私と保護者

文字数 3,442文字

 今日は授業参観。去年もやったけど、この日は私にとって憂鬱。
 とはいえ子供達には気持ちよく過ごして欲しい。だから今日も笑顔で教壇に立つ。
「はい、じゃあ次は胡桃(くるみ)さん、続きを読んでください」
「はいっ! 四人はいつもの駄菓子屋さんの前に集まった。季節は真夏で、その日は特に暑かった。ラムネの瓶に入っているビー玉が光を反射してキラキラと──」
「いいですね、はきはき声が出ていました。抑揚がついていて読み方もとても上手。では、次は俊生(としき)君」
「はい」
 という感じで順番に生徒達に教科書を読ませていく。あと二人に読み上げてもらったら、今度は物語の作者はこの場面でどんな気持ちだったかという定番の問題を出し、そういうのが得意な子達に答えてもらうつもり。極力全員に見せ場を作らないと。
 ちなみに苗字でなく名前で呼ぶのは、それぞれの個性を尊重すべきという我が校の方針。苗字だと他の子と被ることが多いでしょ。名前は個性的な名前の子が多いから被りにくい。そういう理由。
 ちなみに出席番号もあるんだけど、なるべく生徒達を呼ぶ時には使わないよう言われている。子供達を番号で呼ぶなんて人権侵害だという苦情が数年前に保護者数名から寄せられたそうな。それに配慮した結果こうなった。
 今年は何も言われないと良いんだけど。憂鬱な時間が刻一刻と迫りつつある。また胃が痛んできたのを我慢して、どうにかつつがなく授業を終えた。



「大塚先生はもう少し、お化粧など控え目にしていただけないでしょうか?」
 ほら来た。授業の後、子供達には一旦外へ出てもらって私と保護者達だけが教室の中に残り、学級懇談会を開始。クラス単位で行われる保護者と担任の交流。去年も散々な目に遭った。
「あの……昨年もご指摘頂いたので、ほとんど素に近い状態なのですが……」
「えっ、お化粧してないの?」
「いえ、薄くは」
「あらほんとだわ、この睫毛自前よ。すっごい」
「肌もきめ細かいわねえ」
「若いっていいわあ。私は若い頃もこんな美人じゃなかったけど」
「はは……」
 こういうの苦手なんだよなあ。それでも褒めてくれる人達は好意的だからまだ良い。
 問題は最初から私を敵視してる数人の保護者。
「本当かしら? わからないように化粧してるんじゃないの?」
 そんな技術持ってません。
「若い先生はまったく、勉強を教えることより周りからチヤホヤされることにばかり熱を上げて」
「ちょっと高野さん、今のは問題発言ですよ」
「そうですよ、歩美先生頑張ってくれてるじゃないですか」
(あっ、ちょ、やめて俊生君のお父さん)
 男の人に擁護されると余計自体が悪化するのに!
「なんですか杉崎さん、歩美先生なんて呼んで。あなたまさか……」
「なっ!? 馬鹿なこと言わないでください。そうじゃなくて私は高野さんの先程の発言を問題視しただけで」
「馬鹿とはなんですか馬鹿とは。うちの人が誰だかわかってるの?」
「旦那さんは関係無いでしょう」
「うちの子を預ける先生のことなんだから関係無いこと無いわ!」
「そうかもしれませんが、とにかく今は」
「あの!」
 収拾がつかなくなりそうになって来たので強引に割り込む。というか最初から私が主導しなきゃならなかったんだ。
「私に問題があると思った場合は後ほど個別に面談させていただきます。なので、まずは私から皆さんへの報告を先にさせてください」
「そういうことなら」
「まあ聞きましょう」
 横柄な態度で足を組む高野さん。この人が一番苦手。
 ともかく私は、クラスの皆の生活態度や成績について気になっている点をいくつか報告した。家庭内で改善できそうな事柄については家での対応も求める。何もかも教師任せにされてはたまらない。
 とはいえ、うちのクラスは谷川君以外に目立つ問題を抱えた子はいない。話はあっさり終わってしまった。全体での話し合いも短時間で終わる。
 というのも、何人かが牽制し合っていて、そもそも話し合いという雰囲気ではなかったからだ。
(ああ、個別の面談をするなんて言わなきゃ良かった……馬鹿なのか私)
 言ってしまったものはしかたない。覚悟を決めて切り出す。
「皆さんはこの後、PTAの総会もありますし、一人につき十分でいかがでしょう?」
「異議無し」
「まあいいでしょ」
「では、面談を希望される方だけ残って下さい」

 言ってから少し待つ。
 誰も動かない。

「……はい、全員ということで。一旦廊下に出て苗字の五十音順にご入室ください」
 叫び出したいのを必死に堪えて対応する。少子化で生徒数が少ないとはいえ、やっぱりやるんじゃなかった!



 や、やっと終わった……ネチネチ容姿に対する嫌味を言われたり、逆に無闇やたら褒められたり、いい人がいるからお見合いしないかって執拗に食い下がられたり……どうして皆、子供の話より私の話をしたがるんだ?
 心底疲れ切った表情で職員室に戻る。机に突っ伏してため息。今日の授業参観の報告書とか明日の授業の準備とか色々あるけど少しだけ休みたい。三十分でいい。
 直後、教頭先生が立ち上がって呼びかけて来た。
「何してるんですか大塚先生、行きますよ」
「え?」
「PTA総会に出席。今朝言ったでしょう?」
「き、聞いてません」
「言いました。私が間違っているとでも?」
「いえ……」
 全く覚えが無いけど、いつもの嫌味だと思って聞き流していたかもしれない。
「なら早く来なさい。もう始まってしまいます。何事も経験ですよ」
「わかりました……」
 たしかにまだ一回も参加したことがない。何事も経験。自分で自分に言い聞かせて足に力を込め、立ち上がる。
 すると隣の席の吉岡先生が「ご愁傷様」と呟いた。
「え?」
「今朝、教頭はなんにも言ってなかったわ。あの人、時々そういうボケたことするのよね。まあ、どのみち連れて行かれたんでしょうから頑張って」
「……はい」
 朝から覚悟を決めてたのとそうじゃないのとじゃ精神的ダメージが大違いだとは思ったものの、考えても無駄なので教頭について行った。



「あの……いいですか歩美先生……」
 夜の七時、いつものように谷川君のところへ行こうとすると、校舎を出た直後で意外な人物に呼び止められた。
「杉崎さん」
 うちのクラスの杉崎 俊生君のお父さん。どうしてまだこんなところに? 流石に警戒して身構える。
「俊生君はどうされたんです?」
「大丈夫です、さっき病院に置いて来ました。女房が見とります」
「あ──」
 そうだ、思い出した。俊生君のお母さん、病気で入院中か。だから今日の授業参観にもお父さんの方が来たんだ。
「奥さん、どうですか?」
「手術が上手くいったんで、もう一ヶ月もしたら退院できます」
「それは良かった」
 入院したのも一ヶ月前。男親一人であのヤンチャな俊生君の世話をするのは大変だったに違いない。
 少し安心した私に杉崎さんは頭を下げる。
「実は女房に言われてお礼を言いに。ありがとうございます」
「お礼? 私、何かしました……?」
「俊生のやつ、いつも先生の話ばかりするんですよ。学校が楽しいって。先生の教え方が上手なんで勉強が苦にならんそうです。実際に成績も上がった」
「それは……」
 あの子、いつもご両親にそんな風に話してたのか。教室にいる時はぶっきらぼうな態度で私に接して来るのに。意外な事実を知って嬉しくなる。
「それで今日来られなかった女房が是非ともお礼を伝えたいと。本当はあの学級懇談会の時に言うつもりだったんですが、すっかり忘れちまってて」
「ああ……」
 この人、直前の高野さんとの口論で頭に血が上ってたからな。面談中、あの人への文句ばっかり聞かされて何のために残ったんだろうと思っちゃった。
 でも、そうか。私の為に怒ってたんだなあれ。
「ともかく、それだけ言いたかったんです。本当に先生には感謝しとります。どうかこの先もうちの息子をよろしくお願いします。何かご迷惑をかけたら遠慮無く言ってもらって構いませんので」
「わかりました。でも俊生君もいい子ですよ。今日お伝えした通り、時々何人かの友達とふざけすぎることもありますが、ムードメーカーとして盛り上げてくれています」
「そ、そうですか。はい、そのように女房に伝えておきます」
「よろしくお願いします」
「はい、では、では」
 何度も頭を下げて去って行く杉崎さん。私は空を見上げて息を吐く。
 色々大変だったけど、今ので帳消し。悪いことの後には良いことがあるもんさ。どんなささやかなことだとしても。

「明日も頑張ろう」

 そう宣言して拳を高く突き上げた。
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