6.蒼天を斬り裂く雷鳴-2
文字数 5,306文字
結局、朝食も摂らずに、午前中ずっと熟睡していたルイフォンであったが、さすがに昼過ぎには目を覚ました。腹が減ったためである。
ベッドから体を起こすと、テーブルにサンドイッチが載っているのが見えた。
寝ている彼のために、メイシアが用意してくれたものらしい。流麗な文字のメモが添えられており、声を掛けても起きなかった彼に対して、疲れているのではないかと気遣う言葉と、午後から会議があるので、そのときにまた来るという連絡が書かれていた。
ルイフォンは、サンドイッチをつまみながら時計を見る。会議の時間まで、余裕があるとはいい難いが、慌てるほどではないだろう。
「結構、寝たな」
メイシアは疲労を心配してくれたようだが、おそらくただの寝不足だ。
本当なら、今日はメイシアと共に、〈蝿 〉のところに乗り込む予定だった。緊張で眠れなかったわけではないが、眠りが浅かったのは事実だ。そこにリュイセンが戻ってきて、安心して気が抜けたのだ。
「さて……」
状況は一変した。
偽りの『和解』で〈蝿 〉を騙す、という作戦は延期、または中止にすると、寝る前にイーレオと話してある。おそらく、廃案にするしかないだろう。
『和解』などという、あり得ないような申し出は、リュイセンが囚われている状態であって初めて、真実味が出る。なんとしてでも、リュイセンを解放してほしいという、こちらの切実な思いがあればこそ、〈蝿 〉を騙せるのだ。
事情が変わった今、成功率は格段に落ちる。となれば、メイシアを危険に晒すこの策を実行に移すわけにはいかない。
では、どうするか。
ルイフォンは、保温ポットに入っていた紅茶を飲みながら思案する。猫舌の彼のために、ほどよく中身が冷まされていることには、残念ながら気づかないのであった。
会議の時間となり、執務室にいつもの顔ぶれがそろった。その中にリュイセンの黄金比の美貌があるのを見て、ルイフォンは心が落ち着くのを感じる。兄貴分のいない一週間は、やはり堪 えたようだ。
「皆、集まったな」
イーレオの魅惑の低音が響いた。
「言うまでもないだろうが、この通り、リュイセンが戻ってきた」
水を向けられたリュイセンは、恐縮したように立ち上がり、「ご心配おかけしました」と深く頭を下げた。けれど、堅苦しいのは彼だけで、皆は思い思いの安堵の表情を浮かべる。
――否。
イーレオだけが、微妙な具合いに口角を上げた。
「リュイセンは大手を振って作戦に臨んだにも関わらず、失敗に終わった。その罰は、与えねばならない」
心地の良い美声。しかし、その内容は誰の予想をも裏切っていた。皆の吐息が、困惑に揺れる。
「如何 な処罰も覚悟の上です」
硬い顔でリュイセンが答えた。そこに鋭く「待てよ、親父」と、ルイフォンが割り込む。
「今回の失敗は『リュイセンと俺の、ふたり』が招いた結果だと、前に言っていたよな? それで、俺のことを不問に付したなら、リュイセンも同じでいいはずだろ?」
「それは違うな」
イーレオは、にやりと瞳を光らせた。
「お前は『〈猫 〉』であり、鷹刀の人間ではないから、俺には処罰できないと言ったはずだ。だが、リュイセンは鷹刀の者だ。俺は総帥として罰せねばならない」
「――!」
確かに筋 は通っている。だが、納得はできない。
なおも反論を続けようとするルイフォンに、イーレオがぴしゃりと言い放つ。
「部外者は口出ししないでもらおう」
そう言われてしまえば押し黙るしかない。ルイフォンが「分かった」と引き下がると、イーレオは涼やかに処罰を告げた。
「追放だ」
「……っ」
リュイセンが唾を呑んだ。しかし、すぐに再び深く頭を下げる。
「謹んでお受け……」
「――と、言いたいところだが、チャンスをやろう」
単細胞があっさり掛かりおったな、と言わんばかりの尊大な仕草で、イーレオはソファーに背を預けた。顎をしゃくり、心なしか楽しげに続ける。
「〈蝿 〉を討ち取ってこい。それを果たせば文句はない」
「!?」
その場に立ち尽くしたまま、リュイセンは目を見開いた。そんな彼に、イーレオはにやりと笑う。
「いいか、リュイセン。今回の失敗によって、絶好の機会をフイにした、お前の罪は大きい。だが、お前が無事に戻った以上、こちらの被害はないともいえる。だから大目に見て、このくらいが妥当だろう」
イーレオが弓なりに瞳を細めると、緊迫した空気が緩む。そして、ルイフォンは理解した。
もとより、兄貴分は〈蝿 〉との再戦を望んでいるはずだ。ならば、この『処罰』は結局のところ『不問に付す』と同義だ。イーレオは総帥の立場上、形だけは罰した――ということだ。
――面倒臭ぇ……。
ルイフォンは心底そう思ったが、『部外者』なので顔にも口にも出さずに、神妙な傍観者に徹し……ようとして、はたと気づく。
「おい、待てよ。〈蝿 〉を討ち取っちまったら、情報を聞き出せねぇだろ! ――『対等な協力者』〈猫 〉として意見させてもらう。それは困る!」
「ああ、俺もそう思ったんだが、処罰なら『捕らえろ』よりも『討ち取れ』のほうが格好いいかと……」
すっとぼけたことを言うイーレオに、ルイフォンが突っ込む。
「格好の問題じゃねぇだろ!」
「では仕方ない。リュイセン。〈蝿 〉を捕らえて情報を聞き出し、〈猫 〉を黙らせろ」
あんまりなイーレオの物言いに、ルイフォンは再度、噛み付こうとして……ぐっとこらえた。イーレオは、ルイフォンをからかっているだけだ。おそらく、場を和ませるために。
これは貸しだぞ、と眇 めた目で見やれば、イーレオは、わずかに口元を緩めた。どうやら、伝わったらしい。さすが、総帥。――というわけではなく、単に似た者同士の以心伝心だろう。
イーレオは、ぱん、と手を打ち鳴らした。
「処罰の件は、これまでだ。――現状を確認するぞ」
ひとり掛けのソファーを占拠する彼は、優雅に足を組む。今までとは打って変わった王者の眼差しで一同を睥睨すると、艷 やかな黒髪が付き従うようにさらりと流れた。
「〈猫 〉」
人を惹きつけてやまない、魅惑の声がルイフォンを呼ぶ。
「リュイセンは〈蝿 〉によって『わざと』解放されたのだという、お前の推測。皆に説明してくれ」
「!」
リュイセンが驚愕に震えた。血の気が失せ、もとから良くなかった顔色が更に白くなる。
当然だろう。兄貴分は、タオロンが助けてくれたものと信じていたはずだ。
ルイフォンは座ったまま一礼をすると、瞳を鋭く光らせる。猫のように、くるくると変わる豊かな表情が抜け落ち、硬質な〈猫 〉の顔が現れた。
「これは、今朝、リュイセンと話したあとで、俺が気づいたことだ。親父には、既に報告してあって、この推測は正しいだろうと同意を得ている」
冴え冴えとしたテノールを響かせ、ルイフォンは話し始めた。
「……――勿論、これは、あくまでも推測だ。確証はない。けれど、辻褄は合うと思う」
ルイフォンは、そう締めくくり、イーレオに視線を投げる。イーレオは大仰に頷くと、皆の顔を見ながら、あとを引き継いだ。
「〈猫 〉の推測に、ほころびを見つけた者はいるか?」
手を挙げる者は、誰もなかった。
それを確認すると、イーレオは「――では、リュイセン」と、地底を揺るがすような低音を轟かせる。
「お前は〈蝿 〉に、何を吹き込まれた?」
感情の読めない、凍てつく響きに、リュイセンの肩が、ぴくりと上がった。
「帰ってきたときから、お前は明らかにおかしかった」
「……」
「それは分かっていたが、生死をさまようような大怪我を経て、一週間ぶりに戻ってきたのだ。いきなり問い詰めるのは、あまりにも恩情に薄かろう。だから、待ってやった」
だが、そろそろ、お前のほうから話すべきだろう? ――有無を言わせぬイーレオの瞳が、冷たくリュイセンを捕らえる。
「……っ」
「リュイセン、なんで隠すんだよ?」
ルイフォンには、兄貴分が口を閉ざす理由が分からない。
「お前が〈蝿 〉から、『良くない知らせ』を聞いたことは分かっている。……それは、メイシアに関することなんだろ?」
リュイセンの眉が動いた。
「隠しても無駄だぜ? 顔に出ている」
刀を手にすれば、気配は勿論、感情だって無にできる兄貴分だが、普段の生活では隙だらけだ。だからルイフォンは、高圧的に打って出る。多少のブラフを含みつつ、余裕の顔でリュイセンに迫る。
「〈蝿 〉がお前に教えたのは、俺に向かって、奴が散々、口にしていた『メイシアの正体』――だろ?」
「――!」
「当たりだな」
吐き出した声には溜め息が混じっていた。
ルイフォンは隣に座るメイシアの肩を引き寄せ、黒絹の髪をくしゃりと撫でた。会議に赴く前に、あらかじめ彼女には『良くない知らせ』のことも含めて推測を話しておいた。だが、ショックであることに変わりないだろう。
「リュイセンは、俺やメイシアを気遣ったんだろうけどさ……」
必要以上に強硬な姿勢は逆効果と、ルイフォンは少し言葉を和らげる。彼にしても、別に兄貴分を責め立てたいわけではないのだ。
「さっきも説明した通り、リュイセンが解放されたこと自体が〈蝿 〉の策略で、『メイシアの正体』ってやつも、俺たちを混乱させるための虚偽 である可能性が高い」
「……」
「だから俺は、奴の言葉を信じるために、奴の言う『メイシアの正体』を知りたいわけじゃない。奴が、その虚偽 を口にした、その裏にある意図を読み解いて、奴の目的を探りたいんだ」
好戦的な猫の目が、リュイセンに向けられる。けれど、その視線で睨みつけているのは兄貴分ではなくて、兄貴分を使って何かを企んでいる〈蝿 〉だ。
リュイセンは……耐えきれなくなったかのようにルイフォンから目をそらし、ぎりりと奥歯を噛んだ。そして、拳を握りしめ、ゆっくりと口を開く。
「メイシアは、『セレイエの〈影〉』だそうだ……」
「……はぁっ!?」
ルイフォンは間抜けな声を上げた。
次に来るのは衝撃か、はたまた驚愕か。――虚偽 に違いないと思ってはいても、それなりに信憑性の高そうな話が来るはずだと予想していた。それが……。
「なんだよ、それ? あり得ねぇだろ!」
馬鹿馬鹿しすぎて、開いた口がふさがらない。リュイセンも、どうしてこんな大嘘を信じたのやら、理解に苦しむ。
しかし兄貴分は、噛み付くように言い返してきた。
「俺だって、〈蝿 〉にそう言った! そしたら、『今はメイシア本人だけど、いずれメイシアでなくなる』と……」
「え……?」
不意打ちのような、言葉。
どういう意味だと、リュイセンに詰め寄ろうとして、ルイフォンは気づく。
「なるほど。そんな、もっともらしい言い方をされたから、リュイセンは信じたわけか」
「違う!」
リュイセンは、強く否定する。黄金比の美貌を歪め、しかし、はっきりと告げる。
「〈蝿 〉に〈悪魔〉の『契約』が発動した。『王族 の血を濃く引いた、あの娘なら』――そう言いかけたところで苦しみ始めた」
「王族 の血……?」
「ああ。メイシアは『最強の〈天使〉の器』だから切り札になる。そんなことも言っていた」
「なっ……! なんだよ、それ!?」
耳鳴りがした。胸が騒ぐ。理由も分からずに、全身が総毛立つ。
そして無意識にメイシアを抱き寄せた。白蝋のような顔をした彼女は、されるがままに彼の胸に収まる。
王族 の血を引く、貴族 の娘メイシアと、凶賊 の息子のルイフォン。
天と地とが手を繋ぎ合うような奇跡の出逢いは、『デヴァイン・シンフォニア計画 』によって仕組まれたものだ――。
「メイシアが王族 の血を引いているから……? だから、メイシアは『デヴァイン・シンフォニア計画 』に巻き込まれたっていうのか!? 王族 が何か特別だというのかよ!?」
――メイシアを奪われてなるものか!
ルイフォンの本能がそう思い、彼女を強く抱きしめる。彼女もまた、彼の腕の中で必死に彼にしがみつく。
そのとき――。
「ルイフォン!」
鋭い低音が、咎めるように彼の耳を打った。
その声を、誰が発したのか。同じ声質を持つ者が多数いる中で、ルイフォンは、にわかには判別がつかない。
反射的に顔を上げ、目に映ったのが――。
「父上! 考えてはいけません!」
胸を押さえ、体をくの字に折り曲げたイーレオ。そして、駆け寄るエルファン。
エルファンがこちらを振り返り、普段の彼からは想像できないほどに慌てた様子で叫ぶ。
「ルイフォン! お前の言葉は王族 の『秘密』を訊いたのと同じことだ!」
「エルファン……」
厳しい、けれども、もっともな叱責だった。
〈蝿 〉にとって『契約』に抵触する話ならば、当然、〈悪魔〉の〈獅子 〉であったイーレオにも『契約』は発動する。
殺気すら含んだ険しい声で、エルファンが告げる。
「〈天使〉についてならば、私が知っている。王族 の血を引く者が〈天使〉になれば、強い力を持つのは本当だ」
「え……?」
「お前の母、キリファがそう言っていた。――もう、いいだろう。これ以上、この件に触れるのは危険だ」
――結局。
『考えなければ大丈夫だ』と、脂汗を流しながら笑うイーレオを無視して、エルファンが強引に会議の終了を宣言したのだった。
ベッドから体を起こすと、テーブルにサンドイッチが載っているのが見えた。
寝ている彼のために、メイシアが用意してくれたものらしい。流麗な文字のメモが添えられており、声を掛けても起きなかった彼に対して、疲れているのではないかと気遣う言葉と、午後から会議があるので、そのときにまた来るという連絡が書かれていた。
ルイフォンは、サンドイッチをつまみながら時計を見る。会議の時間まで、余裕があるとはいい難いが、慌てるほどではないだろう。
「結構、寝たな」
メイシアは疲労を心配してくれたようだが、おそらくただの寝不足だ。
本当なら、今日はメイシアと共に、〈
「さて……」
状況は一変した。
偽りの『和解』で〈
『和解』などという、あり得ないような申し出は、リュイセンが囚われている状態であって初めて、真実味が出る。なんとしてでも、リュイセンを解放してほしいという、こちらの切実な思いがあればこそ、〈
事情が変わった今、成功率は格段に落ちる。となれば、メイシアを危険に晒すこの策を実行に移すわけにはいかない。
では、どうするか。
ルイフォンは、保温ポットに入っていた紅茶を飲みながら思案する。猫舌の彼のために、ほどよく中身が冷まされていることには、残念ながら気づかないのであった。
会議の時間となり、執務室にいつもの顔ぶれがそろった。その中にリュイセンの黄金比の美貌があるのを見て、ルイフォンは心が落ち着くのを感じる。兄貴分のいない一週間は、やはり
「皆、集まったな」
イーレオの魅惑の低音が響いた。
「言うまでもないだろうが、この通り、リュイセンが戻ってきた」
水を向けられたリュイセンは、恐縮したように立ち上がり、「ご心配おかけしました」と深く頭を下げた。けれど、堅苦しいのは彼だけで、皆は思い思いの安堵の表情を浮かべる。
――否。
イーレオだけが、微妙な具合いに口角を上げた。
「リュイセンは大手を振って作戦に臨んだにも関わらず、失敗に終わった。その罰は、与えねばならない」
心地の良い美声。しかし、その内容は誰の予想をも裏切っていた。皆の吐息が、困惑に揺れる。
「
硬い顔でリュイセンが答えた。そこに鋭く「待てよ、親父」と、ルイフォンが割り込む。
「今回の失敗は『リュイセンと俺の、ふたり』が招いた結果だと、前に言っていたよな? それで、俺のことを不問に付したなら、リュイセンも同じでいいはずだろ?」
「それは違うな」
イーレオは、にやりと瞳を光らせた。
「お前は『〈
「――!」
確かに
なおも反論を続けようとするルイフォンに、イーレオがぴしゃりと言い放つ。
「部外者は口出ししないでもらおう」
そう言われてしまえば押し黙るしかない。ルイフォンが「分かった」と引き下がると、イーレオは涼やかに処罰を告げた。
「追放だ」
「……っ」
リュイセンが唾を呑んだ。しかし、すぐに再び深く頭を下げる。
「謹んでお受け……」
「――と、言いたいところだが、チャンスをやろう」
単細胞があっさり掛かりおったな、と言わんばかりの尊大な仕草で、イーレオはソファーに背を預けた。顎をしゃくり、心なしか楽しげに続ける。
「〈
「!?」
その場に立ち尽くしたまま、リュイセンは目を見開いた。そんな彼に、イーレオはにやりと笑う。
「いいか、リュイセン。今回の失敗によって、絶好の機会をフイにした、お前の罪は大きい。だが、お前が無事に戻った以上、こちらの被害はないともいえる。だから大目に見て、このくらいが妥当だろう」
イーレオが弓なりに瞳を細めると、緊迫した空気が緩む。そして、ルイフォンは理解した。
もとより、兄貴分は〈
――面倒臭ぇ……。
ルイフォンは心底そう思ったが、『部外者』なので顔にも口にも出さずに、神妙な傍観者に徹し……ようとして、はたと気づく。
「おい、待てよ。〈
「ああ、俺もそう思ったんだが、処罰なら『捕らえろ』よりも『討ち取れ』のほうが格好いいかと……」
すっとぼけたことを言うイーレオに、ルイフォンが突っ込む。
「格好の問題じゃねぇだろ!」
「では仕方ない。リュイセン。〈
あんまりなイーレオの物言いに、ルイフォンは再度、噛み付こうとして……ぐっとこらえた。イーレオは、ルイフォンをからかっているだけだ。おそらく、場を和ませるために。
これは貸しだぞ、と
イーレオは、ぱん、と手を打ち鳴らした。
「処罰の件は、これまでだ。――現状を確認するぞ」
ひとり掛けのソファーを占拠する彼は、優雅に足を組む。今までとは打って変わった王者の眼差しで一同を睥睨すると、
「〈
人を惹きつけてやまない、魅惑の声がルイフォンを呼ぶ。
「リュイセンは〈
「!」
リュイセンが驚愕に震えた。血の気が失せ、もとから良くなかった顔色が更に白くなる。
当然だろう。兄貴分は、タオロンが助けてくれたものと信じていたはずだ。
ルイフォンは座ったまま一礼をすると、瞳を鋭く光らせる。猫のように、くるくると変わる豊かな表情が抜け落ち、硬質な〈
「これは、今朝、リュイセンと話したあとで、俺が気づいたことだ。親父には、既に報告してあって、この推測は正しいだろうと同意を得ている」
冴え冴えとしたテノールを響かせ、ルイフォンは話し始めた。
「……――勿論、これは、あくまでも推測だ。確証はない。けれど、辻褄は合うと思う」
ルイフォンは、そう締めくくり、イーレオに視線を投げる。イーレオは大仰に頷くと、皆の顔を見ながら、あとを引き継いだ。
「〈
手を挙げる者は、誰もなかった。
それを確認すると、イーレオは「――では、リュイセン」と、地底を揺るがすような低音を轟かせる。
「お前は〈
感情の読めない、凍てつく響きに、リュイセンの肩が、ぴくりと上がった。
「帰ってきたときから、お前は明らかにおかしかった」
「……」
「それは分かっていたが、生死をさまようような大怪我を経て、一週間ぶりに戻ってきたのだ。いきなり問い詰めるのは、あまりにも恩情に薄かろう。だから、待ってやった」
だが、そろそろ、お前のほうから話すべきだろう? ――有無を言わせぬイーレオの瞳が、冷たくリュイセンを捕らえる。
「……っ」
「リュイセン、なんで隠すんだよ?」
ルイフォンには、兄貴分が口を閉ざす理由が分からない。
「お前が〈
リュイセンの眉が動いた。
「隠しても無駄だぜ? 顔に出ている」
刀を手にすれば、気配は勿論、感情だって無にできる兄貴分だが、普段の生活では隙だらけだ。だからルイフォンは、高圧的に打って出る。多少のブラフを含みつつ、余裕の顔でリュイセンに迫る。
「〈
「――!」
「当たりだな」
吐き出した声には溜め息が混じっていた。
ルイフォンは隣に座るメイシアの肩を引き寄せ、黒絹の髪をくしゃりと撫でた。会議に赴く前に、あらかじめ彼女には『良くない知らせ』のことも含めて推測を話しておいた。だが、ショックであることに変わりないだろう。
「リュイセンは、俺やメイシアを気遣ったんだろうけどさ……」
必要以上に強硬な姿勢は逆効果と、ルイフォンは少し言葉を和らげる。彼にしても、別に兄貴分を責め立てたいわけではないのだ。
「さっきも説明した通り、リュイセンが解放されたこと自体が〈
「……」
「だから俺は、奴の言葉を信じるために、奴の言う『メイシアの正体』を知りたいわけじゃない。奴が、その
好戦的な猫の目が、リュイセンに向けられる。けれど、その視線で睨みつけているのは兄貴分ではなくて、兄貴分を使って何かを企んでいる〈
リュイセンは……耐えきれなくなったかのようにルイフォンから目をそらし、ぎりりと奥歯を噛んだ。そして、拳を握りしめ、ゆっくりと口を開く。
「メイシアは、『セレイエの〈影〉』だそうだ……」
「……はぁっ!?」
ルイフォンは間抜けな声を上げた。
次に来るのは衝撃か、はたまた驚愕か。――
「なんだよ、それ? あり得ねぇだろ!」
馬鹿馬鹿しすぎて、開いた口がふさがらない。リュイセンも、どうしてこんな大嘘を信じたのやら、理解に苦しむ。
しかし兄貴分は、噛み付くように言い返してきた。
「俺だって、〈
「え……?」
不意打ちのような、言葉。
どういう意味だと、リュイセンに詰め寄ろうとして、ルイフォンは気づく。
「なるほど。そんな、もっともらしい言い方をされたから、リュイセンは信じたわけか」
「違う!」
リュイセンは、強く否定する。黄金比の美貌を歪め、しかし、はっきりと告げる。
「〈
「
「ああ。メイシアは『最強の〈天使〉の器』だから切り札になる。そんなことも言っていた」
「なっ……! なんだよ、それ!?」
耳鳴りがした。胸が騒ぐ。理由も分からずに、全身が総毛立つ。
そして無意識にメイシアを抱き寄せた。白蝋のような顔をした彼女は、されるがままに彼の胸に収まる。
天と地とが手を繋ぎ合うような奇跡の出逢いは、『デヴァイン・シンフォニア
「メイシアが
――メイシアを奪われてなるものか!
ルイフォンの本能がそう思い、彼女を強く抱きしめる。彼女もまた、彼の腕の中で必死に彼にしがみつく。
そのとき――。
「ルイフォン!」
鋭い低音が、咎めるように彼の耳を打った。
その声を、誰が発したのか。同じ声質を持つ者が多数いる中で、ルイフォンは、にわかには判別がつかない。
反射的に顔を上げ、目に映ったのが――。
「父上! 考えてはいけません!」
胸を押さえ、体をくの字に折り曲げたイーレオ。そして、駆け寄るエルファン。
エルファンがこちらを振り返り、普段の彼からは想像できないほどに慌てた様子で叫ぶ。
「ルイフォン! お前の言葉は
「エルファン……」
厳しい、けれども、もっともな叱責だった。
〈
殺気すら含んだ険しい声で、エルファンが告げる。
「〈天使〉についてならば、私が知っている。
「え……?」
「お前の母、キリファがそう言っていた。――もう、いいだろう。これ以上、この件に触れるのは危険だ」
――結局。
『考えなければ大丈夫だ』と、脂汗を流しながら笑うイーレオを無視して、エルファンが強引に会議の終了を宣言したのだった。