第十七話 廃墟の夜

文字数 2,824文字

 結果として僕は今、深夜のパチンコ店に軟禁されている。
 といってもとうに潰れてしまい、今は廃墟と化した元パチンコ店である。
 身代わりになる覚悟はあるか、と問われた翌日の夜。葵さんに連れて来られた先がこの場所であった。

「今日からここが、君の家だよ」

 初日、廃墟を前にした葵さんはにっこりと音がしそうな程の満面の笑みを浮かべてそう言った。

 ――は?

 驚きに声も出ない僕に、

「そんな面白い顔しないでよ。家はさすがに冗談だから」

 ふふっと笑い声を零す。
 悪い冗談としか思えないことを本気で言ってくる人だから、こっちは冗談か本気か区別がつかないでいるというのに。腹の立つ……。

「夜の間だけだよ。あのハサミと一緒に、暫くここで眠って欲しいんだ」

 信じられなかった。これも冗談だと言ってくれないかと、思わず縋るように葵さんを見るが、

「妹さんの例からして、眠っている時に近付いてくる可能性が高そうだからね」

 と、真面目に説明されてしまった。
 眠る僕が(おとり)となって、寄ってきたミミキリを葵さんが潰すという手筈らしい。しかしだからといって、

「なんでわざわざ、廃墟なんかに」

 時計の針は二十時を指していた。
 まだ夜の浅い時刻にも関わらず、国道沿いの、無駄に広い駐車場奥にぽつんと建つ廃墟周辺には灯りも人気もないため、既に深夜のような雰囲気に包まれていた。
 葵さんの手にしたアウトドア用のそれと思しきランタンの光で、闇の中にぽっかり浮かび上がる廃墟の威容。
 こんな所で眠るなんて正気の人間に可能な所業ではない。そして僕はばりばりに正気だった。

「ああ分かった。僕への嫌がらせですね!」

「違う。ちょうどいい場所を一所懸命探したんだよ――杏が。もちろん、幾つか大きな穴が空いても構わないというなら、君のアパートに場所を変更してもいいけどね」

 その言葉に僕はぶんぶんと首を横に振った。賃貸アパートなのだ。いや賃貸でなくても駄目だけれど。
 ミミキリが現れた際、葵さんが金棒を振り回して暴れることになると考えると、確かに多少破壊しても問題ない(法的には大いに問題があるとは思うが)このような場所が適しているのかもしれない。
 出入り口にはシャッターが下りていたが、よく見ると不逞の輩によって鍵は破壊されていた。不良の溜まり場にでもされているのではと僕は心配したが、「その鍵なら壊したのは私だから大丈夫だよ」と平然と返されてしまった。不逞の輩は隣にいたようである。

「中はまあ、そこまで荒れ果ててはいないよ。杏が少し掃除もしてくれたしね」

 いつも色々と本当にすみません杏さん……。僕は心の中で手を合わせた。
 元パチンコ屋というだけあって、中はだだっ広い空間が広がっていた。パチンコ台などは全て撤去された後で、残されているのは瓦礫とゴミと壊れたロッカーとカウンターらしきものの残骸くらいだったが、その中に一つ、明らかに異質なモノが存在していた。
 ベッドである。
 空間の端の方にぽつんと、簡易的なパイプベッドが置かれていたのだ。敷かれた黒いマットレスは新しいもののようで、明らかに元々ここにあったものではない。

「君の寝床として用意してあげたんだ」

 それが純粋な善行であると信じているかのような、堂々とした態度で葵さんは宣った。

 ――本気で、僕にここで寝ろと言っているのか。

 ぞっとした。
 吹きさらしになっていない、侵入者に荒らされた形跡がない、杏さんが掃除してくれている。という三点の理由から比較的まともな状態を維持してはいるが、廃墟は廃墟なのだ。
 人に打ち捨てられながら自然に還ることも出来ず、ただ朽ち果てていくコンクリートの亡霊。この不気味さは、如何ともしがたい。

 その後諸々の説明を終えると、葵さんは僕一人を廃墟内に残して出ていってしまった。全力で引き留めたかったが、自分が傍に居たのではまつろは現れないから離れた場所で待機するのだ、と説明されてしまうと反論のしようもなかった。
 僕の居る箇所周辺は葵さんが置いていったランタンで照らされており、有り難くはあるのだが、見えないのは怖いけれど見えても怖いというジレンマに陥った。
 のっぺりとした白いコンクリートに浮かび上がる黒いシミが、不吉な意味を持つ言葉や図形となって僕に何かを囁きかけてくる。
 ベッドや瓦礫や柱といった物々に生み出される無数の濃く深い影。その影の数の分だけ、底で息を潜めている得体の知れぬ何かの視線を感じる。
 そして光の輪の外には、底なしの闇が控えていた。
 清らかな闇という意味の“浄暗”という言葉があるが、目の前の闇は、それと丁度真逆のものに思われた。悪意と混沌を覆い隠すために塗り込められた、不純な、濁った闇である。
 歯ががちがちと鳴った。勿論恐怖のせいもあったが、大部分は寒さが原因だった。
 葵さんからの指示に従って真冬のように厚着をしていたし、カイロを幾つも渡されたし、ベッドの上には厚手の毛布が三枚も用意されていたが、それでも十一月の廃墟の寒さには到底太刀打ちできなかった。
 息を吸う度、古びた厭な臭いと冷気が這入り込んできて、内側から凍り付きそうで。恐怖と寒さに浸された心臓が締め付けられ、今にも動きを止めてしまいそうだった。

 ――怖い、寒い、寂しい。

 朝なんて永遠に来ないように思われた。
 最初は、ミミキリとは無関係の幽霊まで出てきそうだと怯えていたのが、いつの間にか、自分自身がその幽霊になってしまったような心地がした。
 この世に未練を残したままこの場所で死んだ地縛霊だ。ここから出ることも成仏することもかなわず、闇に蹲っている。誰かが僕の骨を見つけてくれるまで永遠にこのままなのだ。
 手の中に握りしめた防犯ブザーのような機械を僕はずっと見つめていた。
 この機械は葵さんから渡されたもので、彼のスマートフォンに繋がっている。こちらでボタンを押すと通知が飛ぶようになっているらしく、ミミキリが出たら押すようにと言われていた。
 これを押せば彼がすぐに駆けつけて、僕の骨を見つけてくれるだろう。
 押してしまおうかとボタンに指をかけ、思い直して離すということを幾度も繰り返していた。

 ――これは僕が自分で決めたことだ。

 誰に強制されたわけでもない。身代わりになる覚悟はあるかと問われて、頷いた。だから僕はここに居るのだ。
 悠里のためだなんて言い方はおこがましいと分かっている。家族ごっこすら上手に出来なくて逃げるように家を出た。その癖今更になって、兄貴面をして、自己満足を得ようとしているだけだ。

 それでも、逃げ出すわけにはいかない。

 今まで充分に色々な事から目をそらして逃げ続けてばかりいて、でも逃げたってどうせ無駄なんだど、最近は思い知らされてばかりだ。
 僕はブザーを手放して、ベッドの下へと落とした。
 カツン、という物音が、虚ろの空間に大げさに響きわたる。
 後はただ膝を抱えて、ひたすら朝が来るのを待っていた。
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