12 老人と孫

文字数 4,149文字

老人と孫

 パラダイス興業のマネージメント担当の社員から、社長の内川に電話がかかってきた。三か月前から休みを取っていたベテラン座員の松原に、仕事をいれたいが、電話がつながらないとだった。内川も今月に入って何度か電話したことがあったが、その都度留守番電話で、連絡がついていなかった。
「いっぺん行ってくるわ、気になることもあるからな」
 内川は、松原の休みの理由を少し知っていた。健康診断を受けたとき、何かの検査に引っかかっていた。それで検査入院をするということになった。それと合わせて年齢も七十を超え、人間ドックに入って一カ月ほど休みもとるとのことだった。
 座員には健康問題については内緒にしていた。これまでも私生活についてあまり明らかにしてこなかったし、自宅に仕事関係の人が来るのを極端に嫌がっていた。
 妻は五年ほど前、ガンで亡くなっている。今は娘夫婦と同居していたはずだ。
 お子さんのことでいろいろあったことも知っていた。松原は、というネタで、禿ヅラにリボンをつけ腹巻姿で走り回るキャラクタを持っていた。これがきっかけでテレビに出るようになり、お子さんがいじめにあうことになった。その頃から、家庭のことは一切仕事場では話さなくなった。
 松原の自宅は、大阪の郊外の住宅地にあった。古い和建築の自宅は、佐飛パラダイスがそれなりに軌道に乗ってきたころ建てたものだ。
 大阪本社から、社用車で向かった。住所に沿って三十分もかからず着いた。表札には本名の「松葉」と多分娘夫婦の苗字であろう「OKADA」という手作りの表札もぶら下がっていた。インターフォンで女性の声が出た。
「内川と申します」
「あ、社長さん」
 少し時間をおいてすっかり大人になっている娘が出てきた。
「松原さんは?」
「父は先月亡くなりました。もうそっとしておいてください」
 内川は、入院でもしているかなと思ってはいたが、すでに亡くなっていたことには驚いた。
「ご連絡いただきたかったです。手を合わさせてください」
 内川は居間に通され、遺影のある祭壇に手を合わせた。
「すみません。心臓病があって通院していたんですが、体がきつくなってきて。今回は養生するつもりで入院したんですが、もういろいろ限界だったんだと思います」
 娘は、小さい子どもをあやしながら、内川に説明した。
「千(ち)嬉(き)さんですよね。昔はよくお名前聞いていました」
 まだ佐飛パラダイスが本社だったころ、内川はほぼ同年齢の松原とは、何度か飲みながら家庭の話などもしたことがあった。
「私は、父と同居もしていましたし、子どものころそんなにいじめられなかったんですけど、弟とはいろいろあって。すみませんでした」
 連絡しなかったことを、詫びた。
「千嬉って、私の名前知ってくれていたんですね」
「松原さんはよく自慢されていました。嬉しいことが千個あって、楽しいことが永久続くようにって子どもの名前つけたって」
「そんなことまで」
「内祝いの時に、長い手紙ついてましたし」
 穏やかに話していたようだったが、少し間をおいて言い始めた。
「弟は、父が芸人であることでとても嫌な思いをしてきました。父も死ぬときは芸人としてではなく、松葉忠司という普通の人間として死にたいと言っていました。だからパラダイスの人にはもう言わないて下さい」
 家族がそう思うのなら、止むを得ないと、内川は承知した。
「ただ、一緒に長くやってきた武田くんには教えてやりたいんだけど、いいですか」
「弟に聞いてみないとそれは」
 千嬉がその場で、弟にラインをし、間もなく返事が来た。
「いいけど、もうそれ以上は絶対に広げないでくださいとのことでした」
 千嬉が、弟の楽(が)久(く)がもっと怒っていて非常識なことを言うのではないかと思っていたのだが、そうではなく安心したようにそう答えた。

 楽久が小学校に入る前、テレビのバラエティ番組に出て、父と面白音楽の演奏を一緒にやったことがあった。父を食ってしまうほど、可愛く面白く、大変話題になった。
 小学生になってから、その番組を覚えていた同級生に、からかわれるようになった。
「あんなに歌いや」
「面白いことしてよ」
「触ったら、アホうつるわ」
 そういうことがきっかけになって、小学校低学年から登校拒否が始まった。松原は父として何もできず、対応は母に任されていた。病院へ行ったり、相談施設に行ったり、転校をさせたり、あらゆる対策はしただろう。小学校はほとんど保健室登校で、それも週に二日ほど。友達はほとんどいなく、担任に保健室に運ばれた本を読む毎日だった。
 楽久は父と一切話をしなくなった。松原も無理に話すこともなかった。
 中学校は地域外の国立の付属校に入学しそういういじめはなくなった。おとなしい子ではあったけど、それなりに普通の中学生生活を送ることになった。
 一度、中学生のときに問題を起こしたことがある。
 同じクラスの豊の母親が、交通事故を起こしてニュースになった。父親ではない男性と車に乗っていたとのことで、新聞にもそのことが載って、地域でも話題になっていた。
「お前のおかん、不倫してんねんな。そんな奴は五組へ行ったらいいんじゃないか」
 駒田という口の立つ男子が豊に言った。周りの子は笑っていたが、楽久は怒りを抑えられなかった。特に豊と仲が良かったわけではないが、親のことで子どもが罵られることが許しがたかった。しかも五組、つまり障害児クラスに行けという意味の言い方は、何重にも許せなかった。
 言葉より手が先に出た。楽久が駒田を突き飛ばした。机が倒れたくらいのことで、怪我はなかったが、双方の母親が呼び出された。担任も母親も楽久の正義感については認めたが、暴力に出たことについては強く反省を促された。
 豊と楽久は向かい合って謝らされ、握手をさせられた。気持ちでは到底和解していなかった。
 その後、楽久は芸人とは真反対の堅い仕事、県の公務員になった。

 武田は内川が来た日の夜、佐飛パラダイスでの公演のあと松原の自宅にお参りに来た。
「昔、僕が事故にあって半年も休んだことがあったんですよ。そのとき松原さんが書いた脚本があるんですが、再演させてください」
 翌月に大阪パラダイスで武田の座長公演が行われた。座員には松原のことは伏せられた。
 千嬉の家族三人と楽久には招待状が送られたが、当日楽久の席には誰も座っていなかった。

演目
 開演のブザーが鳴った後、いつもとは違って、下手の幕前から三人のチンドン屋が現れ、幕開きのいつもの音楽を演奏し始める。三人のうち一人は、上辻である。チンドン屋の後ろには、武田雅司が松原に似せて禿ヅラをつけてチンドン屋の法被を着てトライアングルを鳴らしている。その後ろに、子どもの恰好をした北浦憲一と中村一子が鍵盤ハーモニカと小太鼓をもって踊りながらついていく。幕が開いていく。
 松原と北浦が一緒に編曲したこの幕開きの曲が劇場でワンコーラス全部演奏されるのは初めてだった。
 武田と北浦と中村はそのままセットの家の前に行き、
「お疲れ様でしたー。直帰で失礼しまーす」
「アルバイトは楽しいけど疲れるなぁ」
 武田じいちゃんは、息子夫婦が早世したため孫の憲一と一子を育てている。収入が少ないため、孫たちも一緒にチンドン屋のアルバイトをしている。
「おじいちゃん、明日参観日。見に来てや」
 参観日に現れた武田じいちゃんは、手を挙げていない孫に強引に手を挙げさせたり、答えが間違っていても先生に怒りだしたりして、授業は台無しになる。
 変なおじいちゃんだ、親がいないといじめる子が出てくる。おじいちゃんはその子の家に行って、
「俺は変だが、孫たちは変じゃない。間違ったことをしていたら、俺にも、孫にも教えてほしい」
と訴える。
 ある日教材費の集金がある。武田じいちゃんは家中からお守りの中まで探してお金を集めるが、どうしても足りない。いいバイトがあると、通りがかりの親分さんに誘われる。かばんをあるところからあるところに運んでほしいとのこと。それでとても高い報酬がある。
 どんくさいおじいちゃんは、そのかばんを落っことしてしまい、警察に遺失物届を出す。
「届いていますね、中身はなんですか?」
「知りません。見たらだめだと言われたので」
「そんなことは承知できません」
「親分さんならご存知だと思います」
「親分の頃に連れて行きなさい」
やくざの親分のところに行って、やくざを一網打尽に逮捕してしまう。
 おじいちゃんは、お金がないのでアルバイトをしていたと説明するが、警察の代わりにやってきたのは福祉の人たちだった。
「お金なんかなくても、嬉しいことがいっぱい、楽しいことがいっぱいや。一緒に暮らしたい」
「おじいちゃんはお孫さんを育てられません。施設に入れてあげましょう」
と説得される。
 おじいちゃんと孫は、泣いて行きたがらない。
「施設に行ったらご飯の心配はありません、教材費も払えます」
と施設の人に言われ、泣く泣く行くことになる。
「お金のことで心配させてごめんな、勉強教えられんでごめんな、お父さんお母さんの代わりができんでごめんな」
 おじいちゃんは号泣する。客ももらい泣きしている。
「一人ぼっちになった」
 間もなく、隣のビルの窓から孫たちが手を振っている。
「おじいちゃーん」
「施設って隣なんかい」
 客席は、涙のあと大笑いしている。
 本邦初公開の佐飛パラダイスのテーマの松原の歌入りがBGMとして流れた。
『嬉しいことが千個あったら
 楽しいことは永久やーんか
 笑ろて 笑ろて 笑ろて 笑ろて
 佐飛パラダイス』
閉幕。

 最前列に座っていた千嬉は立ち上がり、閉まる幕の間に向かって泣きながら頭を下げた。緞帳をくぐって武田が飛び出てきて、客席に降り、千嬉と声も出せず握手した。最後列で立ち見していた楽久も帰り客をかき分けて最前列にやってきて、禿ヅラの武田に頭を下げた。
「武田さん、すみませんでした。ありがとうございました」
「楽久さんですか。ほんま来てくれはってありがとうございます」
 翌日、佐飛パラダイス興業として松原只男の死去を発表した。テレビのワイドショーはもちろんニュースでも、各界の人からのお悔やみのコメントともに伝えられた。
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