて来た。
其処に立っていたのは ころころと愛らしい体型をした少女で 全体がほぼ丸で出来て居る。黒目がちのまん丸で大きな眸 こじんまりとした丸い鼻 ぽってりとした丸い唇 くるくると巻いた巻き毛 兎の尻尾の様なふわふわの丸いキーホルダー、は関係無いか。
「やっと会えたわね」
少女は勝ち気そうな声音に 短い眉を吊り上げ たわわな胸を反らして声を掛けてきたのだが

「どちら様ですか?」

二人は期せずして異口同音の言葉で返した。


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登場人物紹介

東宮ハレー+黒虎 霊感美少女。祖父直伝の蹴りと祖母直伝のビンタで悪を成敗。

神室月兎+天女  ゴールドメッシュのチャラ男。好物はアップルパイ。

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