第14話

文字数 1,342文字

       14

 コーチはゆっくりとドリブルを始める。俺はコーチの動きに全神経を注ぐ。
 左足のアウトでボールが出た。俺は重心を右へ。ボールが落ちる前にイン・サイドで切り返し。完全に逆を突かれる。
 右足に持ち替えてコーチはドリブルを始める。左足でスライディングしたような体勢で転けた俺は置き去りだった。
 俺は、直ぐに立ち上がる。コーチは振り向いてにやりと笑った。
「結構、上手いだろ、エラシコ。俺の十八番(おはこ)だった。天下のバロンドーラー、ロナウジーニョにゃあ遠く及ばんがな」
 (おど)けた口調でコーチは言った。
「バロンドーラーって和製英語らしいっすよ。ってすんません。なんか差し出がましいっすよね」と、俺は頭に浮かんだ豆知識を口に出した。
「そうなのかよ。教え子に教えられるとは、俺もまだまだだな」と、コーチは冗談っぽく笑った。
 さっきの一対一は五本目だった。俺は一度も勝てていなかった。
「おし、もう少し離れろ。ショートパスをやるぞ。少し休憩だ。お前、ダッシュしたばっかだしな」
 俺が後ろに下がると、緩いパスが来た。俺はボールを止めて蹴り返す。
 しばらく無言でパスを交わす。
「コーチは高校時代、どんな選手だったんすか。差し支えがなけりゃあ、ぜひ教えてほしいっす」
 思い切って、聞いてみた。
「テクニック偏重のセカンド・ストライカーだ。『高校サッカー史上最高のファンタジスタ』『日本のトッティ』だなんて、身の丈に合わない、大げさな表現をしてくれる人もいたっけな」
 俺は左足のイン・サイドで、早めのパスを出す。トラップしたコーチはゆっくりと俺にボールを返す。
「見ている人が唸るような美しいプレーをする。俺が出場するゲームを『柳沼のゲーム』にする。そんなどでかい野望を抱いて、サッカーをしていた。プロになって野望を実現するために、留学もした」
 心なしかコーチの表情が暗い。俺は何を言うべきか、わからない。
「パラグアイでは相部屋の寮に入っててな。毎日バタバタと慌ただしかった。けど楽しかった。グラウンドがボコボコだったり、物質的にはあまり恵まれてなかったけどな。
 元チームメイトとは時々連絡を取ってる。お節介焼で他人のことばっかり考えてる、本当にいい奴ばっかだ。だが知っての通り、俺は致命的な怪我をした。そして、プロを、諦めた」
 コーチは寂しげに言葉を切った。俺はちらりとコーチに目をやる。
 俺の視線に気づくと、コーチは笑った。いつもの口だけの笑顔ではなく、心からの笑顔に見えた。
「でも勘違いはするなよ。俺は今、幸せなんだ。叶いはしなかったけど思うがままに自分の夢を追えて、今ではお前たちと一緒にもっと大きな目標を追っかけてな。俺は俺の選んだ道を後悔していない。サッカーを始めて、良かった」
 充足感たっぷりに、コーチは思いを口にした。
「俺もっすよ。俺もサッカーを始めて良かった。龍神のサッカー部に入って、良かったです」
 俺の本音を聞いたコーチは、厳しい顔つきになった。
「わかってるだろうが、水池は強いぞ。だが水池を止めれば、お前は出世。間違いなくBに昇格だ。試合まで日はない。気合を入れて練習しろ」
 俺は「当然っす」と、決意を込めて返事する。Cのメンバーがボールを蹴る音が闇に包まれるグラウンドに響き渡った。
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