11 貧乏芸人

文字数 2,595文字

「学際的研究を行いたい」
 武田にはそれが殺し文句だった。
 内川の知り合いの息子で、佐飛に近い私立大学の四回生の林(はやし)創(はじめ)が卒論のために取材したいと言ってきていた。
「お笑いは、科学的に検証して、医療分野だけではなく文化論的にも学際的に研究解析していきたいと思っています」
 学際という言葉が、芸人をしていると縁のないかっこいい言葉に聞こえた。喜んで協力することにした。
 林は、客へのアンケート調査と座長と作家が行う脚本会議を見学することになった。会議が終わった後、質問攻めを受けた。
「ストーリーは、ほとんど座長が考えて準備されるんですか」
「まぁパターンはあるねんけどな」
「いいもんと悪もんの登場の仕方には、ルールがあるように思いますが、これはどう決められているのでしょうか」
「ルールなんかないで、それぞれのストーリーごとだと思うけど」
「悪もんの中には、改心する人と感情移入を必要としない人と二種類ありますよね」
「そういう風には考えたことなかったな」

 その夜、武田と林と若手芸人三人と一緒に隣町の居酒屋に行った。
「変わった研究するね、正直君は演劇はよく知っているようだけど、お笑いはそんなに興味ないやろ」
 林の質問は、お笑いに関するものが少なかった。演劇論で語られると、笑劇場は薄っぺらいと思われてしまわないか心配だった。
「僕、一回生の時初めて笑劇場見たんです」
 この近所に住んでいて、大学一年生まで笑劇場を見たことなかったというのは、よっぽどお笑いに関心がなかったということがわかる。
 林は、佐飛の隣町で老舗の造り酒屋の次男坊だ。
 小学生時代からの友人、会社員をしている大城とは卒業後はラインで繋がっているくらいで、遊びに行くこともなかった。秋ごろにラインに仕事がつらいと書き始めた。毎日残業で辛いらしい。まともに休みがもらえず、やっと三カ月ぶりの休日が得られたという。
“家で寝るわ”
“パラダイスのタダ券持ってるで。行かへんか?”
 あまり深い意味もなく、林は大城をパラダイスに誘った。風呂に入って休憩室で寝ていればいいと思ったからだった。
 風呂に入り、休憩室でだらだらと寝ながら世間話をして、会社の悪口を言っていた。
 笑劇場の時間になり、笑劇場の入場料二人分を林が払ってチケットを買った。笑劇場が始まり、林は素直に笑っていたが、大城はもしかするとくだらない笑いに怒ってしまうかもしれないと思っていた。ところが、林以上に大笑いしていた。
「その時、友達と来たんですけど、その子ものすごく落ち込んでたんです。でも帰る時元気になってて、笑劇場ってすごいなと思ったんです」
「そういう人もおるんやな、芸人冥利やわ」
 武田はまんざらでもない様子で聞いていた。
 
 酔いが十分に回ってきたころ、一緒に来ていた若手芸人が、武田と話をし始めた。年金のことについての質問が最初だった。
「年金の支払い猶予ってしなあきませんか?」
「しといた方がええと思うで」
 収入が少なすぎて、年金が払えない。支払わずそのままにしておくと追納もできず、老後に年金が減る可能性があることを、武田が説明してやった。笑劇場の芸人の半数以上が、芸人としての仕事だけでは生活できていない。アルバイトをしていてもなかなか経済的には辛い状況である。
「電気止められましてん」
「ハハハハ」
 そういう貧乏エピソードは、芸人にとって勲章でもある。だからこそ武田たち先輩芸人が後輩芸人に食事をおごったり、その他小遣いをやったりすることもある。
 芸人たちが笑う中、林はきょとんとしていた。
「林君、知らんやろ。電気代払わんと電気止まんねんで。ガスかて水道かて、止められんねんで」
「払わない?」
「払えへんねん。芸人は貧乏やねん」
「パラダイスってお給料ないんですか?」
「あるけど、少ないねん」
 お坊ちゃま育ちの林にとって、公共料金が払えないほどの貧乏は想像の世界のものだった。
「友達の働いているブラック企業だって、生活できるくらいのお給料はもらっているはず。生活できない仕事なんて仕事なんですか?」
 林は、腹立たしいと思った。芸人という職業に、生活できないほどの給料しか払わない佐飛パラダイスという会社に問題があると思った。芸人という夢にしがみつき、社会人として支払い義務のある年金を払わないのはダメなことだと思った。生活に困窮する芸人の芸を見て、救われる客は、貧者から搾取しているんじゃないかと思った。
「武田さん、こんなこと許されていいんですか?会社も客も芸人さんから搾取しているんでしょうか?」
 武田は思いもかけない反応に、戸惑った。林の主張を聞いて、少し考えてしまうこともあった。貧乏は自分が苦労すればいいだけではなく、社会にとって許されない存在なんだろうか。
 武田にも貧乏時代があった。芸人として成功したいという夢を持って、それでも自分が貧乏に耐え親を泣かしても頑張ればいつか夢が叶うと思っていた。
「搾取って、客やからってえらい上から目線やな」
 林の言い方にカチンと来たが、逆に芸人が食えるだけ稼げない者がたくさんいるという矛盾を突かれることが不快だった。
「いえ、上からというより、僕らがこんなに恩恵受けているのに、与えてくれている人たちが貧乏なんてひどいと思ったんです」
「芸は金やない。生きてはいかんとあかんけど、好きでやってる仕事や」
 武田はそう言ったが、現実問題として仕事のある芸人とない芸人で収入格差はとても大きい。
「仕事は好きなことをしたいのはわかるんですけど、収入がちゃんとないと勤労の義務を果たしたとは言えないかもしれませんよ」
「ふざけるな」
 どう反論していいか、これ以外の言葉が出せなかった。ただ自分や芸人のことを侮辱されたと思った。こいつとはこれ以上関わり合いになりたくない。席を立って、みんなの分の支払いをして一人で帰った。
 
演題
 大学の講義室。Fランク校で、勉強する気のない学生がまばらに座っている。女子学生の中村や河合は化粧しながら座っている。
 教授役の松原が、出席を取る。
「青木君、井上君、河合君・・・」
 明らかに、大久保ふんする一人の学生が声を変えて全部返事している。
「二十人、全員出席なんだが、少ないような」
「すみません、遅刻しました」
 慌てて入ってくる武田が扮する詰襟を来た学生。
「もう全員出席なんだが、君は誰だ?」
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