私と問題児

文字数 4,508文字

「やっぱり先生、強いなあ」
「こういうゲームならね」
 今遊んでるのは“ウルトラレクレス・ファイターズDASH Turbo Seven”というシリーズを重ねすぎてタイトルがやたら長くなった格闘ゲーム。そういえば中学の時、父さんとも対戦したっけ。
 今のところ対戦成績は五勝一敗。この手の反射神経が物を言うゲームだと鏡矢家の血を引くおかげで並外れた反応速度を誇る私が圧倒的有利なんだけど、それでもたまに黒星が付くくらい谷川君は強い。
 これがチェスや将棋みたいな頭脳系のゲームになると力関係が逆転。私はほとんど勝てなくなる。この子、めちゃめちゃ頭が良いんだ。
 ──去年、三年生を受け持つことになり、不登校児が一人いると聞いて挨拶に来た四月半ば、初対面の谷川君はいきなり言い放った。

『勉強なら心配いらないよ。一人で義務教育分は済ませたから』

 二年生から不登校だった彼。そんなまさかと思いつつ問題を出すと、言葉通りあっさり解いてしまった。少しずつ難易度を上げていっても同じ。最終的に中学どころか大学入試レベルの問題まで正解。天才って本当にいるんだと思い知らされた。
 それでも学校には来るべき。私は言葉を尽くし説得を試みた。学校は勉強をするだけの場所じゃない。友人を作ることで他人との付き合い方も学べる。学校という小さな社会に身を置かなければ学べないことだってある。
 考えられる限りの理由を説いて弁舌を振るった。けれど彼は顔色一つ変えなかった。

『先生も前の人と同じだね』

 私が言った程度の言葉は前任の先生もすでに投げかけていた。それでも動かなかったのだから同じ話の繰り返しで結果を変えられるはずもない。
 どうしたらいいんだろう? 途方に暮れて沈黙してしまった私に、彼はゲーム機のコントローラーを差し出した。

『暇なら付き合って。前の人と違って大塚先生は若いし、ゲームくらいできるでしょ』

 ──今になって思うと、この唐突な提案はパパの遺した“月光”か私の“重力”が引き寄せたものだったのかもしれない。
 ともかく私は、その時もレクレス・ファイターズで谷川君に圧勝した。それが彼の私に対する評価を改めるきっかけとなってくれた。



「あー、負けた負けた」
 どちらかが十勝したらおしまい。そういう決まりなので、十敗目を喫した谷川君は後ろ向きに倒れ込む。LED照明の下、清々しい表情で笑った。
「強すぎ。先生、絶対プロゲーマーになった方がいいって。教師やるよりよっぽど稼げるから。ビジュアルもいいし配信するだけで億単位いくかも」
「何度も言ってるけど、私はお金の為に先生になったわけじゃないの」
「親戚の子が可愛くて、子供に関わる職業に就きたいと思った、だっけ? もったいないなあ、感情的な動機で働くより才能を活かすべきだと思うけど」
「それなら君だってそうじゃない? 君の頭脳ならどんな大学にだって入れるでしょ」
「大学なんてどうでもいいよ。それにプロゲーマーだって、ちゃんと僕の才能を活かした職業じゃないか」
「まあ、そうかもしれないけど……」
 彼はこの歳で月に数十万円の月収がある。さっき彼自身が言ったようにゲームプレイの映像を配信して稼いでいるのだ。さらに去年はeスポーツの大会に出て優勝。三百万円の賞金を受け取った。優勝はその一度だけでも、その手の大会では上位の常連ですでに私の年収を遥かに上回る資産を有しているらしい。

『僕は学校には行ってないけど、代わりにお金を稼いでる。家にだってちゃんと一定額を収めてるんだ。今後も収入がある限り好きにやらせてもらう』

 それが彼の言い分。実際この調子であと数年活動を続ければ一生食うに困らないだけの蓄えができるかもしれない。だからご両親も学校に通えと強く言えない。

『そもそも小学校なんて通う意味無いだろ。僕以外はまだ幼い。付き合うメリットを感じられない』

 聡明すぎる彼の視点からだと、たしかにそんな風に思えてもしかたがない。他の生徒達だってあまりに異質な彼との交流には戸惑うだろう。低学年の時もずっと周囲から浮いた存在だったそうだ。
 やっぱり連れ戻すべきじゃないのかも……最近そんな疑念に取り憑かれている。谷川君は彼なりのやり方を貫いて生きて行くのが幸せなんじゃないかって。強引に復学させても誰も幸せになれないんじゃない?

 いや、でも──

「それでも……やっぱり私は、谷川君に学校に来て欲しい」
「なんで?」
 きょとんとした顔で起き上がる彼。見た目は普通の子なんだ。中身だって頭が賢すぎるだけで、まだまだ幼いのだと思う。
 私は、まとまりきっていない考えを整理しつつ言葉を紡ぐ。
「谷川君はさ……ずっとこの部屋にいるつもりなの?」
「まあ、そうかな。見ての通り快適に過ごせるように環境を整えてあるし、必要無い限り移動はしないよ」
「それって……寂しいね」
 馬鹿にしたように聞こえないかな? 傷付けてしまわない? 内心ビクビクしながらも続けた。
「たしかに、ここにいれば心地良いかもしれない。安心できると思う。その上で収入まで得て生活が安定しているなら誰にも何も言う権利は無い。多分その通りなんだ。
 でも、君にだって知らないことはある。見たことの無い世界がたくさんある。そういう物事を知る機会まで捨てないで欲しい」
「……ふう」
 彼は嘆息して自分の収入で買ったというタブレットを拾い上げる。
「知識ならこれでいくらでも手に入る」
「知識はただの知識だ。経験じゃない」
 これだけは断言できる。ネットで得た知識なんて実体験とは全く違う。どこかの誰かが投稿した文字や画像だけで知ったつもりになったら駄目。
 ただ、やっぱり谷川君の心は動かない。
「言いたいことはわかる。百聞は一見に如かず、先生の言ってることは正論だ。偉そうなこと言っても僕は社会経験の少ないガキ。先生達の仕事は、そういう子供を立派な大人に育て上げること。だから僕を学校へ連れ戻したい。社会の仕組みを学ばせるために」
「だったら──」
 身を乗り出しかけた私を、すぐに彼の一言が止める。
「でも矛盾してるんだよ」
「矛盾……?」
「さっきも言ったじゃない、僕は生活するのに十分な収入を得てるって。ゲームで遊んで、その映像をネットで配信するだけ。それっぽっちのことで金が転がり込む。今はそういう世の中なんだ。十分な社会経験を積まなくたって生きていける社会。大人がそういう風にした。仕組みを構築してくれた。なのに利用するな? 子供は学校に行け? 機会損失を受け入れて大人になるまで我慢してろって?」

 馬鹿馬鹿しいと彼は吐き捨てる。

「僕はさ、自分の配信がどうして多くの人に見てもらえるか理解してる。ゲームの腕だけの問題じゃない。子供だってことが一種のブランドになってるんだ。小学生が大人を打ち負かす。そこに快感を見出す視聴者が一定数いる。大人になったらこうはいかない。大人が大人をやっつけても大したカタルシスは得られない。それに僕の容姿じゃ人気を維持し続けることも難しい。わかる? 子供だからこの程度でも需要があるってこと。
 もう一度言うよ。今の状況で学校へ戻ることは僕にとって大きな損失だ。無意味な時間を過ごしてる間に本来稼げるはずだった収入を失う。先生達が補填してくれるの? 無理だよね? なら放っておいてくれないかな、今が一番大事な時期なんだ。
 もちろん先生の立場もわかる。だから譲歩した。僕に勝ったご褒美さ。あと一年、仕事帰りにちょっとこの家へ立ち寄ってくれるだけでいい。そしたら五年生からは復帰するよ、予定より少し早いけどね。僕だってこれだけで一生食って行こうとは思ってない。学歴がその人間の能力を推し量る重要な物差しになっていることも知ってる。ほら、将来のことならちゃんと考えてあるだろ? 何も心配いらない」
 大学は出るつもりだと続ける。自分なら遊びながら適当にやっていたって好きな学校に合格するだろうと。
 そうかもしれない。何も言えなくなる。前任の先生がノイローゼになってしまったのも当然。この子を説得するのは私達には難しすぎる。
 そのくせ学校ではいつになったら連れ戻せるのかと、自分の評価ばかり気にする教頭に責められるんだ。うっ、あの狐顔を思い出したらまた胃が……。
「いたた……」
「先生? 大丈夫?」
 顔をしかめた途端、心配そうに覗き込んで来る彼。価値観が独特なだけで優しい子ではある。それはこの一年の付き合いで十分わかった。
 私は手を上げ、苦笑を返す。
「大丈夫……ちょっと、調子が悪いだけ」
「あ……」
 頬を赤くする谷川君。もしかして別の理由と勘違いした? おませだな。
 まあ、本当にそう誤解したのかもわからないし、下手なことを言って藪蛇をつつくのはやめとこう。
 彼はどうしたらいいのかわからずうろたえて、そして提案する。
「今日はもう帰って。ていうか、調子が悪いなら言ってくれればここに来なくていいから。来なくてもカウントは継続する」
「そう……?」
「当たり前だろ、歩美先生のことは嫌いじゃない。前の柿崎先生とは全然違う」

 ──前任の柿崎先生は彼との問答で痺れを切らし、力づくで家から連れ出し登校させたそうだ。親御さんと共謀して嘘の理由で家から誘い出し、車で学校の近くまで連れて来てもらって、そこからは担いで無理矢理教室まで。
 谷川君は両親とお出かけするんだと思っていた。信じていたのに裏切られ、泣きながら教室に入り、他の生徒達の注目を浴びつつ椅子にロープで固定されたという。
 流石にやりすぎだと他の先生達から批判を浴び、結局その日の三時間目には彼は帰宅を許された。
 そして、それ以来彼は両親のことを信じなくなった。ほとんど部屋から出ない今の生活を始め、部屋の中に二人を入れることもしない。一歩でも踏み込めば手当たり次第に物を投げつけ追い出そうとする。

「そういえば先生って彼氏いるの?」
「彼氏?」
 あまりに意外な質問をされて驚く。その拍子に胃痛も吹っ飛んだ。
「あ、いや……」
 自分でもどうしてそんな質問をしたのかわからないらしい。動揺のあまり言うつもりの無いことを口走ってしまったんだと表情から察する。
 中学生の頃の私なら質問の意図を理解出来なかったかもしれない。でも、今ならわかる。そうか、この子が私を信用してくれているのは──

 ごめんね、内心で謝る。
 私は先生なんだよ。

「いるよ、高校の時からずっと付き合ってる」
「そうなんだ……」
 やっぱり落ち込んでしまった。それでも賢い彼は、すぐに自分を立て直す。
「だと思った、先生美人だし。今度はその彼氏さんの話も聞かせてよ、先生みたいな人と付き合えるのがどんな人なのか知りたいな」
「……うん」
 私も無限のことを誰かと話したかった。頷いた後、体調不良時の連絡のためZINEの友達登録をして廊下へ出る。ここへ来てから一時間くらい経っていた。
 なのに、廊下ではお母さんが待ったまま。
「ありがとうございます」
「いえ……」
 感謝されてもいいの? 私は本当に教師として為すべきことをできてる?
 疲れ果てた表情の彼女を前に、また同じ疑念にとりつかれた。
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