#13 筆談できる?

文字数 1,304文字

 緘黙の人の中には、筆談ならできるという人もいます。ただ、私のように筆談が嫌な人もいるので、確実な配慮とは言えないという難しさがあります。
 緘動で筆談も難しい場合もあります。“書いている姿を見られたくない”と思うことが多いです。

 私は小中学時代に親や教師に「口で言えなかったら紙に書け」と言われ紙とペンを出されることがよくありました。私には屈辱的で侮辱的に感じることです。

 たとえば、障害者が「自分でできることはなるべく自分の力でしたい」と言うことがあります。そこにはたくさんの思いが込められているでしょう。
 それに近くて、筆談を提示されるということは「お前は喋れないんだから紙に書け」と言われてるのと同じであり、当人の能力を過小に評価しているに等しいことなのです。
 わざと赤ちゃん言葉で「日本語分かりまちゅか~?」とか言われたら、馬鹿にされてると思いますよね。これはあくまで例なので言われたことはありませんが、「口で言えなかったら紙に書け」はこれに近いことをされてると感じます。

 また、この筆談に応じることは、この過小評価を認めることと同義です。実際喋れるかどうかは関係ありません。
 日頃、上手くいかないことがたくさんありますが、それらは緘黙緘動のために本来の力を発揮できていないために起こりがちです。
 なのでいつも“自分は本当は喋れるんだ”という思いを抱えています。誰にも正当に評価してもらえない中で、自分だけは本当の自分を認めてあげなくてはいけません。文字通りの“自尊心”です。
 なので、筆談に応じることは、自らに対し“お前は喋れない人間なんだ”と言っているのと同じことになり、自尊心を自らを傷つけてしまうことになります。
 この自尊心を守るためには、筆談に応じるわけにはいかないのです。

 これはあくまで私個人の価値観なので、筆談ができる人を非難しているのではありません。緘黙というハンディキャップを自分にできることでカバーする工夫や努力なので尊重してます。

 筆談における他の心理では、“注目されたくない”、“字を間違えたり、漢字で書けなくて恥をかきたくない”、“字が下手だと思われたくない”、“伝えたいことが上手くまとまらない”、“選択肢の中に当てはまるものがない”……などなど、いろいろ考えて悩んでいます。

 筆談に限らず、授業でノートに書く、SNSなどに文章を投稿する、などの際も緊張してます。
 私は家庭教師で勉強させられていたことがありますが、書くことがものすごく苦しかったです。
 最近ではSNSや小説投稿サイトを利用してますが、毎回緊張してます。筆談云々とは少しニュアンスが違うかもしれませんが、極力他の人と関わらない利用しかしてません。でも孤独が好きなわけじゃなく、絡んでもらえたらドキドキするけど嬉しいです。

 筆談に話を戻すと、では緘黙の人にはどうしたらいいの、と思うかもしれませんね。その場かぎりの相手に対してなら、とりあえず筆談を提示していいと思います。
 私みたいに嫌だと思う人もいるかもしれませんが、慣れてるので我慢します。それよりも、求めてる人に提示してあげる方が有意義だと思います。
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