9 本当の事

文字数 3,646文字

「週刊誌見ましたか?上辻がネットで炎上したことが載ってるんです」
 朝早く、と言っても午前十時頃、社員のマネージャーから武田に電話があった。携帯電話にもかけていたようだがそれは寝ていて取れず、家の電話が鳴った時、やっと妻の舞が取った。
「うちの人、まだ寝てますけど」
 そう言ったが、取り次ぐように言われ武田の寝室に固定電話の子機を持ってきた。何かスケジュールの問題でもあったかと慌てて起き上がって電話を受けた。
 週刊誌の記事に、上辻がSNSに書いたことが炎上して、騒ぎになっているということだった。その内容について知っていたのかというようなことを聞かれたが、寝ぼけていて意味を理解できなかった。
 舞に買い物を頼もうかと思ったが、しばらくして起き上がった。朝食を食べ、朝の血圧の薬も飲んだ。自分でコンビニに行って週刊誌を買いに行った。
 帰路、歩きながら記事のタイトルを見たが、ちょっとピンと来なかった。表紙にはとあった。でも記事としてはそんなに大きなものではなく、内容は上辻の書いたSNSの話題だった。ニ・三日前に、社員から炎上しているというような話を聞いていたが、意味を理解できなかった。どうやらそれらしい。ネット上だけならともかく、週刊誌に載るほど騒ぎになると、大変なことだと言われた。

 今度は内川から直接電話がかかってきた。会社ではなく内川の自宅に来いということだった。大急ぎで身支度して、一時間も経たずに社長の自宅に武田が着いた。内川の自宅のリビングには、パラダイスの社員も二人ほどいた。
「上辻さんは、なんかえらい遠くにいるみたいで、まだ来れません」
 社員が泣きそうな声でいった。
「何がどうなったんですか」
 武田が社員に聞いた。
「閉店興業の客数をごまかしたとか、テレビ局のやらせだという記事が出て、会社に取材が殺到しているんです」
「言いたいものには言わしておいたらダメなんか?」
 上辻は、SNSにネットウオッチャーから二年前の閉店興業について聞かれたことに対して数日前から発言していた。『閉店興業はテレビ局の考えたショーだ』とか『笑劇場のレベルや内容に問題があるのに、客から金取って閉店しないのはおかしかった』『そもそも笑劇場の入場者数が一カ月に一万人も入るわけない』『入場者数など、会社の匙加減。風呂に入っただけの客の人数だ』それが、しばらくして拡散され、ネット炎上と言われる状態になった。それが週刊誌の記事となったのだった。
 上辻の芸風を考えても、佐飛パラダイスの自由な社風からしても、武田は嬉しくはなくとも問題にする必要はないと思っていた。
「武田君、そうはいかん時代やな。佐飛パラダイスも笑劇場も信頼されてんとあかんからな」
 内川が答えた。
「株価も下がって、取引銀行からも引き上げの打診がありました」
 社員が悲壮な声で答えた。だんだん武田にもまずいことになってきたことが分かった。
「いや、ほんまは自由に言いたいこと言っていいんやで。上辻君がもし会社に不満を持っているなら、会社に直接言うてくれる分にはええねん。外の人に聞かせると、誤解を招くことになってしまう」
 弟子である上辻が、会社に大迷惑をかけている。武田は、自分の責任も感じなくてはいけないことが分かってきた。
 社員が詳しく事情を説明し始めた。上辻がSNSで客数についての質問に答えた。佐飛パラダイスは、会館への入場者とそこからの笑劇場の入場者がいる。閉店興業では、笑劇場の入場者一万人を目標としていたが、実際には会館の入場者数だったのではないかということだった。閉店興業で一万人を達成したのは本当は会館の入場者数だった。がしかし、テレビの番組では笑劇場の入場者数が一万人を達成したように放送していた。
 そんなことは、佐飛パラダイスの関係者にはわかりきっていることである。テレビ局が勝手に笑劇場の入場者数と言っただけだ。もともと、笑劇場の席数は三百ほどで、一カ月で一万人を超えるのは物理的にもあり得ない。ということは、社員も座員もわかっていたはずだった。週刊誌には、それがごまかしだと書かれていた。
 上辻が、日没に近い時間に内川の自宅に到着した。
「なんかえらいことですね。SNSで見てましたけど」
 上辻と武田は、衣装部が持ってきたスーツを着させられた。内川と社員も一緒に夜遅く本社に戻った。会議室にいっぱいの新聞社や週刊誌の記者たちが集まって、謝罪会見が行われた。頭を下げるだけで、上辻は一言も話さなかった。話さないように内川が言ったからだ。内川が説明し、武田も一言二言補足した。
「閉店興業の入場者数は、テレビ局との理解の相違がありました。やらせではありません。自分たちがお客様に喜んでいただき笑劇場を続けていくために考えた方法が閉店興業でした」
 内川や武田は屈辱だと感じたが、この状況を上辻はワイドショーで見たことのある謝罪会見の様子に、少しわくわくしていた。

 記者たちの追尾を逃れ、内川と武田と上辻は近所のホテルに入った。部屋に入ってから、内川に対し、武田が上辻の背を抑えお辞儀させて、自分は深々と最敬礼した。
「会社に迷惑をかけるようなことをして、申し訳ありません。ほんますみません、社長」
「いや、いつか突っ込まれることやったと思う。上辻君が全部悪いわけやない」
 内川自身は、自分の責任だと感じてはいたが、ずっとごまかしていけるものならそうしたいと思っていた。
「SNSに書いたことはよくなかったのかもしれへんのですけど、こんなことになるとは思ってませんでした」
 上辻は軽くそういった。それに武田がいら立った。
「口答えするな、迷惑かけたんや」
「上辻君、しばらくSNSはせんといてくれな。形式上やが、一カ月謹慎してもらう」
 白川が、言いにくそうにそう言った。
「えっ?意味わかりませんわ、嘘ついたのは僕やないです。社長や師匠やありませんか!」
「ごめんな、ごめんな」
 内川は謝っていた。しかし、武田は激高し上辻の胸倉を掴んだ。
「社長がここまで言うてくれているのに、お前は何を言うてんねん。破門や」
「武田君、そんなん言わんといたって。会社の事情やねんから」

「閉店興業については、全て私の責任だ」
 内川は、閉店興業当時、責任は全部自分で取るつもりではあったが、それは武田やテレビ局の人間のを信頼して任せているだけだった。武田もテレビも、目先の面白さや、利益、笑劇場を守る結論のためにごまかしている部分があったことは、全く知らないことではなかった。
「笑劇場に対する思いは、芸人さん以上にあったつもりだ。だけど経営者として断腸の思いで笑劇場を止める決意をしたんだ」
 内川が芸能プロダクションの仕事を辞め、家業の佐飛パラダイスを継がなくてはいけなくなったとき、笑劇場を立ち上げることで仕事への意欲を保っていた。そうでなければ田舎に帰ることには抵抗があった。当時まだ生きていた父への反発が、自分なりの事業展開をする意欲につながっていた。
「でも、座員もテレビ局も頑張ってくれて、残れたんや。感謝している」
「僕は佐飛パラダイスに入ったばっかりで、あの頃よくわかりませんでした。でも笑劇場に客が入らないのは、笑劇場の芸人や作家のせいだと思うし、なのに客に責任を押し付けて入場者数で判断したり、そのために客に入場料を払わすのはおかしいと思ってたんです」
「お前、誰のおかげで芸人させてもらっていると思てるんや」
 顔を真っ赤にして武田が何度か拳を振り回したが、若い上辻はひょいと体を逃してちゃんと当たったパンチはなかった。
「謝りません。暴力が出る時点で、認めてますやん。閉店興業はやらせでしたやん」

演題
 血圧道場と書かれた道場がある。下手から、大きな荷物を持った武田が現れる。対応する河合が胴着を着て道場の中から出てくる。
「いらっしゃいませ」
「予約していた武田です。血圧下げたいんです」
 同様に太った大久保達の入門者が三人やってくる。
「道場長の松原師範です」
 太鼓がなって現れたのは、黒帯姿の松原。
「食うな、飲むな、怒るな~血圧下げるぞ」
 血圧計で血圧をそれぞれ測るが、武田に至っては血圧が二百ミリエイチジーもある。
「キリン並みの血圧だな。これからキリンと一緒で食事はニンジンだけだ」
「え~」
 味のないご飯に閉口したり、変体な体操をさせられたりする。大久保が怒ってしまうが、怒ったら血圧が上がると叱られる。挫折しそうな参加者は、河合が棒で叩いて道場に連れ戻す。
 三日目の断食道場のプログラムが終わる。血圧を順番に測るが、大久保はかろうじて目標をクリアするが、武田はクリアできなかった。
「あと三日続けるかい?」
 松原が武田にそう勧めるが、武田は嫌だという。
「師範の血圧はどうなんですか?」
 河合が松原の血圧を測るとキリン並み。松原のカバンの中から、酒やたばこ、塩辛が出てくる。河合が松原師範を棒で追いかける。
「師範こそ、これから一カ月は食事はニンジンだけ!」
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