第8話 織姫
文字数 2,516文字
「はい!」
揚々目を輝かせた星が元気よく挙手をする。
「屋上に開かずの扉があります!」
「自殺防止でしょうなぁ」
場所は校舎の五階。
渡り廊下の向こうには 少子化の影響で何年も前から使われていない教室が鬱蒼と並ぶ。汗だくになりながら階段を上り うんざりする程長い廊下の一番奥に資料室兼超常現象研究部の部室があった。埃っぽい部屋の三方に埃の積もった本棚があり 本棚の文献は其の儘残されていたが積年の埃にコーティングされた棚と本が灰色のオブジェと化している。天井にも白い壁にも濃淡のある茶色い染みが拡がり 萎れたカーテンが窓の両脇に垂れ下がっている。部屋の隅には此れも埃を被った段ボール箱が無造作に積み上げられ 箱の裏からぐしゃぐしゃになった本の塊が顔を覗かせている。四角形に並べられた長テーブルは手を載せただけでぐらぐらと揺らぎ 椅子は身動ぎする度にぎしぎしと軋んだ。黴臭く薄暗い部屋はアンティークを越えて 最早廃屋といった赴きである。そんな怪談話に持って来いの場所で 今正に不可思議な体験や場所を発表する会をしている所であった。超研の部長は二年生。先祖は江戸で財を成した呉服問屋で 丸い体に下膨れの顔、ふっくらとした耳、垂れ下がった眉毛の下に温和な目と小さな鼻がついており おちょぼ口でにこにこと笑っている。着物を着て座布団に正座している姿が似合いそうな風貌であった。名は河之 天(かわの たかし)と言い 生粋のお坊ちゃんのじれったくなる様な話し方は 今にも口に蠅が止まるのではないかと思われた。
「いやはや 其れにしましても こんな美しい方々に入部して戴けようとは よもや思いもしませんでしたなぁ」
「真に 感無量の極みであります」
視線は一点に注がれている。
「噂には聞いておりましたが 正に煌めく彗星宛らでありますなぁ」
河之は神々しいものでも見る様な目で讃美を送る。
ハレーはなかなか見所のある人だわ、と思った。
「センパーイ 真面目にやって下さーい」
良い気分になっている所へ 気の抜けた声で水を差してくる輩がいた。
褒言葉に思わず口角が緩みそうになったが ハレーの顔は辛うじて平静を保つ。
何故此処に神室が居るのか、と横目で睨んだが 自分も同じ境遇で座っているだけに存在を否定出来ない。其処へ
「彗星なんか今関係ないでしょ」
「あ でも東宮さんが宇宙人だって言うんなら 全然アリだけど?」
人を見下した厭味な口調に嘲りの目で畳み掛けて来たのは神室と共に入部してきた女だ。
神室月兎の傍には二人の女性が獅子狛の様に両脇に控えている。一人はマシュマロボディも麗しい天女だ。星に憑いている女の子の霊が 口をぽかんと開け頬を染めてぽーっと見詰めている。神室に憑いてくる霊は若しかしたら此の天女に惹かれているのかも知れない。
実体の方は
「ああ 此れは あいすみません
「ええと 貴方は 蔵和織姫(くらなぎ おりひめ)さん、でしたね?」
「自己紹介ならさっきしたでしょ デカい耳してんのに何聞いてたの?良いからアンタは部長らしい事してなさいよ」
ハレーは此の憎たらしい口の利き方をする蔵和織姫とも同じクラスであった。星曰く神室のカノジョだ。と自分で公言して回っている大層な自信家らしい。
神室に付き従ってもっと(生死を問わず)女が押しかけて来るかと思ったが 死者はハレーが、生者は織姫がブロックしている様で 今神室に憑いているのは天女だけだ。
星と同じくクラスメイトだから無論織姫の顔くらいは知っている。其れ処か ハレーの認識する限り此の女は別格だ。忘れもしない 四月の初登校日にクラス全員の自己紹介が終わり 席に着いた早々此の女は横から身を乗り出してハレーに話しかけてきた。純粋な質問ではなく あからさまに馬鹿にした雑言であった。
「あんた外人?全然そうは見えないんだけど」
此の位の厭味なら幼少時から耐性はついている。ハレーは知らん顔をした。
「あー ほんとだったんだ
「日本語通じないのかー ざーんねん」
織姫は殊更に陰湿な言い方をした。― 小学生じゃあるまいし。
ハレーは残念な目で織姫に応えた。
以来 織姫は何かとハレーに突っかかって来る様になった。一方
織姫からきつい言葉を下された部長はそうですね、とにこにこ笑っている。寛容な心の持ち主なのか まだ脳にまで言葉が達していないのか。
「此れは大変に古い映画なのですが 屋上で世界を破滅させる儀式を行うと言うのがありましてね ―
「きっとそれです!」
「あ いや 紺屋さん映画のお話ですから
等と星とやりあっている。とても付き合いきれない。ハレーは溜息を吐くと 机上にいる黒虎につられて腕をぐんと伸ばした。ふ、と視線に気付くと 天女がハレーを見ている。声はない。だがハレーに向かって何かを言っている。ハレーは眉根を寄せながら 天女の口の動きに集中した。視線に気付いた神室がすんげー見てくるじゃん、とにやにや笑い ちょっと何見てんのよ、と織姫がいきり立ったがハレーには雑音にしか聞こえない。
「り…ん… 林檎?」
天女に集中する余り ハレーは周りに人がいると言う状況をすっかり忘れて声に出してしまった。
「林檎?」
全員の視線がハレーに集中する。
「え? あ!いや あの …
慌てふためくハレーに
「東宮さん林檎が食べたいんですか?」
部長がおっとりと問い
「私!買って来ます!」
星が意気込む。
いいから!
「購買のアップルパイで良いですか?」
もう!
ハレーに対する星の妙な忠誠心にも困りものである。
「あ!」
「そう言えば月兎 明日誕生日でしょ?」
織姫はしなを作って両腕を神室の首に回すと 豊満な胸を押し付け
「今年も期待しててよ?
「パパに頼んで本場の有名なスイーツのパティシエに来て貰ってるんだから」
「ねぇ 他に欲しいものない?」
神室の耳元に甘ったるい声で囁く。其の軟体は粘りっけのある水飴の様だ。べたべたとまぁ。
そっちこそ何をしに来てるんだか。ハレーは二人に冷ややかな視線を向けた。
「おや 神室さんは明日お誕生日なんですか」
「其れは御目出度い
「皆さんでプレゼントを持ち寄って 同志の誕生日を華やかに祝うとしましょう」
唖然とするハレーを尻目にそう言う事になった。
揚々目を輝かせた星が元気よく挙手をする。
「屋上に開かずの扉があります!」
「自殺防止でしょうなぁ」
場所は校舎の五階。
渡り廊下の向こうには 少子化の影響で何年も前から使われていない教室が鬱蒼と並ぶ。汗だくになりながら階段を上り うんざりする程長い廊下の一番奥に資料室兼超常現象研究部の部室があった。埃っぽい部屋の三方に埃の積もった本棚があり 本棚の文献は其の儘残されていたが積年の埃にコーティングされた棚と本が灰色のオブジェと化している。天井にも白い壁にも濃淡のある茶色い染みが拡がり 萎れたカーテンが窓の両脇に垂れ下がっている。部屋の隅には此れも埃を被った段ボール箱が無造作に積み上げられ 箱の裏からぐしゃぐしゃになった本の塊が顔を覗かせている。四角形に並べられた長テーブルは手を載せただけでぐらぐらと揺らぎ 椅子は身動ぎする度にぎしぎしと軋んだ。黴臭く薄暗い部屋はアンティークを越えて 最早廃屋といった赴きである。そんな怪談話に持って来いの場所で 今正に不可思議な体験や場所を発表する会をしている所であった。超研の部長は二年生。先祖は江戸で財を成した呉服問屋で 丸い体に下膨れの顔、ふっくらとした耳、垂れ下がった眉毛の下に温和な目と小さな鼻がついており おちょぼ口でにこにこと笑っている。着物を着て座布団に正座している姿が似合いそうな風貌であった。名は河之 天(かわの たかし)と言い 生粋のお坊ちゃんのじれったくなる様な話し方は 今にも口に蠅が止まるのではないかと思われた。
「いやはや 其れにしましても こんな美しい方々に入部して戴けようとは よもや思いもしませんでしたなぁ」
「真に 感無量の極みであります」
視線は一点に注がれている。
「噂には聞いておりましたが 正に煌めく彗星宛らでありますなぁ」
河之は神々しいものでも見る様な目で讃美を送る。
ハレーはなかなか見所のある人だわ、と思った。
「センパーイ 真面目にやって下さーい」
良い気分になっている所へ 気の抜けた声で水を差してくる輩がいた。
褒言葉に思わず口角が緩みそうになったが ハレーの顔は辛うじて平静を保つ。
何故此処に神室が居るのか、と横目で睨んだが 自分も同じ境遇で座っているだけに存在を否定出来ない。其処へ
「彗星なんか今関係ないでしょ」
「あ でも東宮さんが宇宙人だって言うんなら 全然アリだけど?」
人を見下した厭味な口調に嘲りの目で畳み掛けて来たのは神室と共に入部してきた女だ。
神室月兎の傍には二人の女性が獅子狛の様に両脇に控えている。一人はマシュマロボディも麗しい天女だ。星に憑いている女の子の霊が 口をぽかんと開け頬を染めてぽーっと見詰めている。神室に憑いてくる霊は若しかしたら此の天女に惹かれているのかも知れない。
実体の方は
「ああ 此れは あいすみません
「ええと 貴方は 蔵和織姫(くらなぎ おりひめ)さん、でしたね?」
「自己紹介ならさっきしたでしょ デカい耳してんのに何聞いてたの?良いからアンタは部長らしい事してなさいよ」
ハレーは此の憎たらしい口の利き方をする蔵和織姫とも同じクラスであった。星曰く神室のカノジョだ。と自分で公言して回っている大層な自信家らしい。
神室に付き従ってもっと(生死を問わず)女が押しかけて来るかと思ったが 死者はハレーが、生者は織姫がブロックしている様で 今神室に憑いているのは天女だけだ。
星と同じくクラスメイトだから無論織姫の顔くらいは知っている。其れ処か ハレーの認識する限り此の女は別格だ。忘れもしない 四月の初登校日にクラス全員の自己紹介が終わり 席に着いた早々此の女は横から身を乗り出してハレーに話しかけてきた。純粋な質問ではなく あからさまに馬鹿にした雑言であった。
「あんた外人?全然そうは見えないんだけど」
此の位の厭味なら幼少時から耐性はついている。ハレーは知らん顔をした。
「あー ほんとだったんだ
「日本語通じないのかー ざーんねん」
織姫は殊更に陰湿な言い方をした。― 小学生じゃあるまいし。
ハレーは残念な目で織姫に応えた。
以来 織姫は何かとハレーに突っかかって来る様になった。一方
織姫からきつい言葉を下された部長はそうですね、とにこにこ笑っている。寛容な心の持ち主なのか まだ脳にまで言葉が達していないのか。
「此れは大変に古い映画なのですが 屋上で世界を破滅させる儀式を行うと言うのがありましてね ―
「きっとそれです!」
「あ いや 紺屋さん映画のお話ですから
等と星とやりあっている。とても付き合いきれない。ハレーは溜息を吐くと 机上にいる黒虎につられて腕をぐんと伸ばした。ふ、と視線に気付くと 天女がハレーを見ている。声はない。だがハレーに向かって何かを言っている。ハレーは眉根を寄せながら 天女の口の動きに集中した。視線に気付いた神室がすんげー見てくるじゃん、とにやにや笑い ちょっと何見てんのよ、と織姫がいきり立ったがハレーには雑音にしか聞こえない。
「り…ん… 林檎?」
天女に集中する余り ハレーは周りに人がいると言う状況をすっかり忘れて声に出してしまった。
「林檎?」
全員の視線がハレーに集中する。
「え? あ!いや あの …
慌てふためくハレーに
「東宮さん林檎が食べたいんですか?」
部長がおっとりと問い
「私!買って来ます!」
星が意気込む。
いいから!
「購買のアップルパイで良いですか?」
もう!
ハレーに対する星の妙な忠誠心にも困りものである。
「あ!」
「そう言えば月兎 明日誕生日でしょ?」
織姫はしなを作って両腕を神室の首に回すと 豊満な胸を押し付け
「今年も期待しててよ?
「パパに頼んで本場の有名なスイーツのパティシエに来て貰ってるんだから」
「ねぇ 他に欲しいものない?」
神室の耳元に甘ったるい声で囁く。其の軟体は粘りっけのある水飴の様だ。べたべたとまぁ。
そっちこそ何をしに来てるんだか。ハレーは二人に冷ややかな視線を向けた。
「おや 神室さんは明日お誕生日なんですか」
「其れは御目出度い
「皆さんでプレゼントを持ち寄って 同志の誕生日を華やかに祝うとしましょう」
唖然とするハレーを尻目にそう言う事になった。