私達の世界(4)

文字数 2,266文字

 というわけで玄関の手前まで谷川君とお母さんを見送りに出た。玄関まで行っちゃうとまたマスコミが待ち構えてるかもしれないので、私は顔を出さない方がいいだろう。
「歩美先生、本当にありがとうございます」
「いえ、学校に戻る決心をしたのは彼自身です。息子さんを褒めてあげてください」
「別にいらないよ。先生、日本人は謙遜を美徳だと思ってるけど、僕は正当な評価は受け入れるべきだと思う。僕が学校へ来るのは先生がいるからだ。一年以上約束を信じて毎日家に来てくれたから。そんな自分の努力を卑下しないで」
「ぎゃふん」
 またしても言い負かされ鼻白む私。
 でも、たしかにその通りだ。
「また君に教えられた。努力したなら努力した分だけ、自分のことも褒めてあげなくちゃなんだね。それをサボッていたから、近頃落ち込み気味だったんだな」
 他人を応援することも大事だけど、自分自身を励ますことも人間には必要なんだと思う。でなければ、どんどん辛い気持ちばかり積み重なっていって、いつかは心が折れてしまう。特に大切な家族や友人と離れている時には。
 私の言葉に谷川君は、また少し視線を彷徨わせてから、意を決した表情で切り返す。
「教わったのは僕もだよ、先生の言う通りだった。百聞は一見に如かず。知識と経験は別。先生を信じて今日ここに来なければ、僕は教頭先生があんな人だってことを永久に知らなかった。信じてもいいかもしれないと思える先生が歩美先生だけじゃないことを知らずに過ごしていた」
「谷川君……」
「だから安心して。もし先生が木村選手と結婚してこの学校を去ったとしても僕は不登校には戻らない。先生との約束を守って通い続ける。そして、いつか、いつかね……」
「うん」
 いつか、なんだろう? 言ってみて。
「いつか、僕が大人に……なったら……」
「うん」
「……」
 谷川君は一瞬瞼を閉じて、大きく息を吸い込み、笑顔で言った。

「大人になって、結婚する日が来たら、必ず先生を招待する。絶対に参加してよね」
「もちろん! そっかあ、今から楽しみにしてるね」

 えへへ、教え子の結婚式に出席できる権利を予約しちゃった。十年後か二十年後かまだわからないけど、実現したら教師冥利に尽きるだろうなあ。
「じゃあ、また二学期に!」
 谷川君とお母さんは手を振って玄関の方へ歩いて行く。


「……失恋しちゃったね」
「うるさいな」


 あれ? 谷川君、泣いてない? お母さんは笑ってるし気のせいかな。
 まあ、ともかく二学期からは教室で会える。そっちも楽しみにしてるからね。

「ありがとう、谷川君」

 教師生活の始まりで君と関われたことは、きっと幸運なことだったんだ。
 今なら、そう思えるよ。



「困りましたね、まだいますよ」
 今夜の宿直の堀先生が外の様子を窺って教えてくれた。やっぱり私目当てのマスコミがたむろしているらしい。
「校内にまで入って来るとはけしからん。厳重に抗議しなければ」
「ともかく、このままじゃ大塚先生を外に出すわけにはいきません。危ない」
「ううっ、すいません皆さん」
 何度も頭を下げる私。本当にあの人達はどうにかならないかな。
「まあ、マスコミなんて他に面白いネタを見つけたらそっちに飛びつきますよ」
「視聴者もすぐに飽きるでしょうしね。とはいえそれまでが問題なわけで」
 などなど先生方が意見を交わしていると校長室から校長が出て来た。
「校長?」
「大塚先生、あなたにお電話です」
「私?」
 誰だろう? 身内なら携帯にかけてくるはずだし。
「はい、大塚です。お電話変わりました」
『歩美か』
「雫さん?」
 思いっ切り身内だった。なんで学校の固定電話に?
『校長にも話があったのでな、ついでだ』
「なるほど? それじゃあ私への用は?」
『艶水と恵土を派遣した。あの二人の結界に入れてもらって家まで帰れ』
 あ、その手があったか。鈴蘭さんが使ってたみたいな周囲に気付かれなくなる術を二人も使えるのだろう。
 でも問題が。私は声を潜め、他の先生方に背中を向けて指摘する。
「ありがたいんだけど、先生達にどう説明したらいいの……」
『マスコミに圧力をかけた。どのみち、大半はそこから立ち去るはず。そしたら外へ出ろ。二人を派遣したのは私の脅しにも屈しない根性の有るパパラッチ対策だ』
 なるほど、それなら上手く誤魔化せるかも。
「わかった、ありがとう。しばらく迷惑かけると思うので近々お礼します」
『気にするな、お前にかけられる迷惑など可愛いものだし、むしろ喜ばしい。艶水と恵土も仕事を与えてやらんとただの穀潰しの大飯喰らいに過ぎん。存分にこき使ってやれ』
 あの二人、そんなに食べるんだ……雫さんとは別にお礼をするとして、食事以外の何かにしとこう。
 とりあえず電話を校長に返し、先生方に説明する。
「あの、雫さん──私の親戚が外にいる人達の上役に働きかけて帰らせてくれるそうです。そうしたら外に出られるので、もう大丈夫だと思います。ご心配おかけしました」
「鏡矢 雫。カガミヤグループの総帥ですな」
「テレビで言ってた通り、とんでもない人が身内ですね大塚先生」
「はは、まあ、伯母と姪っ子って感じで」
 あの人の場合とんでもないのは財力より腕っぷしだったりするんだけど、もちろん言う必要は無いから秘密。
「まあ、そういうことなら皆さん、今日はもう帰りましょう。大塚先生には心強い護衛もいらしてくださったようですし」
「えっ?」
 まさかあの二人、姿を見せてるの? そう思いながら教頭の視線を辿った私は予想外の顔を見て思わず叫ぶ。
「無限!?
「よう、雫さんに聞いて迎えに来たぜ」
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