#11 皆どこにいるの

文字数 886文字

 緘黙の人かどうかはパッと見で判別できません。そもそもの認知度が低いので、緘黙を知らない人が気付かないのは仕方ないとしても、当事者である私でさえ自分以外の当事者を見掛けたことがありません。

 子どもの場合、学校と家での様子の違いから気付いてもらいやすいでしょう。学校の先生は、大学で教育心理学という科目の中でちょこっとだけ扱うはずなので、「緘黙」という言葉、あるいは発表などが苦手な子がいる程度は知っているはずです。

 しかし大人になると、自分が苦手とする状況を回避する生活になりやすく、緘黙で毎日のように困ることは減りますし、人目につきにくくなります。
 なので、通りすがりの第三者にはまず分かりませんし、困っている人と遭遇する機会自体が少なく、困っている人がいてもそれが緘黙ゆえかは判別できないのです。

 SNS上には緘黙の人がたくさんいるのに、現実では全く見掛けない。当事者ですら気付けないのだから、緘黙を知らない人にとっては想像もできないかもしれません。
 見掛けないのだから、世間でも話題になりにくいし、理解もされにくいし、公的な支援もほぼありません。せいぜい精神障害の範疇で障害者手帳もらうくらいでしょう。

 交流会などのアカウントをSNSで見掛けますが、実際どうなんでしょうね。私の身近にはたぶん無くて、私も親も参加したことはありません。具体的な活動内容を知らないのでなんとも言えませんが。
 もし自分以外の当事者を目の前にしたら、どんな気持ちになるんでしょう。SNS上では皆饒舌なので、本当の意味で他の緘黙の人を見たら、ちょっとしたカルチャーショックを受けちゃうかもしれません。

 また、何度も書いてますが、緘黙は個人差が大きいので、もし出会っても「仲間だ」とは思いにくいかもしれません。
 ちょっとだけ喋れる人もいますし、筆談ができる人もいますし、逆にそれらをできない人もいます。
 単純な症状の度合いではなく、全く違う心理に基づいている可能性もあるので、表面だけ似てても、内面的な部分で共感できないことは十分有り得ます。
 緘黙の人の孤独感は根深いものがあるかもしれません。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み