2.目覚めのない朝の操り人形-3
文字数 5,975文字
盲目であるべき王の瞳に、光を与える――この難題は、〈蝿 〉にとって非常に興味深いものであった。
神話に記された力を持たない、まがい物の王。
王という存在を揺るがす、禁忌の研究。
そういった、背徳的なものに心が踊ったわけではない。純粋な、知的好奇心である。
〈蝿 〉は別に、神や王を崇拝しているわけではない。
だから、〈蛇 〉から預かった『新たなる王』の基盤となる遺伝子も、彼にしてみれば、ただの素材にすぎなかった。
その『素材』の秘密に……やがて彼は、気づいた。
故に、〈蝿 〉は悟る。
『デヴァイン・シンフォニア計画 』は、女王の依頼などではない。
〈蛇 〉自身が、新たなる『特別な王』を望んでいるのだ――と。
『私が……あなたに教えた『最期』は、……嘘よ』
『私の復讐が、お門違い!?』
――――――。
『――つまり、あなたは私を騙していた、と。あなたは自分の利益のためだけに、私を蘇らせた。私の技術を利用したいがために……!』
『そうね。……そうなるわね』
『ならば贖罪の意味で、私に詳しく話すべきだと思いませんか? 『デヴァイン・シンフォニア計画 』のことを。――私が作らされている『もの』のことを……!』
薄暗い地下の部屋を、弱々しい光がほのかに照らしていた。
明かりの源は、かつては数多 の白金の糸を紡ぎ合わせ、まばゆい翼を形作っていた〈蛇 〉の羽である。死を目前にした〈天使〉の羽は輝きを失い、代わりに高熱を発していた。
ベッドに横たわった〈蛇 〉が、熱い息を吐く。
しかし構わずに、〈蝿 〉は彼女に詰め寄った。
「私が作っている『もの』は、あなたにとって、特別な意味を持っているはずです」
〈蝿 〉は、できるだけの情報を欲していた。
この女――〈影〉である『ホンシュア』の命が尽きる前に、『デヴァイン・シンフォニア計画 』の真の目的を掴み、また本体の〈蛇 〉の居場所を聞き出さねばならなかった。
さもなくば、何も知らない彼は、ただの『駒』として扱われ、いずれ殺されるだけだ。
「あなたが……作っている『もの』は、初めに説明した通りの『もの』よ……。嘘は……言っていないわ」
高熱に喘ぎながら、〈蛇 〉は答える。
「あの赤子が……女王陛下の、御子として……王になる……」
「いつまで、しらばっくれるおつもりですか!」
「なんの……こと……?」
儚げに首をかしげる〈蛇 〉は、まるで無垢な幼子のようで、虫も殺さぬ顔の厚かましさに〈蝿 〉は眦 を吊り上げる。
「『新たなる王』の基盤として、あなたから渡された遺伝子――。あれは、『過去の王』のものではありませんね?」
鋭く切り込まれた言葉に、〈蛇 〉は息を呑んだ。だが、すぐに、ふふっと嗤う。
「……天才医師、だもの、ね……。いずれ、あなたには感づかれると……分かっていたわ」
「この私の目を誤魔化せるわけがないでしょう」
〈蝿 〉は吐き捨て、大きく溜め息をついた。
「確証を得るために、神殿でいろいろ調べてきましたよ」
「っ……、神殿……そう、ね」
動かすのも億劫であろう〈蛇 〉の体が、わずかに揺れた。
「まず、あなたの素性を示す記録は、残っていませんでした」
「……消しておいた、もの……」
自慢げに、すっと上がった唇は、しかし熱のためにか乾ききり、ひび割れていて、彼女の笑いは引きつったものになった。
「それから、大切に保管されていたはずの過去の王たちの遺伝子が、すべて廃棄されていましたよ」
〈蛇 〉は、表情を変えることもなく、ただ黙って聞いている。
「あなたが――『〈蛇 〉』が、廃棄したんですね」
〈蝿 〉は一度、口を閉じ、相手を見つめた。そしてまた、ゆっくりと続ける。
「それは……私の手元にある遺伝子を、〈神の御子〉を作り出せる、唯一の手段にするためだった。――違いますか?」
言い渡された言葉を、〈蛇 〉は軽く瞳を閉じることで肯定した。
〈蝿 〉は、自分の全身から、大量の汗が吹き出したのを感じた。
それは決して、この部屋の熱気のせいではない。真実へと近づいた緊張と興奮とが、ないまぜになった結果だった。
「あなたから渡された遺伝子は、王の特性を示しながらも、幾つもの異端な因子を含んでいましたよ。――あなたはそれを、どう説明します?」
問いかけは質問ではなく、弾劾だった。それに対し、〈蛇 〉は薄笑いを浮かべながら答える。
「そこまで……分かって、いる、なら、……あの遺伝子が――『彼』が何者、か……、気づいたって、こと……でしょう?」
〈蝿 〉の心臓が高鳴った。けれど、彼は平静を装い、低い声で告げる。
「ええ。そのことから導き出される、あなた――『〈蛇 〉』の正体も、ね……」
「……」
〈蛇 〉は、とても穏やかな顔をしていた。まるで、罪が暴かれるのをじっと待っているかのように――。
〈蝿 〉の声が、朗々と響き渡る。
「鷹刀エルファンと、〈猫 〉の間に生まれた娘――鷹刀セレイエ。……それが、あなたの名前ですね」
真っ赤に充血した〈蛇 〉の目が、すっと弓形をかたどった。すべてを受け入れたような、諦観の微笑みだった。
「さすが……ね。……鷹刀、ヘイシャオ……。叔父さん、とお呼びしたほうが……いいのかしら?」
「あなたはエルファンの娘ですが、ユイラン姉さんの子ではありませんから、叔父ではありませんね。……それに、私は一族を捨てた人間です。今更、血族を主張する気はありませんよ」
「……それも、そうね。……私も、同じ……。一族じゃない、わ」
〈蛇 〉は淋しげに声を落とす。
「エルファンの娘が、何故〈七つの大罪〉に?」
純粋な疑問だった。イーレオ率いる現在の鷹刀一族は、〈七つの大罪〉を否定していたはずだからだ。
「……ああ、……知らない、のね。……私は、生まれついての、〈天使〉……。自分を知るため……〈七つの大罪〉に入った……。〈影〉にした、この『ホンシュア』の体……〈天使〉化した、のも……私にとって、それが自然、だから……よ」
「生粋の〈天使〉!?」
驚きと共に、研究者としての心が騒ぐ。それを察したかのように、〈蛇 〉の目つきが険しくなった。
「世界で唯一、……私だけ、よ。異父弟、ルイフォンは……普通の子……」
「異父弟に手を出すな、ということですか?」
「そう……。ルイフォン……だけ、じゃない。鷹刀に、手を出さない……で!」
〈蛇 〉が、きっと睨みつけた。
彼女の感情に呼応したかのように、ゆらりと陽炎が揺らめき、高温の風が吹きつける。
背中の羽は、もはや羽とは呼べない、途切れ途切れの光の糸にすぎなかったが、一族を守ろうとする見えない意志の翼が大きく広がっていた。
その様 を見て、不意に〈蝿 〉は気づいた。
「なるほど、そういうことでしたか。……納得しましたよ」
ふむふむと頷く〈蝿 〉に、〈蛇 〉が顔を歪める。
「何に……納得……したの?」
「死の間際になって、いきなり『鷹刀イーレオへの復讐は、お門違い』なんて、あなたが言い出した理由ですよ。秘密主義の死にぞこないなら、黙って死を待てばよいものを――。不思議だったんですよ」
「ああ……、そのこと、ね……」
「あなたが嘘をついたまま死ねば、私はいつまでも、鷹刀イーレオを仇と思って狙い続ける。それを止めるために、あなたは真実を告げた。――そういうことですね?」
「そう、よ……。あなたが、頭の良い人、で……よかった、わ……」
〈蛇 〉は満足げに頷いた。
対して、〈蝿 〉は不快げに鼻を鳴らす。
「まんまと騙されましたよ。たいした策士です。ありもしない復讐をでっち上げ、それを取り引き材料に、私を踊らせるとは! さぞかし、愉快だったでしょう!」
〈蝿 〉が吐き捨てた瞬間、苦しげにうめいていた〈蛇 〉が、かっと目を見開いて叫んだ。
「そんなことないわ!」
叫んでから、〈蛇 〉は、ごほごほと咳き込む。
「〈天使〉を……あんなふうに使うとは、聞いてなかったわ! 鷹刀イーレオ……捕まえたあと、記憶に介入して、復讐に使うって……言っていた……のに!」
「途中で気が変わっただけです。〈天使〉は、『協力の証として』いただいたものです。用途についての約束はしませんでしたよ」
声を荒らげ、怒り、苦しむ〈蛇 〉の姿に、〈蝿 〉は少しだけ溜飲を下げる。
手を組むと決めたとはいえ、〈蝿 〉は〈蛇 〉を信用したわけではなかった。対抗手段を備えておくべきと考えた。
そこで、適当な理由をつけて、自由に使える〈天使〉を要求したのである。『与えられた〈天使〉』の数の中に、〈蛇 〉――正確には〈影〉である『ホンシュア』が含まれていたのは、熱暴走で死ぬことになる〈天使〉の数を減らしたかったためらしいのだが、なんとも滑稽な話であった。
――〈蛇 〉の作戦では、〈蝿 〉に役割はなかった。待っていれば、鷹刀イーレオの身柄を引き渡す、と言われていた。
しかし、猜疑心の強い〈蝿 〉が、他人に任せきりにするはずがなかった。斑目一族の食客となって内部に入り込み、適当な人間を〈影〉に――手駒にした。彼としては至極、当然のことをしたまでである。
「私の、作戦に……〈天使〉は必要なかった、わ……!」
「あなたの作戦、ね。――そうですね。あれは、『あなたのため』の作戦でした。『私に、鷹刀イーレオの身柄を引き渡すため』の作戦ではありませんでしたね」
「何を……言いたいの?」
「鷹刀イーレオの身柄を確保するだけなら、〈天使〉のあなたが、鷹刀の屋敷の人間をひとり操って、鷹刀イーレオを呼び出すだけで充分だったんですよ」
〈蛇 〉は、はっと息を呑み、それから作ったような苦笑をする。
「それも、そう……ね。策を、練りすぎた……わ」
「違うでしょう? あなたは初めから、鷹刀イーレオを捕らえる気などなかったのです。何故なら、『お門違い』だと知っていたのですから」
「……」
反論の言葉を思いつけなかったのか、〈蛇 〉は何も返さなかった。〈蝿 〉は、満足げに低い声で嗤う。
「あなたは、死出の旅に出る前にと、必死な顔で『鷹刀は無関係』と告げました。私が鷹刀に危害を加えるのを止めるためです。つまり、あなたは鷹刀を大切にしている。――でも……、矛盾していると思いませんか?」
そう言って、〈蝿 〉は〈蛇 〉の反応を探るように、彼女の顔を覗き込む。
「……何、かし……ら?」
「あなたの大切な鷹刀が、警察隊や斑目に襲われ、危険に晒されるような作戦を――どうして立てたのですか?」
「!」
「私を騙すためだけなら、『嘘の復讐相手』は、誰でもよかったはずです。けれど、あなたは鷹刀イーレオを選びました。――それは、何故か……?」
熱で上気していた〈蛇 〉の顔から、色が抜けていく。大きく見開いた瞳には、〈蝿 〉だけを映す。
「『鷹刀を巻き込む必要があったから』――です」
凍れる声が、高熱を裂いた。
冷気と熱気が均衡し、何かが弾けたような声が響いた。
「……ふふ……、どうかしら……ね?」
〈蛇 〉が笑っていた。
そして、ひと筋の涙をこぼす。
「何を泣いているんですか?」
「……私の『罪』、に。でも……後悔は……しない、わ……」
〈蛇 〉が、柔らかに微笑んだ。
この場にそぐわないような、優しく清らかな顔。〈蝿 〉は戸惑い、焦る。
直感がした。
もう、最期なのだ、と。
「聞きたいことがある!」
〈蝿 〉は叫んだ。
「……」
「あの作戦の結末から考えると、お前の目的はひとつ――!」
「……」
「『藤咲メイシアを、鷹刀の屋敷に送り込むこと』だ!」
「……」
反応のない〈蛇 〉に、〈蝿 〉のこめかみの血管が浮き立った。ぎりぎりと歯をきしませ、拳を握りしめる。
そして、ずっと抱 いてきた疑問を叩きつけた。
「藤咲メイシアに、何がある? あの娘に、何が隠されている!? お前は、あの娘に直接、会った! あのとき、何をしたんだ!」
仕立て屋に化けて、藤咲メイシアに接触を図った。あの日から、〈蛇 〉の体調は急変した。高熱が続き、横になっていることが多くなった。
――〈蛇 〉は、うつろな目のまま、じっと動かなかった。
〈蝿 〉は舌打ちをした。
もはや、これまでか。
そう、諦めかけたときだった。〈蛇 〉の口元が、わずかに震えた。
慌てて耳を近づければ、熱い吐息と共に、細い声が入ってくる。
「……それを知って、どう、するの? 『あなた』は、……幸せに、なれる、の? ……ヘイシャオ……叔父さんの、……『〈影〉』」
「!? お前っ!」
思わず拳を振り上げた彼に、〈蛇 〉は淋しげに微笑んだ。
「……私を殴るの? 無駄なことを……。放っておいても……、私はじきに死ぬわ」
その言葉の正しさを証明するかのように、〈蛇 〉の体がびくりと痙攣し、苦しげな呼吸を繰り返す。
「オリジナルの、ヘイシャオ叔父さん……。幸せ、そうな……死に顔だった……って」
「そんなこと、どうでもいい!」
「……けど、『あなた』は、これから……どうする……?」
「……っ!」
「決して……、目覚めることのない朝を、求めて……。かわい、そう……」
〈蛇 〉の双眸から、涙がこぼれ落ちた。
だがそれも、あっという間に蒸発し、わずかなあとだけが肌に残る。
「〈蛇 〉……」
そのとき、〈蛇 〉の背中から凄まじい熱量を持った光が溢れ、白い肌を裂いた。
「――――!」
悲鳴にならない悲鳴が、ほとばしった。
〈天使〉の最期だ。
与えられた〈天使〉をことごとく失ってきた彼は、今までにそれを何度も見てきた。
せっかくの便利な道具が壊れると、悪態をつきながら見てきた。
――なのに今は……。
…………。
……。
「……『あなた』……私のこと、嫌いだった……はず、……なのに、なんで……そんな、顔……?」
彼女が顔を上げた。頬に張り付いていた黒髪が、はらりと落ちる。
「やっぱり、『あなた』……、お父さん、そっくり……。やりにくい……。憎めない、もの……」
苦しげな息遣いの中で、彼女が笑った。
背中は熱に灼 かれ、激痛が走っているはずなのに……。
「……叔父さん……、メイシア……あの子は……」
「え?」
何かを言おうとしている彼女の口元に、彼は耳を寄せた。耳朶が灼 けるように熱い。
「…………………………」
「!」
目を見開いた彼に、彼女は頷いた。そして、か細い声を漏らす。
「『〈蝿 〉』に言うべき、情報……じゃ、ない。……けど、『あなた』が、これ、で……少し、でも……」
熱風が部屋を駆け抜け、殺風景な部屋にぽつんと置かれていたテーブルを倒した。
だが、その音は、彼の耳には聞こえない。
彼に響くのは、ただ〈天使〉の祈りのみ――。
「私……あなた……大嫌い……だった。けど、同じ……なの。私も……、あなたも、『罪』だと……分かっていても……。だから……」
di;vine+sin……。――『命の冒涜』……。
「『あなた』を……作り出して……ごめんなさい……」
彼の耳元で、優しい声が響く。
「……『あなた』の、最期が、……安らかであることを……願う、わ」
神話に記された力を持たない、まがい物の王。
王という存在を揺るがす、禁忌の研究。
そういった、背徳的なものに心が踊ったわけではない。純粋な、知的好奇心である。
〈
だから、〈
その『素材』の秘密に……やがて彼は、気づいた。
故に、〈
『デヴァイン・シンフォニア
〈
『私が……あなたに教えた『最期』は、……嘘よ』
『私の復讐が、お門違い!?』
――――――。
『――つまり、あなたは私を騙していた、と。あなたは自分の利益のためだけに、私を蘇らせた。私の技術を利用したいがために……!』
『そうね。……そうなるわね』
『ならば贖罪の意味で、私に詳しく話すべきだと思いませんか? 『デヴァイン・シンフォニア
薄暗い地下の部屋を、弱々しい光がほのかに照らしていた。
明かりの源は、かつては
ベッドに横たわった〈
しかし構わずに、〈
「私が作っている『もの』は、あなたにとって、特別な意味を持っているはずです」
〈
この女――〈影〉である『ホンシュア』の命が尽きる前に、『デヴァイン・シンフォニア
さもなくば、何も知らない彼は、ただの『駒』として扱われ、いずれ殺されるだけだ。
「あなたが……作っている『もの』は、初めに説明した通りの『もの』よ……。嘘は……言っていないわ」
高熱に喘ぎながら、〈
「あの赤子が……女王陛下の、御子として……王になる……」
「いつまで、しらばっくれるおつもりですか!」
「なんの……こと……?」
儚げに首をかしげる〈
「『新たなる王』の基盤として、あなたから渡された遺伝子――。あれは、『過去の王』のものではありませんね?」
鋭く切り込まれた言葉に、〈
「……天才医師、だもの、ね……。いずれ、あなたには感づかれると……分かっていたわ」
「この私の目を誤魔化せるわけがないでしょう」
〈
「確証を得るために、神殿でいろいろ調べてきましたよ」
「っ……、神殿……そう、ね」
動かすのも億劫であろう〈
「まず、あなたの素性を示す記録は、残っていませんでした」
「……消しておいた、もの……」
自慢げに、すっと上がった唇は、しかし熱のためにか乾ききり、ひび割れていて、彼女の笑いは引きつったものになった。
「それから、大切に保管されていたはずの過去の王たちの遺伝子が、すべて廃棄されていましたよ」
〈
「あなたが――『〈
〈
「それは……私の手元にある遺伝子を、〈神の御子〉を作り出せる、唯一の手段にするためだった。――違いますか?」
言い渡された言葉を、〈
〈
それは決して、この部屋の熱気のせいではない。真実へと近づいた緊張と興奮とが、ないまぜになった結果だった。
「あなたから渡された遺伝子は、王の特性を示しながらも、幾つもの異端な因子を含んでいましたよ。――あなたはそれを、どう説明します?」
問いかけは質問ではなく、弾劾だった。それに対し、〈
「そこまで……分かって、いる、なら、……あの遺伝子が――『彼』が何者、か……、気づいたって、こと……でしょう?」
〈
「ええ。そのことから導き出される、あなた――『〈
「……」
〈
〈
「鷹刀エルファンと、〈
真っ赤に充血した〈
「さすが……ね。……鷹刀、ヘイシャオ……。叔父さん、とお呼びしたほうが……いいのかしら?」
「あなたはエルファンの娘ですが、ユイラン姉さんの子ではありませんから、叔父ではありませんね。……それに、私は一族を捨てた人間です。今更、血族を主張する気はありませんよ」
「……それも、そうね。……私も、同じ……。一族じゃない、わ」
〈
「エルファンの娘が、何故〈七つの大罪〉に?」
純粋な疑問だった。イーレオ率いる現在の鷹刀一族は、〈七つの大罪〉を否定していたはずだからだ。
「……ああ、……知らない、のね。……私は、生まれついての、〈天使〉……。自分を知るため……〈七つの大罪〉に入った……。〈影〉にした、この『ホンシュア』の体……〈天使〉化した、のも……私にとって、それが自然、だから……よ」
「生粋の〈天使〉!?」
驚きと共に、研究者としての心が騒ぐ。それを察したかのように、〈
「世界で唯一、……私だけ、よ。異父弟、ルイフォンは……普通の子……」
「異父弟に手を出すな、ということですか?」
「そう……。ルイフォン……だけ、じゃない。鷹刀に、手を出さない……で!」
〈
彼女の感情に呼応したかのように、ゆらりと陽炎が揺らめき、高温の風が吹きつける。
背中の羽は、もはや羽とは呼べない、途切れ途切れの光の糸にすぎなかったが、一族を守ろうとする見えない意志の翼が大きく広がっていた。
その
「なるほど、そういうことでしたか。……納得しましたよ」
ふむふむと頷く〈
「何に……納得……したの?」
「死の間際になって、いきなり『鷹刀イーレオへの復讐は、お門違い』なんて、あなたが言い出した理由ですよ。秘密主義の死にぞこないなら、黙って死を待てばよいものを――。不思議だったんですよ」
「ああ……、そのこと、ね……」
「あなたが嘘をついたまま死ねば、私はいつまでも、鷹刀イーレオを仇と思って狙い続ける。それを止めるために、あなたは真実を告げた。――そういうことですね?」
「そう、よ……。あなたが、頭の良い人、で……よかった、わ……」
〈
対して、〈
「まんまと騙されましたよ。たいした策士です。ありもしない復讐をでっち上げ、それを取り引き材料に、私を踊らせるとは! さぞかし、愉快だったでしょう!」
〈
「そんなことないわ!」
叫んでから、〈
「〈天使〉を……あんなふうに使うとは、聞いてなかったわ! 鷹刀イーレオ……捕まえたあと、記憶に介入して、復讐に使うって……言っていた……のに!」
「途中で気が変わっただけです。〈天使〉は、『協力の証として』いただいたものです。用途についての約束はしませんでしたよ」
声を荒らげ、怒り、苦しむ〈
手を組むと決めたとはいえ、〈
そこで、適当な理由をつけて、自由に使える〈天使〉を要求したのである。『与えられた〈天使〉』の数の中に、〈
――〈
しかし、猜疑心の強い〈
「私の、作戦に……〈天使〉は必要なかった、わ……!」
「あなたの作戦、ね。――そうですね。あれは、『あなたのため』の作戦でした。『私に、鷹刀イーレオの身柄を引き渡すため』の作戦ではありませんでしたね」
「何を……言いたいの?」
「鷹刀イーレオの身柄を確保するだけなら、〈天使〉のあなたが、鷹刀の屋敷の人間をひとり操って、鷹刀イーレオを呼び出すだけで充分だったんですよ」
〈
「それも、そう……ね。策を、練りすぎた……わ」
「違うでしょう? あなたは初めから、鷹刀イーレオを捕らえる気などなかったのです。何故なら、『お門違い』だと知っていたのですから」
「……」
反論の言葉を思いつけなかったのか、〈
「あなたは、死出の旅に出る前にと、必死な顔で『鷹刀は無関係』と告げました。私が鷹刀に危害を加えるのを止めるためです。つまり、あなたは鷹刀を大切にしている。――でも……、矛盾していると思いませんか?」
そう言って、〈
「……何、かし……ら?」
「あなたの大切な鷹刀が、警察隊や斑目に襲われ、危険に晒されるような作戦を――どうして立てたのですか?」
「!」
「私を騙すためだけなら、『嘘の復讐相手』は、誰でもよかったはずです。けれど、あなたは鷹刀イーレオを選びました。――それは、何故か……?」
熱で上気していた〈
「『鷹刀を巻き込む必要があったから』――です」
凍れる声が、高熱を裂いた。
冷気と熱気が均衡し、何かが弾けたような声が響いた。
「……ふふ……、どうかしら……ね?」
〈
そして、ひと筋の涙をこぼす。
「何を泣いているんですか?」
「……私の『罪』、に。でも……後悔は……しない、わ……」
〈
この場にそぐわないような、優しく清らかな顔。〈
直感がした。
もう、最期なのだ、と。
「聞きたいことがある!」
〈
「……」
「あの作戦の結末から考えると、お前の目的はひとつ――!」
「……」
「『藤咲メイシアを、鷹刀の屋敷に送り込むこと』だ!」
「……」
反応のない〈
そして、ずっと
「藤咲メイシアに、何がある? あの娘に、何が隠されている!? お前は、あの娘に直接、会った! あのとき、何をしたんだ!」
仕立て屋に化けて、藤咲メイシアに接触を図った。あの日から、〈
――〈
〈
もはや、これまでか。
そう、諦めかけたときだった。〈
慌てて耳を近づければ、熱い吐息と共に、細い声が入ってくる。
「……それを知って、どう、するの? 『あなた』は、……幸せに、なれる、の? ……ヘイシャオ……叔父さんの、……『〈影〉』」
「!? お前っ!」
思わず拳を振り上げた彼に、〈
「……私を殴るの? 無駄なことを……。放っておいても……、私はじきに死ぬわ」
その言葉の正しさを証明するかのように、〈
「オリジナルの、ヘイシャオ叔父さん……。幸せ、そうな……死に顔だった……って」
「そんなこと、どうでもいい!」
「……けど、『あなた』は、これから……どうする……?」
「……っ!」
「決して……、目覚めることのない朝を、求めて……。かわい、そう……」
〈
だがそれも、あっという間に蒸発し、わずかなあとだけが肌に残る。
「〈
そのとき、〈
「――――!」
悲鳴にならない悲鳴が、ほとばしった。
〈天使〉の最期だ。
与えられた〈天使〉をことごとく失ってきた彼は、今までにそれを何度も見てきた。
せっかくの便利な道具が壊れると、悪態をつきながら見てきた。
――なのに今は……。
…………。
……。
「……『あなた』……私のこと、嫌いだった……はず、……なのに、なんで……そんな、顔……?」
彼女が顔を上げた。頬に張り付いていた黒髪が、はらりと落ちる。
「やっぱり、『あなた』……、お父さん、そっくり……。やりにくい……。憎めない、もの……」
苦しげな息遣いの中で、彼女が笑った。
背中は熱に
「……叔父さん……、メイシア……あの子は……」
「え?」
何かを言おうとしている彼女の口元に、彼は耳を寄せた。耳朶が
「…………………………」
「!」
目を見開いた彼に、彼女は頷いた。そして、か細い声を漏らす。
「『〈
熱風が部屋を駆け抜け、殺風景な部屋にぽつんと置かれていたテーブルを倒した。
だが、その音は、彼の耳には聞こえない。
彼に響くのは、ただ〈天使〉の祈りのみ――。
「私……あなた……大嫌い……だった。けど、同じ……なの。私も……、あなたも、『罪』だと……分かっていても……。だから……」
di;vine+sin……。――『命の冒涜』……。
「『あなた』を……作り出して……ごめんなさい……」
彼の耳元で、優しい声が響く。
「……『あなた』の、最期が、……安らかであることを……願う、わ」