4 病院漫才

文字数 3,516文字

 武田の運転は普段から乱暴だったが、その日はそうでもなかった。眠くもなかったし、もちろん酒も飲んでいなかった。ただ、前日からテレビ番組の密着取材が始まり、今日も昼からは密着されることを思い、少し浮かれていたかもしれない。
 自宅から佐飛パラダイスに向かう午前中の事故だった。赤信号に気が付くのが遅れ急ブレーキを踏み、車は後続のトラックにつぶされた。武田は重傷を負った。
 武田が気が付いたとき、病院のベッドの上で口は何かが突っ込まれていて、体中が動かせなかった。目の前にいたのは、上辻だった。
「兄さん、目ぇ覚めはりましたか。痛うないですか」
 上辻がナースコールをし、若い医師が現れた。
「武田さん、あなたは今、山根記念病院にいます。わかりますか?」
 自分の今の状況がだんだんしっかりわかってきた。
 武田には家族がなかった。父親は見たこともない。母親は武田が高校生の頃亡くなっていた。家族の代わりとして、上辻が付き添っていた。
 昼過ぎに病院から連絡を受けた佐飛パラダイス社長の内川(うちかわ)雅彦(まさひこ)は、武田のそんな境遇を知っていて、すぐ上辻に病院に付き添うように言っていた。看護師に「ご家族の方」と呼ばれている上辻が、武田にとって滑稽だった。
武田が目覚めたとき、事故から丸二日経っており、その間に大きな手術がされていた。腰椎の骨折があり、障害が残るかもしれないと言われていた。全治三カ月、舞台復帰には少なくとも半年くらいかかると医師に言われた。ただ手術の結果は良好で、長いリハビリは必要だが、命には別条なく回復傾向にあった。
「笑劇団のことは、安心してください。加藤さんが代演でやってます」
 加藤(かとう)陽太郎(ようたろう)は、武田とコンビを組んで漫才をしていたことがある。当時、お笑いの新人賞などを総なめにしたこともあった。ボケの加藤は武田の作ったネタをちゃんとやらないことなどから、コンビ解消してしまっていた。今は佐飛パラダイスにもピンの漫談でたまに出るが、テレビタレントなどをしていた。
 こういう時に、よりによってコンビ別れした加藤の世話になるというのは武田にとって複雑な思いもあったが、笑劇団がちゃんと行われていることに安心した。
 目を覚ました日の夕方になって、内川が病室に現れた。
 週末の笑劇団はどうするのか。脚本はほとんどできているが、演出ができない。内川は、病床の武田に笑劇場の予定を話した。
「昔の脚本の再演を増やすわ。作りかけの脚本もあるやろ」
 武田は話せない口で、「か・み・つ・じ」と内川に伝える。
「上辻君が台本書くのか?」
 内川は無理だと思ったが、武田はそれにうなづく。武田の小間遣いとして、台本のパソコン入力や演出中の変更管理をさせられてきたことはしっていたが、上辻にシナリオライターや演出としての見込みがあるとは知らなかった。まだ半信半疑だった。
「心配せんと、よう休んで治して。半年後には復活公演するからな」
 内川は励ましのつもりの言葉だったのだろうが、半年という言葉に、自分のケガの重症度を実感した。それから一週間は話すこともできなかったし、半月は体を起こすこともできなかった。
 最初は毎日見舞いに来ていた上辻は、武田に気を使ったつもりなのだろうが、加藤の悪口を繰り返して言った。
「無理して来なくていい」
と言ったらしばらくして素直に来なくなっていた。本当に公演で忙しくなってきたようだった。

 二週間程経った日、診察に来た医師が、リハビリを始めましょうと言った。既に口に入っていた管は外れていたが、ギプスをつけた右足の骨はまだ折れている。腰椎の骨折のため寝たままで食事も排泄もするしかない。まだリハビリは先かと思っていた。
 理学療法士の渡辺という若い男性が平日は毎日来て、ベッドの上で寝たまま足や手を動かしたりすることから始めた。そのうち治りたいという気持ちもわいてきて、一人でベッドの上で習った動きをしていた。
「ちょっと静かにしてくれませんか」
 隣のベッドの男性が、カーテンの向こうから言った。武田は無意識に、手足を動かすときにカウントを声に出して言っていた。
「すんません。動けへんのでお顔が見えへんのですが、僕は武田いいます」
 そう言っても、隣のベッドの主は名乗る気配がなかった。
「僕、武田いうんです」
「そうですか。静かにしてくれたらいいんです」
 まだ名乗る気配はなかった。巡回に来る看護師はその男を「田中さん」と呼んでいた。
 数日後、武田は車いすに乗って移動ができるようになった。隣のベッドの主が、カーテンの隙間から見えた。思った以上に若い子だった。
「すんません。隣のベッドの武田です」
 これまで挨拶をしなかった田中に、少し腹を立て、若い子だとわかって、ぶしつけにベッドの横に車いすで入った。左足の指でで足元に落ちていた紙を拾った。そのまま足を突き出し、ベッドの上に置いた。
「落ちてましたで、田中さん」
 田中はかなり驚いて、間もなく不快な顔をした。
「ありがとうございます」
 その紙は黒っぽいチラシで、すぐ布団の下に入れてしまった。声で少し気が付いて、まじまじと武田の顔を見た。
「もしかしてお茶のCMの人?」
「ほうです。知っててくれてありがとう」
 十年近くやっている地元のお茶屋のテレビCMが、県内だけで放送されていた。
「県内の人ですね」
「ええ、六山(ろくやま)市です」

 それから田中はカーテンを開けるようになり、毎日いろいろ話をするようになった。
 田中は、大阪の大学生でダンスサークルに入っていた。先月交通事故で両足を骨折してしまった。夏にあるコンクールで友人と三人で踊る予定だったが、それができなくなってしまった。
 よりによって、田中の代わりに田中とはあまり仲の良くない白木という男が入ってコンクールに出ることになった。それをすぐ言ってくれれば、田中も納得できたのだが、山本と山口は田中に気を使って、しばらくたってから人伝に聞くことになった。裏切られたと思った。
「俺といっしょやん」
 今、佐飛パラダイスで加藤が仕切っていることを話してやった。
「え、仲悪いんですか?一緒にCMでてはりますやん」
「仕事は仕事や」
 自分だけが不幸で、自分だけが見放されて、裏切られていく感覚。田中も武田も同じような気持ちになっていることが分かった。
「よそで言わへんし、嫌いな奴の悪口言おう」
 二人とも、それなりに繕っていい人ぶってきたが、ため込んできた悪口は、止まらなく続いた。
「女にだらしないんです。もてるために踊ってるっていうのが、腹立ちます」
「いっしょや、加藤はもっとえげつないくらい女にだらしないねん。テレビ局に押しかけてこられたこともあったわ」
「自分さえ恰好よかったらいいと思って、アドリブ入れて、まとまりをぐちゃぐちゃにします」
「それもいっしょや。台本通りせえへんねん」

 武田が、看護師長に話して金曜日の夕食後五分程度のミニライブをデイルームですることを許可してもらった。武田と田中で漫才をすることになった。
「これまで音楽コンサートはやったことあるけど、漫才はなかったわ。傷に触らん程度でね」
 二人が車いすに座ったまま、最近病室でやっているような馬鹿話を始めた。客は入院患者たち、医療スタッフ、二十人以上が集まった。今時は便利で、イントラネットで院内のテレビには映像で流され、他科の入院患者も診ている。
「本日は、入院中の喜劇俳優武田雅司さんと大阪第一大学四回生の田(た)中武(なかたけし)さんによる、漫才をお届けします」
 整形外科の看護師長がアナウンスして、ミニライブが始まった。デイルームの壁際に、二人は車いすで並んだ。
「はいっ、病院漫才の、まさしでーす」
「たけしでーす」
 二人の掛け合いはアドリブのように見えるが、一字一句武田の作った台本の通りだ。作りこんだものの良さを、しっかり見せてやろうと意見が一致していた。
 院長の根も葉もない悪口を言う。
「不細工で、色気もなんもない。治る病気も治らんわ」
「会うたことないけど」
「そもそも院長、男らしいで」
 スタッフたちが受ける。ちょっと冷や汗をかいている看護師長もいる。
 田中は車いすに座ったまま、上半身だけでダンスみたいにおーばアクションでぼける。武田が突っ込むと車いすをくるりと回して、後ろに向かってポーズをとってしまい、それが受ける。かなり練習した成果だ。
「それでは、そろそろおむつ交換のお時間です」
「ええかげんにせいや」

 爆笑の中ミニライブが終わり、二人はとても満足感を持っていた。客たちも大笑いして、「またやって」と声をかけてくれた。
「次は金取るで」
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