猫vsルーレット

文字数 2,616文字

「こしあん、ごはんよ」
「にゃー」
 我が家の飼い猫こしあんは少し変わった黒猫。名前のことじゃないわよ? 私が考えたこの名は滑らかで艶のあるこの子の毛並みにベストマッチだと思っている。
 そうではなく体格のことだ。年齢的にはもうとっくの昔に成猫なのだけれど、拾った時からほとんど姿が変わっていない。つまり今も子猫に近いサイズなのである。
 獣医さんにはドワーフィズムだろうと言われた。日本語では小猫症という病気。先天性甲状腺機能低下という呼び方もあり人間にも時々起こる。顔だけ大きくなって手足が短い不均衡型と全てが一律に小さい均衡型があるのだそうで、こしあんは見た目から察するに後者。
 治療法は存在する。甲状腺ホルモンの投与。しかしこしあんはいたって健康体で、この病気の猫に多く見られる角膜の混濁も無い。そもそも原因が甲状腺の機能低下にあるとは限らず原因不明のままということも多い。こしあんを診てくれた獣医さんもはっきりした病因はわからないと言っていた。健康に問題が無いのに治療行為を行うと逆に悪化させてしまうこともありうる。なので、しばらく様子を見てはどうかと提案され、私達はそれを受け入れた。当猫(とうにん)も小さい体に不満を持っているようには見えない。
 不満は無さそうだが、いつまで経っても小さいのをいいことに基本的に甘ったれ。家族を見つけるとすぐに足下へすり寄って行く。特に末っ子の友樹がお気に入り。友樹もまた甘えん坊の性格で、よく姉の友美の後ろにくっついて歩いている。さらに後ろにこしあん。それが我が家の日常風景。
「こしあん、おさんぽいこ」
「にゃ」
「おちないでね」
「にゃうん」
 こしあんは小さいが、それでいて猫らしく高いところを怖がらない。外へ出る時は大抵友樹の肩や頭に乗っかっている。

 頭に猫を乗せた子供。

 漫画なんかではたまに見かける組み合わせだけど、まさか現実で目の当たりにする日が来ようとはね。初めて見た時は思わず「ジーザス」って言っちゃったわよ。別にキリスト教徒じゃないのに。ご近所でもこの子達は可愛いものと可愛いものが組み合わさって無敵に見えると評判である。

 そんなこしあんは、毎朝私達に娯楽を提供してくれている。
 それはいわゆるギャンブルであり、熾烈な争いでもある。

「さて、明日は誰になるかしら」
 私はベッドに横たわりながら言った。
「さいきん、友樹ばっかり」
 別のベッドで唇を尖らせる娘。
「こしあんは友樹のことが好きだからね」
 夫の友くんがそう言うと、息子の友樹がこしあんを抱きしめた。
「ぼくも、こしあんだいすき」
「にゃにゃあ」
 私も私もと甘い声を出すこしあん。あらあら、あんた達兄妹じゃなかったの? 駄目よ友樹はまだ五歳なんだから。ましてや種族を超えた愛なんて流石に容認しないからね。
「おかあさんもすき」
「あら」
 じゃあ許すわ。
「おとーさんも」
「はは、ありがとう」
 嬉しそうに友樹の頭を撫でる友くん。ちなみに私達一家、流石に十歳を過ぎて親と寝るのを恥ずかしがるようになった友美以外、まだ同じベッドで寝ている。友美も寝室は私達と一緒。これはあの子がまだ一人部屋を望んでいないからというのもあるが、もう一つ別の事情も関わっている。
「友樹、お姉ちゃんは?」
「いちばんすき」
「ふふん」
「ふしーっ」
 ドヤる友美。毛を逆立てるこしあん。この組み合わせも普段は仲が良いんだけど、間に友樹が入った場合にのみ火花を散らす。
「仲良くなさいな。友美、そんなだから負け続けなのよ?」
「だって、友樹は友美の弟だし」
「こしあんだって妹みたいなもんじゃない。まとめて可愛がってやんなさい」
「かわいがってるもん。こしあんがいじわるなのっ」
 あら、ふてくされて先に布団にもぐっちゃった。
「はいはい、それじゃあ今回は勝てるといいわね、おやすみなさい」
「おやすみ」
「おやすみなさーい」
「おやすみ、友美、友樹、こしあん。それと美樹ちゃん」
「おまけみたいに付け足さないの」
 私はリモコンで電気を消した。



 ──深夜、こっそりベッドを抜け出した私は、やはり息を潜めて行動していたずるっこの腕を掴む。
「こーら、こういうのは駄目よ」
「ううっ」
 反則技を使おうとしたのは友美。こしあんの好きなおもちゃをこっそり自分のベッドの中に隠しておき、私達が寝たのを見計らって取り出し、かけ布団の上に置こうとしていた。
「これは棚の上に置いておきます」
「だって、もうずっと友美のところに来てないし」
「悔しいのはわかるけど、ずるは良くないでしょ。友美がずるをしたって知ったら、豪鉄おじさんはきっと悲しむわね」
「……」
 友美に反省させるにはこの一言が一番。案の定、不満顔ながらもこくりと頷く。
「もうしない」
「よし」
 えらいぞ、流石は我が娘。
 特別に勝率を上げる方法を教えてあげよう。
「ほら来なさい」
 両腕を広げる私。友美はきょとんとする。
「え?」
「たまには前みたいにママ達と一緒に寝なさい。友樹の近くにいればこしあんが気まぐれを起こすかもしれないわよ」
「や、やだ、はずかしい」
「まったくもう、そういうのは中学生からでいいんだって」
「ぎゃあー!? 人さらいー!」
「さわがしいなあ……」
「Zzz……」
 目を覚ます友くん。その腕の中でこちらはぐっすり眠ったままの友樹。あの子、意外と大物なのかもしれない。
 結局、友美は私達のベッドに連れ込まれた。久しぶりに私がだっこして眠る。
 暗闇の中、そんな私達を見つめる金色の瞳。

 猫の目に 品定めされ 結果待つ

 そして朝がやってきた。
「また友樹!」
 悔しがる友美。友くんはホワイトボードに結果を書き込む。
「うーん、やっぱり友樹が強いなあ。これで今週三連勝」
「まだよ、まだあと四日残ってるわ」
「四連勝する気なの?」
「可能性がある限り、私は諦めない」
「ママかっこいい」
「美樹ちゃんは、お父さんが言われたいセリフを僕より多く言われるよね……」
「いじけないの。その分、私が褒めてあげるわ」
「ありがとう」
 さて、それでは改めて今日の勝者を称えましょう。私達三人はまだすやすや眠っている友樹と、そのお腹の上の黒猫を凝視した。
 こしあんが提供してくれる娯楽とはこれ。起床時こしあんに乗られていたら勝ち。そうでなかったら負け。そんなシンプルなゲーム。当然だが圧倒的に友樹が有利。だからこそ、たまに勝てると嬉しくなる。

 我が家では、このゲームを“こしあんルーレット”と呼んでいる。
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