私の葛藤

文字数 4,248文字

 ブリスベン市街。首都メルボルンからは遠く離れているけど、十分に発展した大都会の一角で私達はオープンテラスの椅子に腰を下ろす。
「いいとこ見つかりましたね」
「うん」
 疲れている私のため、とりあえずゆっくりしようという流れになり、軽く散策した後に見つけた喫茶店へ皆で入った。
 そこでようやく、学校での出来事や谷川君のことを話す。
 ひとしきり話を聞いた後、さおちゃんが口を開く。
「あゆゆってさ、失敗に不慣れだよね」
「不慣れ?」
「なまじ才能がありすぎて大抵のことはすぐに上手にこなしちゃうじゃん。ピアノも簡単に弾けるようになったし。そういう人は案外脆いよねって話。失敗しちゃうと混乱してさ、どうリカバリしたらいいかじゃなく、どうして失敗したかにばかり固執するの」
「あー、風雅(ふうが)もそういうところあるかも」
「あの子も秀才だしね」
 頷き合うさおちゃんと鼓拍ちゃん。二人の間から千里ちゃんがずいっと身を乗り出す。
「もっと気楽に構えなよ歩美ちゃん。うちの師匠も私が失敗するとよく言うよ。恐れるな、失敗に囚われて竦んで動けなくなる方が駄目だぞって。写真家にはね、時としてピンボケも手ブレも恐れず素早くシャッターを切る勇気も必要なんだよ」
 千里ちゃんは高校卒業後、カメラマンの浮草(うきくさ) 響次郎(きょうじろう)──つまり、うちのじいちゃんに弟子入りして修行中。じいちゃんの紹介で新聞社でもバイトしてる。
 ちょっと驚いた。じいちゃん、弟子が相手だとそういう立派なことを言うんだ。私相手じゃいつも顔が緩みっぱなしの甘やかし放題なのに。
「ま、そういうこと。誰だって必ず一度や二度は大失敗すんの。大事なのはそこから何を学び、どう次に活かすかでしょ。それからチハの言う通り失敗を恐れ過ぎないこと。一度の大成功の陰には大抵何倍何十倍って数の失敗があんのよ。それが普通」
 さおちゃんはカガミヤでたくさんの才能ある人達と仕事してる。だからそういう人達が失敗する姿と立ち直っていく姿を見て来たのかもしれない。
「とにかく、この旅の間は余計なことを考えないようにする方がいいんじゃないかな?」
「そうだな、煮詰まった頭では良い答えも出ないだろう。リフレッシュのための休暇だと割り切って楽しんだらどうだ?」
「……だね」
 澤さんと美浜さんの提案に頷き返す。そう簡単に気分を切り替えられるかはわからないけど、せっかく皆と一緒に外国にいるんだし頑張ってみよう。
 あ、この頑張るって考え方が駄目なのかな。
 リラックスリラックス。
「ちょっとあゆゆ、なにアホな顔で宙を見つめてんの?」
「先輩、木村先輩の影響受けてるかもです」
「しゃきっとなさい」
 すいません。私は慌てて居住まいを正した。



 それからまたブリスベン観光。先に来ていたさおちゃん達は目ぼしいスポットを一通り巡っていたらしく、あれやこれやと私に解説してくれた。おかげで私の気持ちもだんだん盛り上がって来る。
 別行動になった父さん達は観光も兼ね近場で開催中の競技を見に行ってる。無限の試合は明後日なので他を見るなら今のうち。
 クイーンストリートという歩行者天国を歩き、左右の店で服や雑貨を眺めながら、ふと訊ねて来る勇花さん。
「おじさん達、よく他の競技のチケットが手に入ったね。鏡矢パワーかな?」
「ううん、今日見に行ったバスケには美樹ねえの友達が出てるんだって。その人から招待されたの」
「はえー、流石の人脈」
「そうだ先輩、チケット譲ってもらってありがとうございます。風雅喜んでました」
「私はこっちに来るって決めたからね、無駄にならなくて良かったよ」
 ここにいない音海君は私の代わりに美樹ねえ達に同行してバスケットボール日本代表の試合を観戦中。なのでこちらは同世代の女子だけである。
 あ、いや、一人だけ例外がいた。
「やーん、これ可愛いと思わない舞ちゃん?」
「え、ええ、とてもお似合いです」
「あっ、あの服、八千代ちゃんに似合いそう! 試着してみて!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 ──何故か葵さんも私達の方に来た。今年で二十五歳だったはずだけど相変わらず学生にしか見えない若々しさ。

「あの人って最近テレビでよく見る芸能人だよね? なんでここに? 鏡矢関係?」
「いや、木村先輩のいとこで、私達と同じく応援に駆け付けたらしいです」
「そだよ、仕事も兼ねてねっ。あ、でも今日は完全にオフだから安心して。カメラなんか回ってないから」
 澤さんと鼓拍ちゃんのひそひそ話を耳ざとく聞きつけ返答する葵さん。しかし、そんな言い方をされるとかえって気になっちゃうな。本当にテレビカメラいないよね?
 葵さん、例のヒーローショーをきっかけに悪の魔女シリーズにハマッてコスプレを始めたら、今度は異様に再現度の高い“女装”コスプレイヤーがいると話題に。そこから音速で芸能界入りしてバラエティに引っ張りだこの人気タレントになってしまった。
「オーストラリアでの知名度はまだ低いけど、こうしてちゃんと変装もしてるからあ~んしんっ!」
「いや、すげえ注目浴びてんですけど……さっきから写真撮られまくり」
「こっちの人達、他人を撮るのに遠慮が無いな」
「何かの見世物だと思われてるんじゃ?」
「そもそも変装ってサングラスかけただけじゃないですか」
「ゴスロリの時点でどうしても目立つ」
「てへっ」
 皆のツッコミを受けても葵さんは動じない。小さな舌をぺろっと出して笑う。
「葵の魅力はそう簡単には隠し切れないんだね! でも大丈夫、このグループってば美人さんばかりだし、目立ってるのは葵だけじゃないよっ」
 それ、もっとまずいんじゃない?
「うちらもサングラス買おっか。ちょうどそこの店で安いの売ってる」
「お揃いにしよー! 葵がおごったげる!」
「え、まじすか? チハ、予定変更! そっちの高級ブランド店にしよう!」
「やーん、さおりちゃん容赦無い。待って、ほんとに行くの? 待って待って待って!」
 お高い店に突入して行くさおちゃん達と慌てて追いかける葵さん。私はというと、後で会えないかと無限にZINEを送りつつ、今は観光中で葵さんも一緒だと報告した。
 すると──

『羊の群れの中に狼を混ぜんじゃねえよ!? あのヤロウ!』

 このように心配していただきました。そういえば葵さんって気軽に女の子に触れ合えるから女装してるだけなんだっけ……しっかり見張っとこ。



 日が傾き始め、数台のタクシーに分乗してホテルへ帰還。この街は治安が良い方だけど、それでも夜はなるべく出歩かないよう時雨さんから注意を受けていたのだ。
 ロビーで解散して、皆はそれぞれの部屋に。私だけがその場に残った。もうすぐ無限がここにやって来る。最後に直接会えたのはお正月だったから七ヶ月ぶりの再会。
 そわそわ。立ってると落ち着かないな、座っとこ。
「やっぱり、一旦部屋に戻った方が良かったかも……」
 高そうな椅子に座り、今さらながらにそんなことを考える。シャワーを浴びたり髪型を整えたりした方が良かったんじゃない? 服も普通のシャツとジーンズ。七ヶ月ぶりだよ七ヶ月。半年以上会ってなかった恋人と会うのに本当にこの格好でいいの?
 迷っているうちに目の前に人影が。遅かった──そう思って見上げると、無限ではなく予想外の顔が興味深げにこちらを見下ろしている。
「別にそのままでいいと思うよ? むしろ君は飾らない方が魅力が増す」
穀雨(ぬう)さん?」
 雫さんや時雨さんに似た顔なので一瞬戸惑った。この人と会うのも久しぶりだな。
 穀雨さんの腕の中には親指をしゃぶる女の子。やっぱり良く似た顔立ち。
「ほら美雨(みう)、お姉さんに挨拶して」
「こんにちは美雨ちゃん。大きくなったね」
 この子は穀雨さんと時雨さんの子。私が短大に通ってる間に生まれた。誕生日は九月のはずだから、もうすぐ三歳。
「おあよう」
「おはようじゃない、今はこんばんは」
「ふふ、こんばんは」
「こんあんあ」
 可愛い子だなあ。私が二歳の頃もこうだったのかな?
 やっぱり小さい子を見てると和む。ただ、その美雨ちゃんをだっこしてる穀雨さんの方を見ちゃうと胸が妙にざわざわする。
 実は私、いまだにこの人のことを“雫さんの息子”で“時雨さんの夫”という以上には知らない。あんまりうちにも顔を出さないし会ってもほとんど喋らないから。
 それに、この何もかも見透かしてるような目がちょっと苦手。
「僕は苦手かい?」
「あ、いや」
 気まずい。視線を逸らしたのに気付かれちゃった。
「仕方ない、君は鏡矢の血が濃い。僕の中の“異物”に反応してしまう。妻でさえ今も僕を警戒し続けている。愛情はちゃんとあるんだけどね」
「え?」
 待って、なんの話? まさかこの人って──

「歩美!」

 その時、無限が入口に姿を現す。すぐに私を見つけてぶんぶんと手を振った。
 穀雨さんは苦笑を浮かべて踵を返す。
「ただ、覚えておいて。鏡矢が異質な血を受け入れることはよくあるんだ。どうせ鏡矢の血の方が強くて生まれて来る子は鏡矢の特性の方を濃く受け継ぐ。だから君達だって全員、家系を遡れば“混ざりもの”なんだよ」
「……」
「僕もその一員として君達を支えたいと思っている。力になれることがあったらなんでも言って。こう見えて色々できるんだよ? もっとも、この場は邪魔にならないうちに退散した方が良さそうだ」
「あいあい」
 立ち去って行く穀雨さんと、その肩越しに手を振る美雨ちゃん。
 私も軽く手を振り返してから今の話を整理する。やっぱりあの人、ただの人間ではなさそうだ。
 でも、それに関する話を除けば……えっと、励ましてくれたのかな?
(まあ雫さんの息子だもんな)
 どっか微妙にずれてるとしても良い人には違いないんだろう。納得した直後、混雑するロビーを人にぶつからないよう抜けて来た無限が隣に並び、首を傾げる。
「今の時雨さん?」
「いや、穀雨さん」
「あー、オレらと同い年の旦那さんか。夫婦でそっくりだからわかんねえよな」
「肌の色で見分けられるって」
 夫婦、という言葉にドキッとしつつ教える。穀雨さんは肌の色が私達より濃い。
 まあ、私もさっき見間違えたから偉そうなことは言えないんだけど。
(混ざりもの……)
 よく考えたら私だって人狼の血を引いてるというこいつが相手なんだ。あの人のことをとやかく言えない。
 なにはともあれ、
「久しぶり」
「ああ、やっと会えたな!」
 私を抱きしめる無限。こっちも七ヶ月ぶりに触れ合ったその逞しい体にしっかりしがみついた。
 ああ、やっぱり私、この人と──
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