#12 元緘黙

文字数 1,085文字

 SNSを見ると「元緘黙」という人が結構いるんですよね。小学生までっていう人をよく見掛けます。環境が変わったきっかけで治ったのか、積極的に治す訓練をしたのかは分かりませんが、わざわざ自己紹介に書くくらいなので、元緘黙という経験は自己認識において大きな存在感があるのでしょうね。

 個人差というのをうざいくらい書いてますが、この「経験者」という個人差も気になるところです。
 私の場合、もう治す気力もない、治る気配もない、このまま緘黙で一生過ごすでいいや、という気持ちなので、治るという経験は全く未知の領域です。

 私は中学高校と環境が変わるたびに「治るかも」と期待をし、自分なりに努力もして、結局上手くいかずに得たいの知れない壁に阻まれ続ける人生でした。
 治るイメージが全く持てない中で、治った人がいるといる“個人差”が私には共感の対極にすら感じます。

 緘黙は不安障害の一種、平たく言えば“気持ちの問題”なので、治る可能性も当然あるでしょう。
 でも私にとって、もはやその範疇じゃなく、魂の一部です。緘黙は私を苦しめる症状でありつつも、それのない自分は別人も同然なのです。
 例えば、“風邪を引いてる自分”と“健康な自分”を別人とは思わないでしょう。でも“緘黙持ちの自分”と“緘黙のない自分”は別人だと思うくらい、深いところで一体化してる感覚です。

 治ったとはいっても、あくまで寛解(生活に支障がない程度に症状を抑えられてる)という状態であり、完全に克服したとは言いがたいという吐露を見掛けます。他の病気と違い心理的なものなので、またいつ緘黙が出るか分からないという不安感があるのかもしれません。

 また、「後遺症」という言葉もよく見掛けます。治すことを諦めた私にはこれもまた未知の領域です。
 推測になってしまいますが、経験不足からくるコミュニケーション下手や、常識や教養の欠如などのことかと思います。

 緘黙じゃない人の中にもコミュニケーションが得意な人、苦手な人がいるように、緘黙が治った先でコミュ力という新たな壁にぶつかってしまったり、集団の中での立ち振舞いが上手くいかないのかもしれません。
 また、緘黙で悩んでいると勉強に集中できなかったり、諸々の手続きなどを家族などが代わりにしてくれていたりするので、いざ社会に出たときにそれらの経験不足や知識不足で苦労するのかもしれません。
 あくまで推測なので、違ってたらすみません。

 緘黙といっても一括りにはできない個人差があって、当事者の私にも全然分からない部分があります。これを他者知ってもらうって、なかなか難しいかもしれませんね。
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