第十六話 身代わり
文字数 4,174文字
その日の夜遅く。僕がもう寝ようとベッドに転がりかけたタイミングで、電話がかかってきた。
「妹さんは今どうしてる?」
葵さんは何の前置きもなしに、いきなりそう問うてきた。
「悠里ですか?今は、風呂に入ってると思いますけど」
先ほど僕と入れ違いで風呂に向かっていたはずだ。後を気にせず思う存分長風呂をするために、いつも最後に入りたがるのである。まだ二十分も経っていないから、ゆうに後一時間は篭もっていることだろう。
「それは良かった」
「えっ」どういう意味だ?
戸惑う僕に葵さんは、
「風呂から出てくる前に、急いで侵入して来て」と宣った。
「は!?」
僕は驚いて、腰掛けていたベッドから立ち上がる。
「何をふざけてるんですか」
「ふざけてなんかないけど?」
「じゃあ何ですか、僕から人権を剥奪したいんですか? うちの家庭を崩壊させたいんですか?」
「何か誤解してる気がするけど、お喋りしてるヒマはないよ。出てくる前にさっさと部屋を探索してきて」
「部屋?」ああそっちか、とほっと息を吐きかけたが、こっそり家捜しなんかして、見つかったら大変なことになるのは変わりないじゃないか。
「どうしてですか」
「後で説明するから。先ずはこのまま、電話繋いだままで妹さんの部屋に向かって」
そう指示されて、僕は仕方なくスマートフォンを手にしたまま自室を出た。
階段の方へ行って階下に耳を澄ませてみると、微かにシャワーの水音らしきが聞こえてくる。大丈夫そうだ。それでも僕は空き巣のような忍び足できょろきょろと辺りを窺いながら、そうっと悠里の部屋に這入り込んだ。
「窓際に学習机があっただろう。その一番下の引き出し、開けてみて」
そう言われて、僕は躊躇いながらも大人しく指示に従う。
「うわっ」思わず声が漏れた。どうやら先ほど部屋を片付ける際に、散らかっていた物々をここに投げ込んだらしい。シャー芯、雑誌、丸められた靴下、除光液、謎の人形、紙くず、タンバリン、などなどあらゆるものが詰め込まれている。……何故タンバリンが?
「どうしたシグマ君、何があった?」
電話口から緊迫した声が聞こえてくる。
「い、いえ、何でもないです」
ごほんと一つ咳払いをして、
「それで、この引き出しがどうしたんです?」
「うん。何が入ってる?」
「えーっと……色々、ですかね」
それ以外に表現のしようがなかった。
「はっきりは分からないんだけどね。さっきその引き出しを見た時気配を感じたんだ」
「気配? 何のですか?」
「まつろのだよ」
「えっ!?」
さらりと告げられた答えに、僕は引き出しから逃げるように後ろに飛びすさった。
「い、いいるんですか、この中に?」
突然僕一人で化け物と対峙させられても困るのだが。
「いや、別にそこに収まってるというわけじゃなくて。何て言ったらいいかな……濃い残滓みたいなものが漂ってたんだ」
「残滓、ですか?」
僕は恐る恐る再び引き出しに近付き、半信半疑ながら、とりあえず中の物を幾つか手に取り漁ってみた。引き出しの底は深く、地層の下部からは元々ここに仕舞われていたらしい物々が顔を出す。
その中の一つに、僕の意識は吸い寄せられた。
――裁縫箱である。
一見するとただの木製の箱なのだが、僕は中身を知っているのですぐにそれと分かった。元々祖母の持ち物で、亡くなった時に形見の一つとして悠里に譲られたものだ。
ちらりと扉の方を見て、人の近付いてくる気配がないことを確認し、そっと箱を取り出した。
どうしてだろう。
僕はもう自分が何をすべきか分かっているみたいに、無意識に操られるかのように行動していた。
蓋を開ける。中にはカラフルなボタンや糸、針箱等が仕切りに沿って綺麗に仕舞われている。祖母が大事に使っていたのだろうと一目で分かった。
「もしもしシグマ君、どうしたんだい?」
呼びかけてくる葵さんの声が微かに、床に置いたスマートフォンから聞こえてくる。
「葵さん。見つけたかもしれません」
手に取ったものを電灯の光にかざすようにしながら呟いた。当然葵さんに声は届いていないだろうけれど。
“糸切りばさみ”を握る指に力を篭める。
刃先が鈍色の光を放ち、しゃきん、という冷たく澄んだ音が、不気味なほど鮮明に響いた。
***
「こんな夜分にすみません」
ハンドルを握る杏さんに声をかける。
「いえ、葵様の命で来ただけですので、シグマ様が謝ることではございません」
確かに「今すぐ屋敷に来るように」と言い出したのは葵さんであり、迎えを寄越すからと一方的に電話を切られてしまったのだから、ほとんど無理矢理だ。
それでも、自分のために杏さんの手を患わせていることは確かなので申し訳なく思ってしまう。
大体葵さんは人使いが荒いのだ。迎えくらい自分で来ればいいのに……。と、そんな事を考えながら、座席の少し離れた位置に置いた鞄へちらと目を向ける。
中にはあの糸切りばさみが、ハンカチに包まれて入っている。サイズ的にはポケットで充分だったが、肌身につけるのが嫌だったのだ。出来るだけ自身から離しておきたくて鞄に突っ込んできた。
――
といってもそれを感じとっているのは嗅覚ではない。いうなれば六感に訴えてくる臭気だった。暗く湿った、腐った水を煮詰めたみたいなにおいだ。
一目見た瞬間普通ではないと感じ、葵さんの指示でこっそり持ち出してきた。引き出しの中は元通りにしておいたので、糸切りばさみ一本なくなっているくらいでは、悠里もすぐに気付くことはないだろう。
「いらっしゃい」
いつもの応接間で、葵さんと向かい合う。僕としてはこんな時間に急に呼び出してきた理由を詰めたかったが、葵さんの方は「それより早く出して」と強請るように言って、ハサミの提出を促してきた。
「なるほどねえ」
葵さんはいつもと違い、グレイの浴衣らしきものを身につけている。解いた黒髪を肩に垂らして、ソファの手すりに肘をついてハサミを眺めている姿はどことなく気怠げだ。或いは単に眠たいだけかもしれないが。
「お手柄だよシグマ君」
「そう、なんですか?」
シャキン、シャキン。と、葵さんはうっそりとした笑みを浮かべて刃物を弄ぶ。殺人鬼じみていて不気味だ。僕は若干逃げ腰になりながら、
「このハサミ一体、なんなんです?」
「なんだろうねえ」
葵さんの答えは至極曖昧だった。
「私にもはっきりした事は分からないよ。ただ、ミミキリがこれに憑いていたのは確かだろうね」
やはりそうなのか。僕は息を呑んで、そろそろと辺りを見回す。
「大丈夫だよ、私が居るんだから。それ以前にまつろはこの屋敷に入ってなんか来れないしね」
「そうですか」あれ?じゃあ葵さんが僕を呼び寄せたのって……。
「例えばの話。ミミキリには生前からこのハサミに深い執着や因縁みたいなものがあって、まつろとなり果て現世へ迷い出た際に憑いた、とかね」
あくまでただの憶測で、真相なんてのは知ったことじゃないけど。と、葵さんは投げやりな調子で言う。
「でも、ばあちゃんは長くコレを手元に置いてたんですよ。それならばあちゃんにも何か害が――」
と、言いかけて僕ははっとした。
「まさか、ばあちゃんが死んだのって!」
「おばあさんの死因は?」
前のめりになる僕に、葵さんは冷静に問い返してくる。
「…………老衰です」
「じゃあさすがに関係ないんじゃない?」
「そうですか?」
「そうだよシグマ君。あのね、この世ならざるものと関わることが増えたからといって、祟りとかなんとか、何でもそういうモノのせいにするのはよくない傾向だよ」
「それは、責任を他者に押しつけるなという訓戒的なものですか」
僕が言うと、葵さんは何がおかしいのかふふっと小さく笑った。
「違うよ。この世ならざる存在に、この世で起こる出来事の因果を求めすぎるのは危険だって話」
「はあ?」
「まつろに囚われて引きずられすぎたら、君までこの世界から、弾き出されるよ」
葵さんは人差し指でピンと宙を弾く仕草を見せながら、軽い調子で言い放った。
「怖いこと言わないで下さいよ」
上擦り気味の声で返す僕に、葵さんは区切りをつけるようににこりと笑って、「ともかく」と話を戻す。
「君のおばあさんはミミキリの影響をあまり受けなかったんだろう。それは個人の資質や体質が原因なのかもしれないし、単純に、やつが現世にやってきたのがつい最近のことだという可能性もある」
「ああ、なるほど」
「重要なのはねシグマ君。ミミキリが憑いている対象が、妹さんじゃなくて
――そうか。
悠里自身に憑いているのでないなら、ハサミさえ引き離してしまえば、悠里の身に危険は及ばないということか。
「ただ妹さんはハサミの所有者として、おばあさんとは違い強い影響を受け、狙われてしまっている」
「あ。じゃあそのハサミを壊しちゃえば、ミミキリも消えるんじゃないですか?」
思いついて意見を述べるが、葵さんは首を横に振った。
「何か誤解してる? まつろは付喪神的なものじゃないよ。憑いてる対象を壊したら、また彷徨うだけ。あの子のそばを離れる保証もない」
そう反論されて僕は閉口した。
「じゃあやっぱり……」
「うん。私が直接叩き潰すのが一番だね」
葵さんは嬉しそうに告げる。
もしかすると、手に入るボーナスで美味しいものを食べることでも考えているのかもしれない。僕はそう思った。
別に、問題を解決してくれるならその動機はなんだっていいし、解決方法が力技なのも構わない。
ただ――嫌な予感が、するのである。それは経験に基づく直感だった。たった一度の経験だが、一度で充分トラウマレベルの経験である。
「でも悠里には、戦わなくても追い出せばいいだけだとか言ってませんでしたか」
「そんなの方便だよ。昆虫じゃないんだから、外に出したって家の外をうろうろして隙間が空くのを待っている。それじゃ困るだろう」
葵さんがふいに立ち上がる。
僕は半ば反射的にソファの上で後ずさった。
「ねえシグマ君。君さ」
いやだ聞きたくない、聞きたくない。
咄嗟に耳を塞ごうとして持ち上げた手首を、テーブル上に片膝をついて身を乗り出した葵さんにがしりと掴まれた。
痛い痛い折れる、馬鹿力め!
「――あの子のために、身代わりになる覚悟はあるかい?」
「妹さんは今どうしてる?」
葵さんは何の前置きもなしに、いきなりそう問うてきた。
「悠里ですか?今は、風呂に入ってると思いますけど」
先ほど僕と入れ違いで風呂に向かっていたはずだ。後を気にせず思う存分長風呂をするために、いつも最後に入りたがるのである。まだ二十分も経っていないから、ゆうに後一時間は篭もっていることだろう。
「それは良かった」
「えっ」どういう意味だ?
戸惑う僕に葵さんは、
「風呂から出てくる前に、急いで侵入して来て」と宣った。
「は!?」
僕は驚いて、腰掛けていたベッドから立ち上がる。
「何をふざけてるんですか」
「ふざけてなんかないけど?」
「じゃあ何ですか、僕から人権を剥奪したいんですか? うちの家庭を崩壊させたいんですか?」
「何か誤解してる気がするけど、お喋りしてるヒマはないよ。出てくる前にさっさと部屋を探索してきて」
「部屋?」ああそっちか、とほっと息を吐きかけたが、こっそり家捜しなんかして、見つかったら大変なことになるのは変わりないじゃないか。
「どうしてですか」
「後で説明するから。先ずはこのまま、電話繋いだままで妹さんの部屋に向かって」
そう指示されて、僕は仕方なくスマートフォンを手にしたまま自室を出た。
階段の方へ行って階下に耳を澄ませてみると、微かにシャワーの水音らしきが聞こえてくる。大丈夫そうだ。それでも僕は空き巣のような忍び足できょろきょろと辺りを窺いながら、そうっと悠里の部屋に這入り込んだ。
「窓際に学習机があっただろう。その一番下の引き出し、開けてみて」
そう言われて、僕は躊躇いながらも大人しく指示に従う。
「うわっ」思わず声が漏れた。どうやら先ほど部屋を片付ける際に、散らかっていた物々をここに投げ込んだらしい。シャー芯、雑誌、丸められた靴下、除光液、謎の人形、紙くず、タンバリン、などなどあらゆるものが詰め込まれている。……何故タンバリンが?
「どうしたシグマ君、何があった?」
電話口から緊迫した声が聞こえてくる。
「い、いえ、何でもないです」
ごほんと一つ咳払いをして、
「それで、この引き出しがどうしたんです?」
「うん。何が入ってる?」
「えーっと……色々、ですかね」
それ以外に表現のしようがなかった。
「はっきりは分からないんだけどね。さっきその引き出しを見た時気配を感じたんだ」
「気配? 何のですか?」
「まつろのだよ」
「えっ!?」
さらりと告げられた答えに、僕は引き出しから逃げるように後ろに飛びすさった。
「い、いいるんですか、この中に?」
突然僕一人で化け物と対峙させられても困るのだが。
「いや、別にそこに収まってるというわけじゃなくて。何て言ったらいいかな……濃い残滓みたいなものが漂ってたんだ」
「残滓、ですか?」
僕は恐る恐る再び引き出しに近付き、半信半疑ながら、とりあえず中の物を幾つか手に取り漁ってみた。引き出しの底は深く、地層の下部からは元々ここに仕舞われていたらしい物々が顔を出す。
その中の一つに、僕の意識は吸い寄せられた。
――裁縫箱である。
一見するとただの木製の箱なのだが、僕は中身を知っているのですぐにそれと分かった。元々祖母の持ち物で、亡くなった時に形見の一つとして悠里に譲られたものだ。
ちらりと扉の方を見て、人の近付いてくる気配がないことを確認し、そっと箱を取り出した。
どうしてだろう。
僕はもう自分が何をすべきか分かっているみたいに、無意識に操られるかのように行動していた。
蓋を開ける。中にはカラフルなボタンや糸、針箱等が仕切りに沿って綺麗に仕舞われている。祖母が大事に使っていたのだろうと一目で分かった。
「もしもしシグマ君、どうしたんだい?」
呼びかけてくる葵さんの声が微かに、床に置いたスマートフォンから聞こえてくる。
「葵さん。見つけたかもしれません」
手に取ったものを電灯の光にかざすようにしながら呟いた。当然葵さんに声は届いていないだろうけれど。
“糸切りばさみ”を握る指に力を篭める。
刃先が鈍色の光を放ち、しゃきん、という冷たく澄んだ音が、不気味なほど鮮明に響いた。
***
「こんな夜分にすみません」
ハンドルを握る杏さんに声をかける。
「いえ、葵様の命で来ただけですので、シグマ様が謝ることではございません」
確かに「今すぐ屋敷に来るように」と言い出したのは葵さんであり、迎えを寄越すからと一方的に電話を切られてしまったのだから、ほとんど無理矢理だ。
それでも、自分のために杏さんの手を患わせていることは確かなので申し訳なく思ってしまう。
大体葵さんは人使いが荒いのだ。迎えくらい自分で来ればいいのに……。と、そんな事を考えながら、座席の少し離れた位置に置いた鞄へちらと目を向ける。
中にはあの糸切りばさみが、ハンカチに包まれて入っている。サイズ的にはポケットで充分だったが、肌身につけるのが嫌だったのだ。出来るだけ自身から離しておきたくて鞄に突っ込んできた。
――
臭う
のである。といってもそれを感じとっているのは嗅覚ではない。いうなれば六感に訴えてくる臭気だった。暗く湿った、腐った水を煮詰めたみたいなにおいだ。
一目見た瞬間普通ではないと感じ、葵さんの指示でこっそり持ち出してきた。引き出しの中は元通りにしておいたので、糸切りばさみ一本なくなっているくらいでは、悠里もすぐに気付くことはないだろう。
「いらっしゃい」
いつもの応接間で、葵さんと向かい合う。僕としてはこんな時間に急に呼び出してきた理由を詰めたかったが、葵さんの方は「それより早く出して」と強請るように言って、ハサミの提出を促してきた。
「なるほどねえ」
葵さんはいつもと違い、グレイの浴衣らしきものを身につけている。解いた黒髪を肩に垂らして、ソファの手すりに肘をついてハサミを眺めている姿はどことなく気怠げだ。或いは単に眠たいだけかもしれないが。
「お手柄だよシグマ君」
「そう、なんですか?」
シャキン、シャキン。と、葵さんはうっそりとした笑みを浮かべて刃物を弄ぶ。殺人鬼じみていて不気味だ。僕は若干逃げ腰になりながら、
「このハサミ一体、なんなんです?」
「なんだろうねえ」
葵さんの答えは至極曖昧だった。
「私にもはっきりした事は分からないよ。ただ、ミミキリがこれに憑いていたのは確かだろうね」
やはりそうなのか。僕は息を呑んで、そろそろと辺りを見回す。
「大丈夫だよ、私が居るんだから。それ以前にまつろはこの屋敷に入ってなんか来れないしね」
「そうですか」あれ?じゃあ葵さんが僕を呼び寄せたのって……。
「例えばの話。ミミキリには生前からこのハサミに深い執着や因縁みたいなものがあって、まつろとなり果て現世へ迷い出た際に憑いた、とかね」
あくまでただの憶測で、真相なんてのは知ったことじゃないけど。と、葵さんは投げやりな調子で言う。
「でも、ばあちゃんは長くコレを手元に置いてたんですよ。それならばあちゃんにも何か害が――」
と、言いかけて僕ははっとした。
「まさか、ばあちゃんが死んだのって!」
「おばあさんの死因は?」
前のめりになる僕に、葵さんは冷静に問い返してくる。
「…………老衰です」
「じゃあさすがに関係ないんじゃない?」
「そうですか?」
「そうだよシグマ君。あのね、この世ならざるものと関わることが増えたからといって、祟りとかなんとか、何でもそういうモノのせいにするのはよくない傾向だよ」
「それは、責任を他者に押しつけるなという訓戒的なものですか」
僕が言うと、葵さんは何がおかしいのかふふっと小さく笑った。
「違うよ。この世ならざる存在に、この世で起こる出来事の因果を求めすぎるのは危険だって話」
「はあ?」
「まつろに囚われて引きずられすぎたら、君までこの世界から、弾き出されるよ」
葵さんは人差し指でピンと宙を弾く仕草を見せながら、軽い調子で言い放った。
「怖いこと言わないで下さいよ」
上擦り気味の声で返す僕に、葵さんは区切りをつけるようににこりと笑って、「ともかく」と話を戻す。
「君のおばあさんはミミキリの影響をあまり受けなかったんだろう。それは個人の資質や体質が原因なのかもしれないし、単純に、やつが現世にやってきたのがつい最近のことだという可能性もある」
「ああ、なるほど」
「重要なのはねシグマ君。ミミキリが憑いている対象が、妹さんじゃなくて
このハサミだ
ってことだよ」――そうか。
悠里自身に憑いているのでないなら、ハサミさえ引き離してしまえば、悠里の身に危険は及ばないということか。
「ただ妹さんはハサミの所有者として、おばあさんとは違い強い影響を受け、狙われてしまっている」
「あ。じゃあそのハサミを壊しちゃえば、ミミキリも消えるんじゃないですか?」
思いついて意見を述べるが、葵さんは首を横に振った。
「何か誤解してる? まつろは付喪神的なものじゃないよ。憑いてる対象を壊したら、また彷徨うだけ。あの子のそばを離れる保証もない」
そう反論されて僕は閉口した。
「じゃあやっぱり……」
「うん。私が直接叩き潰すのが一番だね」
葵さんは嬉しそうに告げる。
もしかすると、手に入るボーナスで美味しいものを食べることでも考えているのかもしれない。僕はそう思った。
別に、問題を解決してくれるならその動機はなんだっていいし、解決方法が力技なのも構わない。
ただ――嫌な予感が、するのである。それは経験に基づく直感だった。たった一度の経験だが、一度で充分トラウマレベルの経験である。
「でも悠里には、戦わなくても追い出せばいいだけだとか言ってませんでしたか」
「そんなの方便だよ。昆虫じゃないんだから、外に出したって家の外をうろうろして隙間が空くのを待っている。それじゃ困るだろう」
葵さんがふいに立ち上がる。
僕は半ば反射的にソファの上で後ずさった。
「ねえシグマ君。君さ」
いやだ聞きたくない、聞きたくない。
咄嗟に耳を塞ごうとして持ち上げた手首を、テーブル上に片膝をついて身を乗り出した葵さんにがしりと掴まれた。
痛い痛い折れる、馬鹿力め!
「――あの子のために、身代わりになる覚悟はあるかい?」