10 悪戯っ子

文字数 3,019文字

佐飛パラダイス笑劇場座員の八木(やぎ)D(でぃー)介(すけ)は、今時らしくない芸人らしい芸人だ。芸風だけではく、生活も破天荒だった。
 しかし八木はとんでもないボンボン育ちだ。父親は関西で最大の私鉄の社長で、自身は東京の大学を出て一度は父の会社に就職した。それからいろいろあって、養成所に入り芸人になったのだった。
 笑劇場の楽屋には、ひと月に一度は差し入れを持って八木の母親が現れた。
「大輔(だいすけ)がいつもお世話になっております」
と、他の芸人に挨拶はするものの、実は八木に芸人を辞めさせる説得をしに来ている。ということを、武田は知っていた。他の座員は、ただのマザコンだと思っていたかもしれない。
 八木の金遣いはひどく荒い。座員としてはろくな収入はないが、水商売で生計を立てている。親から小遣いももらっていたかもしれない。しかし、いつもすっからかん。酒に博打に女に、金を使い果たしていた。
 芸風は、独りよがりなところも多く、絡むと危険だった。一緒に滑らされてしまう。一応台本はしっかり覚えている。遅刻はしないが、たびたび二日酔いで現れて、グダグダになることもあった。
 楽屋にいる若手の携帯に一斉にラインメッセージが届くことがある。そんな時は大体、八木の悪戯だ。今日は、劇場で鉢合わせしてしまいそうになって廊下の自動販売機の陰に隠れている上辻とそれ越しの武田の写真が届いた。クスクスと笑うものもいれば、引きつっているものもいる。
 早着替えのある役者の衣装のボタンをテープで貼って止めてしまったり、舞台で使う水差しに本当の日本酒を入れておいたこともあった。セリフが多く覚えられなかった役者が、小道具の食器に書き込んであった時にそれを消したこともあった。
 ある時は、楽屋のドアの上の壁に写真が貼ってあった。背の低い年配の芸人には見えない場所だ。泥酔して半裸になり胸や腹に落書きされて寝込んでいる松原の写真だった。
 後輩にばかり悪戯をするなら、いじめなのだろうが、八木の場合は後輩にも先輩にも、時には社員やスタッフにまで悪戯を仕掛けた。
「お前、いい加減にしろよ」
 武田が八木に注意することもあるが、暖簾に腕押し。何の意味もなかった。構ってほしいからいたずらをするのだろうか、病気に近いなと感じていた。

 最近入団した新人の田上翔太が、楽屋で身の上話をしていた。
自分は片親で貧乏してきた話をしていた。
「父親は小学生の時に出て行って、とにかく貧乏でしてん。遠足とか修学旅行とか家庭科の実習とかでお金要るときは、学校休みました」
「給食だけはなんかただになるんです、貧乏やと」
「お腹すいたときは、段ボールしがんでました」
「母親が中学出たら家を出ていけいうんで、芸人目指して大阪の劇場をうろうろしてて入れてもろたんです、掃除の仕事で」
「芸人は、うちにテレビがなくても毎日お笑い見れそうやから」
 他の芸人たちは、まだ未熟な話術だが悲惨な身の上話に大笑いしていた。 
「戦後みたいや、すごいな」
 貧乏自慢が他の芸人に受けている様子を遠くから見ていた八木が、少しイライラした様子で絡んできた。
「片親で貧乏、芸人にとっては最高の環境やないか。身内に反対されんと芸人になって、どんなに稼げなくても昔よりましでええやん。貧乏の話がネタになるし、なんか世間は貧乏に、人の不幸に優しいしな」
「D介はええとこの子やから」
 うっかり武田が口を挟んだ。
「貧乏は芸とちゃいますやん、腹立つわ」
 田上は八木のいった意味が分からず、自分の話題が受けたのに、結局楽屋の雰囲気が悪くなり、戸惑って黙ってしまった。他の芸人たちも「ええとこの子」のことを知らなかったので、キョトンとしている。
「堪忍堪忍。D介はD介で苦労して芸人になってん。みんなそれぞれいろいろあんのや」

 公演二日目の午前中、八木の実家から会社に電話があった。笑劇場担当の社員が、電話を取りながら悲鳴を上げた。
「えー、どういうことですかー」
 前日の深夜、八木は酔いつぶれて車道に寝ていた。そこに通りかかった車に轢かれて即死だった。
 社員が連絡の電話をしたり、笑劇場のスタッフの緊急会議を準備し、今後の公演の対応をしている。女性楽屋から悲鳴が聞こえてくる。その日の公演は、さすがにみんなフラフラした演技になってしまった。
 翌日の夜、芸人たちは八木の父が喪主を務める告別式場の盛大さに驚いた。
「情けない死に様で、親としても大変心苦しくあります。でも親のいうことを聞かず芸能の道に進み、この子はこの子で最高の人生を全うしたのだと思っています。ありがとうございました」 
 喪主の挨拶の後ろに、毎月笑劇場の楽屋に現れていた母親が泣き崩れていた。

演題
 太っている大久保正浩が演じる小学生のええとこの子は、悪戯がひどい。道を歩く人に水風船を投げ、公園のカップルに「お父さん、やっと会えたね。僕を見捨てないで」ととんでもないウソをついてカップルをもめさせる。交番のおまわりさんの背中に『喧嘩上等』という張り紙をして周りの人たちを笑わせる。
 松原の演じるおじいさんが経営するたこ焼き屋の前で、タコが冷凍だとか粉が国産じゃないとかまずいと騒ぎ、他の客を追い払う。
 ある時、たこ焼き屋にみかじめ料を取りにやくざがやってくる。松原がやくざを追い返すのに警察に相談しても頼りなく苦労している。
 大久保少年が、困っている松原を見て言う。
「僕が追っ払ってあげよう」
松原は余計なことをするなとたしなめるが、大久保は用意を始める。たこ焼き屋の横の茂みに後ろを向かせた人形を立たせ、通りがかりのおにいさんの北浦憲一に協力を頼む。
 そこに武田が演じるやくざが子分とともに脅しにやってくる。
「こらー、わしらの島で商売するもんは、みかじめ料を払ってもらわんと困るな」
 やくざが松原のたこ焼き屋に現れ、脅しだす。しかし足元にたくさんの風船が現れ、やくざたちが転ぶ。投網で絡まって起き上がれなくなる。もっと怒ってやくざたちが暴れる。
 大久保が仕掛けた人形の足元で、協力してくれるおじさんに大久保が小さな声でセリフを伝える。
やくざ
「どこの組のもんや?」
「極楽組や、なんか文句あるか」
大久保は、小学生の恰好をしているが、上手にやくざらしい声色で言う。
「極楽組や、なんか文句あるか」
しかし通りがかりのおにいさん役の北浦は、細い声で
「極楽組?なんやうちの傘下やないか」
大久保が、
「もっと太い怖い声で言ってよ」
「もっと太い体で言ってよ」
「それは言わなくていいの」
「それは言わなくていいの」
お決まりのオウム返しのやり取りをする。
「組長にゆうとけ。天国一家の組長がよろしゅうゆうてたと」
「おっさん、なにゆうてんねん」
「わしが天国一家の組長や。みかじめ料とかせこいこというてんのはどこのどいつや」
「ひぇー」
「許してください」
 組長の顔を確認できないのに、人形を組長だと思い込んで怖がる。やくざたちが這う這うの体で帰っていく。
 松原は、いつも悪戯して困らせられている大久保少年に助けらた。
「いっつも迷惑かかられているけど、今日はほんまにおおきにありがとう」
「おっちゃん、悪戯は世界を救うんやで」
 松原が、納得したようなしないような顔で、呆れている。
「でもほどほどにせんとあかんねんで」
 八木の悪戯で実際にいいことなどなかったと思うが、武田も松原もひどい悪戯を思い出しては、ちょっと笑っていた。
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